伴天連(ばてれん)うるがんの眼には、外(ほか)の人の見えないものまでも見えたさうである。殊に、人間を誘惑に来る地獄の悪魔の姿などは、ありありと形が見えたと云ふ、――うるがんの青い瞳(ひとみ)を見たものは、誰でもさう云ふ事を信じてゐたらしい。少くとも、南蛮寺(なんばんじ)の泥烏須如来(でうすによらい)を礼拝(らいはい)する奉教人(ほうけうにん)の間(あひだ)には、それが疑ふ余地のない事実だつたと云ふ事である。 古写本(こしやほん)の伝ふる所によれば、うるがんは織田信長(おだのぶなが)の前で、自分が京都の町で見た悪魔の容子(ようす)を物語つた。それは人間の顔と蝙蝠(かうもり)の翼と山羊(やぎ)の脚とを備へた、奇怪な小さい動物である。うるがんはこの悪魔が、或は塔の九輪(くりん)の上に手を拍(う)つて踊り、或は四(よ)つ足門(あしもん)の屋根の下に日の光を恐れて蹲(うづくま)る恐しい姿を度々(たび
一 信子は女子大学にゐた時から、才媛(さいゑん)の名声を担(にな)つてゐた。彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆(ほとんど)誰も疑はなかつた。中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴(ふいちやう)して歩くものもあつた。が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家(ごけ)を立て通して来た母の手前も、さうは我儘(わがまま)を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。 彼女には俊吉(しゆんきち)と云ふ従兄(いとこ)があつた。彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈(いよいよ)親しみが
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