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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (9)

  • 『動物に魂はあるのか』 - Arisanのノート

    今年5月に亡くなられた金森修氏の著作。 僕は、まだこの人のを読んだことがなかった。 動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 (中公新書) 作者: 金森修出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2012/08/25メディア: 新書 クリック: 25回この商品を含むブログ (21件) を見る 書名のとおり、「動物に魂はあるのか」という特異な問いをめぐる論争の歴史を、西洋の思想史のなかに辿っていて、このテーマに関して、古今の思想家たちの著作(もちろん著者自身の著書も含めて)への格好の導きの書ともなっている。 僕も通読して、とりあえずアリストテレスとデカルトだけは、しっかり読んでおくべきだとあらためて思った。 それによると、古代ギリシャ以来、動物を感覚能力などの面で人間と同等かそれ以上の能力をもつ独自の存在として捉えていた西洋文化の流れ(p46)に大きな衝撃を与えたのは、やはりデカルトによる「

    『動物に魂はあるのか』 - Arisanのノート
  • 『顔のないヒトラーたち』 - Arisanのノート

    新聞に紹介が載ってたので見に行ってきました。 http://kaononai.com/ この映画、アカデミー賞、とってたのか。 ナチスという過去に向き合ったドイツ(西独)の歴史の話ですが、今の情勢下で見ると、自分の国とのあまりの隔たりの大きさに呆然とします。 最初の方は、よくある戦後史回顧のナショナル・ヒストリーみたいな映画かなあと思ったけど(だから悪いとは一概に言えないが)、やっぱりすごい内容でした。 映画は1958年からの5年間ぐらいのことを描いてるらしいんだけど、この当時、ナチスがアウシュビッツで何をしたかというようなことは、一般のドイツ人にはまったく知られてなかったらしい。登場人物の一人が「記録映画を見たけど、あれはプロパガンダだよ」と言うのが印象的だった。 これは、支配層を含めたドイツ(西独)の大人たちが、そのことに蓋をしようとしてきた、という要素が一番大きい。東西冷戦下なので、

    『顔のないヒトラーたち』 - Arisanのノート
  • 荒井信一『戦争責任論』 - Arisanのノート

    戦争責任論―現代史からの問い (岩波現代文庫) 作者: 荒井信一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2005/06/16メディア: 文庫 クリック: 1回この商品を含むブログ (8件) を見る このでは、「戦争責任」という観念が、二度の世界大戦とベトナム戦争や旧ユーゴ内戦、湾岸戦争などの20世紀の経験を通して、世界の民衆がその構築へと向かっていった平和のための世界秩序形成の過程と不可分のものとして説明されている。 それは「無差別戦争観」から「違法戦争観」へとか、「核による平和」から「人権を基礎とする平和」へ、というような言葉で表現される過程である。 これは、国際的な意味での民衆史観、ないしはカント的な世界市民史観とでも呼べるような考え方で、ベルサイユ条約から、ニュールンベルクと東京の両裁判を経て、戦後の国連(特に非欧米諸国)を中心とした平和と人権の確立のための努力へと、限界や問題をはら

    荒井信一『戦争責任論』 - Arisanのノート
  • 国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート

    さる24日日曜日、大阪市内で行われた「朝鮮学校ええじゃないか!春のモア・パレード」に参加した。 これは、朝鮮学校への「高校無償化」適用や、自治体補助金の再開・復活を求めて、行われた集会とパレード(デモ)で、朝鮮学校の学生や関係者、それを支援する人たちなど2000人近くが参加して行われたもの。 パレードは扇町公園を出発して西梅田公園の解散というコースであったが、まずその終盤近くに起きた出来事について書く。 僕は全体の前の方の隊列に居たのだが、西梅田公園に入るとすぐに、大音量のスピーカーで「朝鮮人」を口汚く罵倒する車が何台か(はじめは2台、その後他にも現れたようだ)公園横の道路に現れ、公園内は騒然となった。 この日は、御堂筋で「日韓断交」を趣旨にしているらしい排外主義団体のデモ行進が行われ、さらに夕方からは梅田のJR大阪駅前で街宣が行われる予定だった。それらに参加するのであろう人々によるパレー

    国家による暴力の論理への抵抗を - Arisanのノート
  • 体罰はなぜ悪か、について考える - Arisanのノート

    体罰について考える際、まず「体罰は是か非か」というところから考え始めることが、適切であり公正な態度であるという風に思われている。 だが現在の社会が概ね、実力・権力や権威を有する者が、そうでないものに対して振るう暴力を容認してしまう傾向にあるということ、またそうした価値観を自分自身内面化してしまっている度合いが大きいと思えることを考慮すると、僕はこの問題を、まず「体罰はなぜ悪であるのか」というところから考え始めることが、適切な態度だと思う。 そこから始めて、どうしてもその理由が見出せないようなとき、初めて「是か非か」というところに移行して考え直してみる。そういう手続きの方が妥当だと思うのだ。 学校における体罰に関してしばしば聞かれるのは、教師が「ついかっとなって手を上げてしまった」というようなことである。この場合、普段から教師自身にあまりに大きなストレスがかかっていたことや、生徒たちの態度が

    体罰はなぜ悪か、について考える - Arisanのノート
  • 朝日新聞の社説について - Arisanのノート

    朝日新聞をとってないので、よく話題についていけなくなるのだが、今日(9日)ツイッターを見てたら、朝刊に載った朝鮮学校無償化排除問題についての社説のことが、悪い意味で話題になっていた。 見てみると、言葉遣いは一見丁寧だが、確かにたいへん怖い内容の文章である。 昨日たまたまこの問題について書いたところでもあるので、この記事についても意見を言っておきたい。 http://www.asahi.com/paper/editorial20130109.html#Edit2 冒頭部分だけを読むと、朝鮮学校を高校無償化の対象から外すという安倍政権の決定に異議を唱える主張のように見えるのだが、そういう単純なことではないようだ。 朝鮮学校が「日や国際社会の価値観」と相容れないような、例えば「独裁体制を肯定するような」教育を行っているということを、(誰かの)「疑念」という言い方で実際は断定した上で、そういう教

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  • 東京都知事選について - Arisanのノート

    東京都知事選について、「ひどい候補者ばかり名前があがって、最悪だ」という声を聞く。 そのことが、日の民主主義の現状のひどさを示している、と評論する声も多い。 ぼくは、それはちょっと違うと思う。 どんなひどい人間でも、法の規定に反さない限り選挙に立ってしまうのは、民主制をとっているからには、基的に仕方がない。 民主主義というのは、そういう致命的な欠点をもっているのだ。 だから他の道をとることも可能だが、ぼくは無根拠に民主制の方を選ぶ。 フランスでも、極右政党の党首が大統領選に出たことはあった。 日と違うのは、有権者が彼を当選させないために団結した、ということである。 サルコジやベルルスコーニやブッシュのようなひどい人間が指導者になることもある。 日と違うのは、彼らに反対するデモが、しばしば大都市の街路を埋め尽くす、ということである。 都知事選をめぐる状況がひどいのは、「ひどい候補者ば

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    border-dweller
    border-dweller 2011/03/08
    左側がなぜ弱いのか、か
  • 杉田俊介氏における「敵対性」と「倫理」について - Arisanのノート

    フェミニズムはだれのもの?』に収められた森岡正博氏と杉田俊介氏の対談「草系男子と性暴力」を読んでの感想。 フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2010/04メディア: 単行購入: 3人 クリック: 199回この商品を含むブログ (11件) を見る この対談の中で、たとえば森岡氏が次のように述べていることは、たしかにとても重要だと思う。 これは、森岡氏がかつて、田中美津を論じたなかで、はじめは『(自分は)この社会のなかで「男」として生きることそれ自体』には強い痛みを感じることはないと思い、そのように書いていたが、数年の沈黙の後に、『「男」に固有の性の痛みと苦悩は「ある」』のであり、『むしろそれを無痛化してスルーしうると思い込めたこと、そこにこそ、無自覚な男の暴力の真の源泉があったのではないか』(以上、杉田

    杉田俊介氏における「敵対性」と「倫理」について - Arisanのノート
    border-dweller
    border-dweller 2011/01/03
    そこら辺のセンサーが死んでるから相手のメッセージをうまく認識できない 感情をうまく受け止められない (上達も出来ないため)自他の感情、関係の処理が全然わからないってことが起きてる気がする 構造大事
  • 『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート

    差別感情の哲学 作者: 中島義道出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/05/15メディア: 単行 クリック: 77回この商品を含むブログ (21件) を見る 久しぶりに、読んでて卒倒しそうなほど腹が立った。 書いてあることは、普段身近でよく耳にする意見と重なるところがあるので、この機会にちゃんと批判を書いておきたい。 基的なスタンスへの批判 著者の基的なスタンスは、次のようなところに示されている。 私の疑問は、「心」に限定される。制度上の差別は撤廃してしかるべきであろう。差別的発言も(少なくとも)制限されるべきである。しかし、差別撲滅運動が人間の心に潜む悪意まで徹底的に刈り込むことを目標にするのだとしたら、誰もが差別感情を抱かなくなることを到達点とみなすのだとすれば、直感的にそれは違うのではないかと思う。(p9) しかし、現代日社会においていかに差別に対する社会的制裁が厳し

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