「成田闘争」の一つのシンボルが二〇一八年にも老朽化のため姿を消す。現在、航空機を駐機場から誘導する「ランプコントロールタワー」として利用されている旧管制塔。開港を四日後に控えた一九七八年三月二十六日、三里塚芝山連合空港反対同盟を支援する過激派は管制塔を占拠し、無線設備などを破壊。開港を二カ月遅らせた。 管制塔占拠の成功により、元反対同盟の石毛博道さん(66)は「支援者の軍事力と同盟員を維持すれば、二期工事などできない」と確信。開港を迎えても「まったく悲観しなかった」という。 一方、対話の動きも出始めた。同年内に一部同盟員と政府が秘密裏に交渉を開始。石毛さんは「軍事的に勝利しても、政治力への転化が必要だ。最後の勝負はテーブルだ」と、内心期待した。だが翌年、新聞報道で交渉が暴露され破談した。「国も同盟も対話路線を受け入れきれなかったのだろう。がっかりした」 反対同盟は八三年、一坪共有地の扱いな