わかるとも言えるし、異論とかめんどくさいことではないんですが。 ⇒reply to id:finalvent(ポスト・リアリティの喪失) 2009-04-01 - 日記&ノート(転叫院) という話がまさしく、シカゴでの宮台さんパートの主旨で、1976年・77年あたりにまず断層があって、それを宮台さんは見田宗介の議論を下敷きにしつつ(この整理の仕方は大澤真幸の『虚構の時代の果て』とも共通ですね)「未来の時代」と「自己の時代」の断層として語る。 問題の感触としてはそうなんだろうと思うのです。そして、その感触の部分がうまく言葉になってこないところです。「微妙」と逃げてはいけないのだろうけど。 前回の私の話は、その「自己」というのを、性の生物性みたいなところの挫折をどう引き受けるかというふうに考えてみたかったのですよ。ただ、自分なりにうまくまとまっているわけではないのだけど。 あまり比喩的な言辞に