上川外務大臣は、訪問先のイスラエルでコーヘン外相と会談し、ハマスの攻撃はテロであり、断固非難する考えを示しました。そして両外相は一般市民の安全確保や事態の早期沈静化に向けて協力していくことで一致しました。 上川外務大臣は、イスラエルのテルアビブで日本時間の午後4時ごろからおよそ40分間、コーヘン外相と会談しました。 冒頭、上川大臣は「イスラエルの方々との連帯の意を伝えるために訪問した。ハマスの攻撃はテロであり、赤ちゃんから子ども、女性や高齢者も含めて、一般の市民に対する攻撃と誘拐はどのような理由であれ正当化できず、断固非難する。犠牲者に心から哀悼の意を表するとともに、ハマスによって誘拐された人たちの一刻も早い解放を心から祈っている」と述べました。 コーヘン外相は「10月7日はユダヤ人にとってホロコースト以来の最悪の日だった。日本のイスラエルに対する支援と連帯に感謝する」と述べました。 会談
最初に ・この記事はこの記事 の発信者情報開示訴訟で開示した2人のうちの1人を被告にした、損害賠償請求訴訟の判決の事例の共有です。 ・この記事は発信者情報開示訴訟を安易に勧めるものではありません。 ・事件番号は伏せさせて頂きます。ただし、訴訟の真偽に議論時間を割かれることを作成者は望みません。弁護士・メディアからの正式な問い合わせには事件番号を開示します。 (メールフォーム:事件番号の問い合わせからお問い合わせ下さい。) ※個人からの問い合わせには一切開示しません。法律相談時の参考等に使用したい場合は、相談予定の弁護士の方からのお問い合わせをお願いします。 ・個別の誹謗中傷の相談には対応できません。まずは弁護士に相談してください。 ・ネットの誹謗中傷と発信者情報開示の実態についての正しい知識を得たり、考えるきっかけになれば幸いです。この記事が広く読まれ、安易に危うきに近づずに済む人が増える
新たな経済対策の決定を受けて、岸田総理大臣は記者会見し、企業の賃上げ支援や所得税の減税などの一連の対策を通じ、来年夏には国民所得の伸びが物価上昇を上回る状態を確実に実現したいと強調しました。 この中で岸田総理大臣は「足元における最大の課題は、賃上げが物価上昇に追いついていないことだ。デフレから完全に脱却し、好循環を実現するには一定の経過期間が必要だ」と述べました。 そして第1段階として、年内から年明けにかけて、物価高に苦しむ低所得者などに緊急的な対応として給付を行い、生活を支えていく考えを示しました。 その上で第2段階として、来年春から夏にかけては、本格的な所得向上対策を進めるとして「まず来年の春闘に向けて、経済界に対して私が先頭に立って、ことしを上回る水準の賃上げを働きかける」と述べるとともに、中小企業の賃上げも全力で支援していく方針を示しました。 また経済対策の焦点となっている、1人当
11月19日まで東京・新国立劇場で舞台『尺には尺を』が上演中だが、Xで“元都知事のマナー違反”を目撃したという投稿が波紋を呼んでいる。 発端は10月31日に、演劇評論家の犬丸治氏が次のように投稿したこと。 《土曜夜新国立「尺には尺を」を観た人から、堪りかねて通報。客席の元都知事が、傍若無人、足は投げ出す、お菓子の紙はチリチリポリポリが止まず、老婦人が制してやっとやめたとのこと。「おもてなし」とかチャンチャラおかしい縁なき衆生の醜態》 犬丸氏は続く投稿で、《せっかくのセリフ劇も台無し。後ろで観ていた演出家(鵜山氏でなく、お客)も驚いたらしい。元都知事は夫人と観劇だったらしいのだが、何で制止しなかったのだろうか、残念》と嘆いていた。 すると11月1日に、劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏が《なにやってんだ。ペンチ持って来い。劇場出入り禁止》と反応。ラサール石井(68)も犬丸氏と同じ公演を観
東京大学に提出した博士論文を元に2023年3月に出版された本書は、ノーベル賞作家・大江健三郎のキャリア全体を縦断するかたちで、その死生観の変遷を読み解いた研究書である。本書の刊行直前に、大江はその88年の生涯を閉じた。戦後日本文学のみならず、世界文学を牽引した作家であった彼の逝去に、一つの時代の終焉を見たような喪失感を覚えた人々は少なくないだろうが (私もその一人である)、これをきっかけに大江作品を手にとる読者が増え、近年新たな角度から隆盛を見せていた大江研究がますます発展していくことは間違いないだろう。「死生観」という切り口から、大江という作家の全体像を浮かび上がらせようとした初めての試みである本書が、その発展に少しでも寄与することができれば嬉しく思う。 大江健三郎は、「書き直し」の作家である。東京大学在学中に小説家としてデビューし、「飼育」(1958) で芥川賞を受賞。その後、「最後の
【千葉県誕生150周年記念 オランダ文化交流事業】 「テオ・ヤンセン展」 千葉県誕生から150周年を迎える本年、本県とゆかりの深いオランダとの文化交流事業として、オランダ出身の世界的アーティスト テオ・ヤンセンの展覧会を開催します。 風の力で動く巨大アート作品「ストランドビースト」をはじめ、自筆スケッチや制作に必要な道具なども公開。館内での歩行イベントも毎日開催します。 12月3日(日曜日)には、一般の方も参加できる海岸歩行イベントを千葉ポートパーク内のビーチプラザで開催します。 千葉みなとの海を背景に、まるで生き物のように動く「ストランドビースト」の迫力をぜひ間近で御覧ください。 展示予定作品など 《アニマリス・リジデ・プロペランス》1995年 (c)Theo Jansen 大きなプロペラが風を受けて回転することで動き出す。風を受ける方向に対して、高速で横歩きする。 《アニマリス・アデュ
長期紛争への前哨戦 私は柏市に転居して以来、柏市はもとより隣接する野田市・我孫子市など(東葛飾地方)の歴史に関心を持ってきた。野田市関連では、戦前最長の218日にも及んだ野田醤油(現キッコーマン株式会社)の労使紛争と関東大震災時に発生した福田村虐殺事件(当時の香川県三豊郡、現観音寺市および三豊市の薬売り行商人15人のうち、妊婦や2歳、4歳、6歳の幼児をふくむ9人が斬殺された事件。妊婦の胎児を含め10人とする見方もある)に強くひかれるものがあった。2つの事件は、地元野田市ではタブー視するか「黙して語らない」傾向にあった。 まず、日本の醸造界を代表し世界に飛躍するキッコーマン(本社・野田市)が、古い因習を断ち切るためにも通過せざるを得なかった「労働争議」を考えてみたい。長期ストの前哨戦から話を始める。 大正8年(1919)1月、野田町(当時)に本社・工場を構える野田醤油の労働者1300人が給与
ドキュメンタリー作品を数多く手がけてきた森達也監督が初めて手がけた劇映画「福田村事件」(9月1日 全国公開)。 題材となったのは、100年前の関東大震災の混乱のさなかに、千葉県の福田村(現・野田市)で起きた事件です。 内閣府中央防災会議の専門調査会の報告書によると、当時、関東地方各地では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」などの流言(デマ)が広がり、多くの朝鮮人や中国人が民衆や軍、警察によって殺傷されました。 福田村では、香川県から来ていた薬売りの行商の一行が、地元の自警団に朝鮮人と疑われたことをきっかけに襲われ、幼い子どもや妊婦を含む9人が命を落としたのです。 映画では、実際に起きたこの事件を基に、混乱のなかで善良な村人たちが過激化していく様子が描かれています。 なぜ、彼らは根拠のない情報を信じ、人を殺してしまったのか-。 今回、村人たちを止めようとする夫婦役を演じた主演の井浦新さ
町山智浩さんが2023年8月29日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『福田村事件』について話していました。 (町山智浩)で、今日はですね、今週の金曜日。9月1日になるんですけれども。関東大震災からちょうど100年目なんですね。それで、ちょうどその9月1日に日本公開になる日本映画なんですが。『福田村事件』という関東大震災についての映画を紹介します。これはね、僕の知り合いも出てまして。水道橋博士が出ています。 (でか美ちゃん)俳優として? (町山智浩)はい。博士が参議院議員に当選した後に撮影してるんですけど。 (でか美ちゃん)ああ、そうなんですか? (町山智浩)そうなんですよ。で、彼の俳優がとして……今まで、何本かやってきてるんですけど。今回は一番いいですね。 (でか美ちゃん)へー! YouTubeもね、町山さんのに出られたりしてましたよね。水道橋博士。 (町山智浩)はい。なんか今、だん
制作する上で重要な資料となったのが千葉県流山市の辻野弥生さん(82)のノンフィクション「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」(五月書房新社)だ。もとは地方出版社から刊行されていたが今年7月、増補改訂版として復刊された。こちらも好評で、すでに6刷となっている。 当時、「井戸に毒を入れた」などのデマがもとで、多くの朝鮮人が虐殺されたが、香川の行商人らは方言から朝鮮人と疑われ、行商用の鑑札を持っていたにもかかわらず殺害された。地元でタブーになっていた事件を丹念に掘り起こした辻野さんは、映画製作にも企画協力者として関わった。映画の反響や、都合の悪い歴史を活字にする意義などを聞いた。ロングインタビューを2回に分けてお届けする。 × × × ▽予想外のヒット -映画の公開前は、お客が来るだろうか?と心配されていたそうですね。 はい。ところがふたを開けてみたら大ヒットになりました。すでに16
1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。 大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まって
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