空襲と米軍キャンプとハワイアンと ―― そのころは、米軍キャンプを回ってたんですか? 高木 日本中どこにでもあったからね。銀座なんか大変だよ。ちょっとしたクラブはみんな、米軍が接収してる。クラブには将校クラブ、下士官クラブ、兵隊さんのクラブがあって、音楽のジャンルも違うの。兵隊さんはやっぱりカントリー&ウエスタンなんですよ。下士官クラブになるとジャズっぽくなってきて、将校クラブにかろうじてハワイアンを聴きたがる人がいた。だから音楽での仕事には困らなかったですよ。僕らは一生バンドで食っていけると思ってた。 高木 僕がハワイアンを始めたときは、特別な思いはなかったかな。だって、僕らはアメリカに爆撃されたんだよ。 ―― 太平洋戦争が始まったとき、8歳ですよね。 高木 戦争は3年生から6年生まで。空襲のときは、でっかい爆撃機が低空を飛んでくるんだよ。昔の飛行機は装飾するために色を塗ってたけど、銀色