ホッケの干物といえば居酒屋メニューの定番。大皿にもおさまらないくらい大きくて、仲間たちとワイワイつつく魚。家で焼こうとしようものなら、魚焼きグリルからしっぽがはみだしてしまうような。 ところが、そのホッケがいま、年々小さくなっているという。それこそアジの干物ほどの大きさに。しかも値段は高騰、居酒屋メニューのような庶民の味ではなく高級魚になってしまったというのだ。たしかに言われてみると、スーパーの鮮魚売り場で見かけるホッケは、こじんまりと品よく高い。なぜこんなことになったのか。 ホッケの漁獲量が減ってしまったのだ。もはや海に大きなホッケはほとんど見当たらなくなっているという。1998年の20万トンをピークに、2011年にはなんと!75%減のたった5万トンになってしまった。獲りすぎたのだ。 こうして獲りすぎて、いなくなってしまった魚はホッケだけではない。マイワシ、ニシン、マサバ、ウナギ…。クロ
今から半世紀前、1960年12月号の雑誌「中央公論」に掲載された深沢七郎氏の短編小説「風流夢譚」は、以後、今日に至るまで海賊版を除けば活字化されたことはなく、いまやこの小説を読んだことのある人はほとんどいないどころか、そもそもその存在すら知らない人も多いことと思います。 その理由は、この小説での皇室表現がきっかけとなり、1961年2月、当時の中央公論社社長、嶋中鵬二氏宅に右翼が押し入り、お手伝いさんの女性が刺殺され、さらに夫人が重傷を負うという事件が起きたからです。 当時は、浅沼稲次郎社会党委員長の刺殺に次ぐテロとして大きなニュースになりましたが、結果的に、右翼の圧力に表現の自由の行使者であるはずの言論機関が負けてしまったこの事件は、以後のジャーナリズムのありように少なからぬ影響を与えました。そうしてこの小説も、二度と再び光を浴びることなく、50年前の「中央公論」に封印されてしまったわけで
テロ事件(嶋中事件)のあと記者会見に現れた深沢七郎。「私が一番の責任者だから……」と語って涙を流した=1961年2月、東京 深沢七郎(1914~87)の小説「風流夢譚(むたん)」――半世紀前に月刊誌で発表されたがテロ事件の引き金となり、作者が書籍化を封印した問題作だ。それが今、電子書籍の“単行本”として入手可能になっている。 ■発行者「現代の状況に重ねられる」 電子書籍『風流夢譚』を発行したのは志木電子書籍の京谷六二(きょうやむに)代表(51)。一昨年11月の刊行後、口コミを中心に、月に30部ほどのペースで売れ続けているという。 月刊誌「中央公論」1960年12月号に、風流夢譚は掲載された。主人公は時間の揺らぐ奇怪な「夢」の中で「革命」に遭遇し、「天皇」や「皇太子」らが「処刑」された情景を見る。その身体からはなぜか「金属性の音」が響き、やがて「辞世の御製(歌)」をめぐる滑稽な解釈談義が始ま
背景[編集] 発端となった小説「風流夢譚」[編集] 問題となった小説「風流夢譚」は『中央公論』1960年12月号に掲載された。12ページの短編小説で、挿絵は谷内六郎が描いた。作者の深沢七郎は中央公論新人賞出身だったが、専属の担当編集者がきちんと決まっておらず、同社の「共有財産」的な状態であったという[5][6][7][注釈 2]。 この作品は、主人公が夢を見て、バスを待って主人公が皇居前広場へ行くと、皇太子夫妻が自分の「マサキリ」で首を切られる。天皇夫妻はすでに首がなく、皇太后と喧嘩するというシュールな内容で、それぞれの遺体の傍に落ちていた辞世の句が講釈され、最後には主人公も辞世の歌を作ってピストルで自殺するところで夢から覚めて終わる[8][9]。 原稿は編集部から発注されたものでなく、深沢の持ち込みで、長期にわたって保留されていたものであった。それが掲載された理由については病気から復帰し
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