タグ

ちばばと歴史に関するbt-shouichiのブックマーク (70)

  • 東京新聞:<土の記憶 成田空港閣議決定50年> (3)対話路線へ :千葉(TOKYO Web)

    「成田闘争」の一つのシンボルが二〇一八年にも老朽化のため姿を消す。現在、航空機を駐機場から誘導する「ランプコントロールタワー」として利用されている旧管制塔。開港を四日後に控えた一九七八年三月二十六日、三里塚芝山連合空港反対同盟を支援する過激派は管制塔を占拠し、無線設備などを破壊。開港を二カ月遅らせた。 管制塔占拠の成功により、元反対同盟の石毛博道さん(66)は「支援者の軍事力と同盟員を維持すれば、二期工事などできない」と確信。開港を迎えても「まったく悲観しなかった」という。 一方、対話の動きも出始めた。同年内に一部同盟員と政府が秘密裏に交渉を開始。石毛さんは「軍事的に勝利しても、政治力への転化が必要だ。最後の勝負はテーブルだ」と、内心期待した。だが翌年、新聞報道で交渉が暴露され破談した。「国も同盟も対話路線を受け入れきれなかったのだろう。がっかりした」 反対同盟は八三年、一坪共有地の扱いな

    東京新聞:<土の記憶 成田空港閣議決定50年> (3)対話路線へ :千葉(TOKYO Web)
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2016/07/18
    閣議決定から25年後の「シンポ」、隅谷調査団、円卓会議/「成田第3滑走路実現を目指す有志の会」事務局員となった元反対同盟、「空と大地の歴史館」で闘争の歴史を伝える公団OB
  • 東京新聞:<土の記憶 成田空港閣議決定50年> (2)対立激化 :千葉(TOKYO Web)

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2016/07/18
    1971年、流血の事態に。死者も出る/二度の行政代執行、東峰十字路事件、小泉よね宅への「騙し討ち」…一連の事件が闘争の長期化の転機になったと
  • 東京新聞:<土の記憶 成田空港閣議決定50年> (1)悲劇の始まり:千葉(TOKYO Web)

    の滑走路と三つの旅客ターミナルを備える広さ千九十ヘクタールを誇る空港には、小さな農地などがポツポツと点在する。今も建設反対を訴える数戸の農家が土を耕し続ける土地など合わせて二・九ヘクタール。近寄らないと、その存在は分からない。だが、これらの未買収地がある限り、空港は開港から三十八年たってもまだ完成とは言えない。

    東京新聞:<土の記憶 成田空港閣議決定50年> (1)悲劇の始まり:千葉(TOKYO Web)
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2016/07/18
    空港未だ成らず/1966年7月4日、佐藤内閣が閣議で新空港の建設地を成田市三里塚と決めた/「軽くみられた」ことに対する怒りが激しい抵抗を生み、圧倒的な警察力に対抗するため過激派と連携
  • 成田空港 空と大地の歴史館 見学記

    成田空港 空と大地の歴史館 http://www.rekishidensho.jp/rekishikan/rekishikan_top.html 成田空港は、1966年7月4日に成田市三里塚に建設されることになりました。 その時から、地域を守ろうと空港建設に必死で反対した農民やその支援者、日のために必死に新空港を建設しようとした人々、そして、対立の周囲にいた住民たちの苦悩の歴史が始まり、力と力の対立のなかで犠牲をともないました。 その後、建設側と反対側との公開討論を経て、成田空港問題について地域も巻きこんだ話し合いが進んでいきます。 地域と空港をめぐる歴史的経緯とそこにかかわったさまざまな立場の人々の苦悩と想い、これらを複眼的な視点からとらえ、この地に刻まれた歴史をできるだけ正確に後世につたえていくことを目指して当館は設立されました。 (同館HPより) 平和堂 @HEIWADOU_JP

    成田空港 空と大地の歴史館 見学記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2016/04/05
    「これが成田空港株式会社(旧・空港公団)が金出した施設とかウソみたい」「いわゆる官側が作った施設だが、県警が提供した資料や史料はない模様。」
  • 民衆駅~国鉄千葉駅昭和38年: ものぐさ親父の「いまさら鉄ちゃん!?」

    今年の1月の終わりごろでしたか、新聞の千葉版にJR千葉駅の買い再開発計画に伴い、駅ビル(ペリエ1)を取り壊して建て替え、新たに橋上駅として再整備するとの記事が掲載されていました。 駅ビルは既に閉鎖されており、おそらく解体工事も始まっているんでしょうね。 取り壊されることになった駅ビルは、昭和38年4月28日に「民衆駅」として現在の場所に開業したもので、その前日まで、国鉄千葉駅は今の場所から800メートルほど離れた、現在の東千葉駅の手前よりにありました。 西千葉駅を発車した総武線電車は、千葉駅の手前で大きく左にカーブを切ります。進行方向右手には、千葉機関区の扇形庫が垣間見えると、やがて右手から房総線の線路が寄り添うように合流し、電車は千葉駅の3番線に到着します。 昭和38年当時、電化区間はここまで。DC準急や一部の客車列車は両国や新宿から直通していましたが、ほとんどの場合、この先は千葉始発の

    民衆駅~国鉄千葉駅昭和38年: ものぐさ親父の「いまさら鉄ちゃん!?」
  • 太平洋を渡った南房総のアワビ漁師たち NPO 安房文化遺産フォーラム: メインコンテンツ

    太平洋を渡った南房総のアワビ漁師たち〜太平洋はこの先に…! ……執筆:山口正明(NPO法人安房文化遺産フォーラム会員) ■はじめに 2007(平成19)年、千葉ブランド水産物に“房州黒あわび”が認定された。申請者は共同で、白浜町、房州ちくら、和田町の各漁業協同組合。房州地方の伝統的な特産品であるあわびは、奈良時代722 (養老6) 年、平城京に税として送られた歴史を持つ。千葉ブランドの認定には千葉県を代表し、全国に誇れる優良な水産物であることが求められる。房州はあわびの特産地。幕末から明治へと時代が大きく変わり、生きて戻れる保障もないアメリカへ太平洋を渡った漁師たちがいた。地元で特産のあわびを採っていても十分に暮らして行けたのに、何が彼らを新天地へと導いたのか。 ■小谷仲治郎の渡米 1897 (明治30) 年12月、25歳の小谷仲治郎は、渡航目的に漁業・製造監督と記された旅券を手にアメリカ

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2015/03/16
    日本人のアメリカでの鮑産業と安房
  • 旧水田家住宅

    このたび「旧水田家住宅」が、数多くの応募の中から選ばれ、第10回千葉県建築文化賞を受賞いたしました。 この賞は、千葉県の優れた建築物を表彰することにより、建築文化や居住環境に対する意識を高め、うるおいと安らぎに満ちた快適な街づくりを推進することを目的に創設されたものです。 「旧水田家住宅」は、地域の特性や周辺の環境に充分な配慮がなされ、建築物と外部空間が一体となって魅力ある景観を創出し、地域に景観形成に寄与しているということで受賞となりました。 竣工以来、近隣の方はもとより遠くからもたくさんの訪問者をお迎えしていますが、この受賞により、さらに多くの方においでいただければと思っております。 このたび国の登録有形文化財として登録されました旧水田家住宅は、戦後壊滅的な経済状況にあった我が国を、政治家として経済の再建・教育への支援に一心に取組み、日社会の飛躍的な復興に全力を注がれた故水田三喜男先

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/09/28
    城西国際大学のサイト内のページ。「故水田三喜男先生の生家であり、今回文化財の対象となりました母屋、長屋門は水田三喜男先生の誕生から安房中学校進学までの成長を見守ってきた建物です。」関東大震災に耐えたと
  • 山の中でみつけた昔の家でくつろいだ話

    1975年生まれ。千葉県鎌ヶ谷市在住。好き。人生においての目標はべたことのないものをひとつでも多くべること。旅先ではまだ見ぬ珍味に出会うため目を光らせている。 前の記事:ドリアンでドリアを作る > 個人サイト 晴天4号 Twitter (@hosoi)

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/09/28
    おなじみ、水田三喜男の旧水田邸。行こう行こうと思ってるのだが…「安房鴨川駅(東京駅から2~3時間)から車で20分、バスを利用する場合はバス停から徒歩20分(一日2本)、という難易度の高い交通アクセス」遠っ…
  • 千葉)安房の里見氏、見つめ直す特別展 館山:朝日新聞デジタル

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/09/13
    市立博物館/「里見は有力な船大将を従えて東京湾の制海権を握ったが、1614(慶長19)年に政争で安房を追われ、伯耆(ほうき、鳥取県西部)に国替えになった」…あれから400年!(きみまろ風に
  • 行政代執行と 『ぼくの村の話』 - 法哲学/研究教育余録

    Facebookを見ていたら、友人の行政法学者が「行政代執行」の実例を知ってもらうため、学生さんたちに「橋下知事・行政代執行でイモ畑を撤去/2008年」という動画(YouTube)を見て貰ったという話を書いていたのだが、行政代執行にまつわる形で私がすぐに想起するのは、尾瀬あきらの漫画『ぼくの村の話』(全7巻)である。成田空港に行くたびに、わたしの脳裏には、この漫画のことが浮かぶ。 ぼくの村の話(5) 作者: 尾瀬あきら 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2013/01/28 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る 尾瀬のものとしては『夏子の酒』(94年に和久井映見主演でドラマ化)の方が知名度があるだろう。『ぼくの村の話』は『夏子』の連載終了後、1992年春から1993年末にかけて同誌で連載されたものであるところ、『夏子』ほどはヒットしなかったので、知らない人も多いかもし

    行政代執行と 『ぼくの村の話』 - 法哲学/研究教育余録
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/09/06
    三里塚にも行ったという元機動隊員…『ぼくの村の話』を「「機動隊では、みんな読んでいた」とのことだった。ひと言ぽつりと出た「あんな事は、僕らもしたかなかったんですよ」という言葉が今でも記憶に残っている」
  • 国立国会図書館デジタルコレクション

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/06/17
    関東大震災/大津波に襲われた夢を見たので、図書館で読んでみた。有史以来の色んな地震の記録から、安房郡内の詳細な被害状況まで。海嘯の被害はほとんどなかったらしいが、建物の倒壊っぷりがすごい
  • 本の記事 : 千葉)農民の視点から「万石騒動」 作家のかわな静さん | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    江戸時代に農民が年貢減免に立ち上がり、現在の館山市と南房総市に位置した安房国北条藩を廃藩に追い込んだ「万石騒動」。南房総市に住む児童文学の作家かわな静さん(77)が、この騒動を農民側の視点でまとめた「北条藩一万石 惣百姓訴訟」を出版した。 万石騒動は1711(正徳元)年、年貢倍増を押しつけた北条藩に抵抗した農民一揆。名主や農民600人が江戸に出向き、老中のかごに駆け寄って訴える命がけの直訴などを行った。北条藩は弾圧を図り、3人の名主を処刑したが、奉行所は農民側の訴えを全面的に認め、重税を課した家臣を斬首するなどして、北条藩は廃藩になった。 犠牲になった名主3人は「三義民」として、館野小学校の校歌にもうたわれ、2010年の300年祭では住民らが資金を出し合って、「義の伝承碑」が建立されるなど、今もなお地元ではたたえられている。 これまで、万石騒動は三義民を中心に語られることが多かった。かわな

    本の記事 : 千葉)農民の視点から「万石騒動」 作家のかわな静さん | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/06/04
    『北条藩一万石 惣百姓訴訟』万石騒動の本。犠牲となった名主(三義民)中心に語られがちだが、この本は農民側から書いたという。「館山市の宮沢書店ではコーナーを作って販売している」
  • 千葉城 亥鼻城 矢作砦 千葉氏館 余湖

    千葉城模擬天守(亥鼻城・千葉県千葉市中央区亥鼻一丁目) 千葉県にある千葉城で、昭和42年と古くから建っているので、ちゃんとした由来のある天守なのかと思ってしまうのだが、そんなものではないということは、実際にここを訪れてみるとよく分かる。城跡の遺構とこの天守がアンバランスなのだ。地名を取って亥鼻城とも呼ばれるが、亥鼻城の歴史は古く、築城されてからすでに850年以上が経っている(昭和52年に築城850年記念をやっていたので)。以後戦国時代まで千葉氏の中心拠点だったが、後に拠地を佐倉城に移すとこの城は廃城になったかと考えられる。現在残っている遺構も室町中期くらいのものなのだが、建てられた天守は小田原城によく似た江戸期の層塔式天守なので。天守内部は、郷土資料館・プラネタリウムとなっている。早くに公園化されたせいか、千葉市街地内という立地条件にしては、よく遺構が残されている方だろう。(以前の記述

    千葉城 亥鼻城 矢作砦 千葉氏館 余湖
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/05/18
    亥鼻。あそこは確かに城を作りたくなる台地だな
  • 畠山勇子のひな人形公開 大津事件で“自刃” 鴨川・普門山観音寺

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 鴨川市横渚の普門山観音寺(森谷義眞住職)で、1891(明治24)年の大津事件に関係した同市出身の畠山勇子(享年27歳)のひな人形を公開している。4日まで。 極東遊覧で来日したロシア帝国のニコライ皇太子(のちのニコライ2世)を警備の巡査津田三蔵が切りつけた大津事件ロシアの報復を恐れ日中が騒然となる中、鴨川生まれの勇子が京都府庁前で“謝罪の自刃”を遂げた。 ひな人形は、勇子の分骨が祭られ顕彰碑がある同寺に1958年、勇子の父方の実家から奉納された。人形は勇子の母方の叔父の豪商、榎六兵衛が初節句に贈ったもの。五人ばやしを従えたひな人形は140年以上たった今も保存状態がよく、毎年堂に飾られる。 地元の幼稚園生が見学したり、商工会女性部が子ども向けに勇子を紹介する絵を作るなど親しまれて

    畠山勇子のひな人形公開 大津事件で“自刃” 鴨川・普門山観音寺
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/04/03
    「ひな人形は、勇子の分骨が祭られ顕彰碑がある同寺に1958年、勇子の父方の実家から奉納された。人形は勇子の母方の叔父の豪商、榎本六兵衛が初節句に贈ったもの」/安房の有名人のひとり
  • NPO 安房文化遺産フォーラム: お知らせ

    ⇒印刷用PDF チーバくんのQ〜記者に聞く 「海の幸」誕生の家が保存されるの 公開へ寄付募り解体・復元 1904(明治37)年のひと夏、青年画家が館山市布良(めら)の漁村に逗留(とうりゅう)し、意欲的な作品を残した。それが青木繁の「海の幸」で、洋画初の重要文化財に指定されたんだ。制作現場になった小谷家住宅は今も残り、保存・公開事業がいよいよ来春にも動き出すよ。 . Q 「海の幸」ってどんな絵 「裸の男たちがサメを担いで更新している油絵さ。青木は福岡県久留米市生まれ。この年7月に当時の東京美術学校を卒業したばかり。同年代の絵描き仲間3人と布良に写生に来た。宿に泊まっていたが、お金が続かず、小谷家に移ったらしいよ」 「仲間の坂繁二郎は、豊漁の水揚げを見た。それを青木に伝えるや、大騒ぎで制作に取りかかったと証言している。近くの布良崎神社や安房神社の祭礼で神輿(みこし)を担ぐ姿から構図の着想を得

    NPO 安房文化遺産フォーラム: お知らせ
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/12/28
    青木繁の「海の幸」の制作現場となった小谷家住宅の保存・公開事業。寄付は目標額までもう少し/「当時の布良はマグロ延縄漁が盛んで、海難事故も多かったけど、繁栄していた。現在の寒村からは信じられないかな」…
  • 本の記事 : 房総の伊勢信仰、時代により変遷 千葉県神社庁が出版 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    伊勢神宮(三重県)で20年に一度の式年遷宮が今年行われたのをきっかけに、県神社庁(杉山林継庁長)が「房総の伊勢信仰」(雄山閣)を出版した。神職たちが5年がかりで県内各地の神社と伊勢信仰とのかかわりの歴史や現状を調査しまとめたものだ。 県神社庁には約3150の神社が加わっており、その中で伊勢と同じ天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る神明神社は107ある。200を超えている八幡神社には及ばないが、他県に比べれば神明神社の比率は高いはずだと杉山庁長と分析し、「調査の結果、黒潮で結ばれた紀伊半島との深いつながりが見えてきました。和歌山が発祥の熊野神社も房総には多く、この二つを合わせれば県内最大勢力です」と説明する。 宗教考古学が専門で国学院大学名誉教授でもある杉山庁長によると、戦いに明け暮れた中世には、どこかに力の強い神様がいると聞くと、それにあやかりたいとその神様を祭る神社が建てられたという。

    本の記事 : 房総の伊勢信仰、時代により変遷 千葉県神社庁が出版 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/11/16
    面白そう/「今回の遷宮で県内では目標だった3億8000万円を上回り5億9000万円の寄付が集まった」という一方で「身近な神社にも関心を持っていただければ。年々苦しくなっています」とも
  • “打倒平家”県都で狼煙? 頼朝と千葉氏、出会い探る 研究者ら調査開始

    “打倒平家”へ挙兵するも、安房の国へ敗走した源頼朝とその再起を助けた千葉常胤。鎌倉時代へとつながる歴史の転換 ・・・ 【残り 727文字、写真 1 枚】

    “打倒平家”県都で狼煙? 頼朝と千葉氏、出会い探る 研究者ら調査開始
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/09/09
    中央公園でボーリング調査。安房から来た頼朝が軍勢を引き連れた千葉常胤と会ったという伝承の地「結城」を探す/頼朝「勝ったでー!この勢いで京に攻め上るでーw」東国武士「は?(威圧」」頼朝「」
  • 朝日新聞デジタル:花街「蓮池」文化残そう 千葉、郷土史家ら8日に集い - 千葉 - 地域

    「蓮池通り」の看板がかかる店先=千葉市中央区  【春山陽一】戦前、千葉市の県庁近くに花街と呼ばれるのにふさわしい一画があった。わずかな面影だけが残る「蓮池(はすいけ)」。歴史文化遺産を守ろうと地元の料理店主や郷土史家らが協力し、8日に蓮池を語る集いを開く。この地に住んだ古老も語らいに参加する。タイトルは、「蓮池ものがたり―昭和千葉の花街蓮池… 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料会員登録はこちら朝日新聞デジタルのサービスご紹介はこちら※有料記事の一部を自動で取り出して紹介しています。PR情報

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/09/05
    ホント一画よね
  • ようこそデジタル美術館へ

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/12/14
    南総里見八犬伝
  • たてやまフィールドミュージアム

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/12/05
    市立博物館の「八犬伝の世界」展。今まで読まずにきたが、最近やっとこさ「八犬伝」を読み始めた。案外すらすら読めるもんだなと。まだ伏姫と八房が撃たれるあたりまで、つまりさわりしか読んでないが、実に面白い