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ブックマーク / www.u-tokyo.ac.jp (19)

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    東京大学に提出した博士論文を元に2023年3月に出版された書は、ノーベル賞作家・大江健三郎のキャリア全体を縦断するかたちで、その死生観の変遷を読み解いた研究書である。書の刊行直前に、大江はその88年の生涯を閉じた。戦後日文学のみならず、世界文学を牽引した作家であった彼の逝去に、一つの時代の終焉を見たような喪失感を覚えた人々は少なくないだろうが (私もその一人である)、これをきっかけに大江作品を手にとる読者が増え、近年新たな角度から隆盛を見せていた大江研究がますます発展していくことは間違いないだろう。「死生観」という切り口から、大江という作家の全体像を浮かび上がらせようとした初めての試みである書が、その発展に少しでも寄与することができれば嬉しく思う。 大江健三郎は、「書き直し」の作家である。東京大学在学中に小説家としてデビューし、「飼育」(1958) で芥川賞を受賞。その後、「最後の

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    bt-shouichi 2023/11/03
    菊間晴子著『犠牲の森で 大江健三郎の死生観』
  • 東京大学 学内広報 NO.1574 | features

    「新しい人よ眼ざめよ」(1983年)の自筆原稿では、当初題名が「眼ざめよ、おお、新時代の若者らよ」だったことが見せ消ちからわかります。『水死』(2009年)では、自筆原稿・初校・再校・三校と4つのバージョンを比較することが可能。 沼野充義先生が橋渡し役に 2018年に講談社が全15巻の全集の刊行を始めた際、各巻の装丁には出版社や編集者から託された多くの自筆原稿が使われました。その後、これらの原稿をどうするかを全集の編集者と解説者が検討した結果、母校の東大に寄託する案が浮上。お二人と旧知の沼野充義先生(現・名誉教授)に打診があったことから、文学部での検討が始まりました。沼野先生が在籍する現代文芸論、大江さんが在籍したフランス文学、そして国文学。3つの研究室が中心となって、大江文庫設立準備委員会が発足しました。 「光栄なお話でしたが、作家の何万枚もの自筆原稿を預かった例はありません。早稲田大学

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    bt-shouichi 2023/10/04
    大江健三郎文庫発足/“画数が多い字でも省略せず丁寧に書いていて、字の読みやすさは最後まで変わりません。「悪」を「惡」と書くなど旧字体を選び続けたのも特徴的。”
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    西洋文明を理解するうえで、キリスト教は欠くことのできない要素として挙げられる。現在のキリスト教は多くの教派・宗派に分かれているが、古代から中世にかけての西ヨーロッパ社会においてはキリスト教といえばローマ・カトリックのことであった。中世を中心として古代からルネサンスにいたるまでの時代の西欧キリスト教の指導者たる教皇と教皇権の歴史を描いたのが、書『中世教皇史』である。 著者のG・バラクロウ (バラクラフとも) は20世紀イギリスの歴史家で、ケンブリッジやオックスフォード、ブランダイスなど英米の各大学で教鞭を執った。中世の教皇庁制度史から研究をスタートさせたのち、ドイツなどをはじめとする中世ヨーロッパの歴史全般へと研究の対象を広げ、キャリアの後半には比較史・世界史・現代史へと考察対象の幅を拡げた。過去と現在を見渡す文明史家としての視野の広さ、そして造詣の深さはいくつもの著作として形を取り、それ

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    bt-shouichi 2023/01/24
    中世教皇史 [改訂増補版] ジェフリー・バラクロウ (著)、 藤崎 衛 (訳)/「教皇の歴史 (history of the popes)」ではなく、あくまでも「教皇権の歴史 (history of the papacy)」
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    『万葉集』を典拠とする「令和」改元を機に、奉祝ムードが広がった。自民党政権が『万葉集』を利用して国民をいいようにたぶらかしているのに、マスコミはまともに批判しようとしない。座視できない事態である。40年『万葉集』を研究してきた立場として警鐘を鳴らすべく、大急ぎで取りまとめたのが書である。 総理大臣の談話がなされた4月1日に一晩で書いて、新聞に投稿した文章がSNS上に流出し、評判を取った。これをいくらか増補して『短歌研究』誌に掲載した文章が第1章。天平二年に大伴旅人が主催した梅花の宴が、前年に左大臣長屋王が冤罪で処刑された事件に抗議する文化的示威行動だったことを指摘するとともに、「令和」の典拠とされた梅花歌并序の文を精読すると、〈権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない〉という、政府関係者にとっては青天の霹靂ともいうべきメッセージが読み解けるとする。 第2章は、かつて東大駒場の「高

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    bt-shouichi 2022/05/05
    「万葉ポピュリズムを斬る』品田悦一/“梅花歌并序の本文を精読すると、〈権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない〉という、政府関係者にとっては青天の霹靂ともいうべきメッセージが読み解けるとする。”
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    学生であった頃、人文系の学問における最良の入門書とは、平易に書かれた解説書や概説書などではなく、その学問の古典である、と教えられたが、それから多くの40年以上の月日が流れた現在、私はその考えに全く同感する。美学にとって古典といえば、まずもってカント (1724–1804年) の『判断力批判』(1790年) (とりわけその第一部「美的判断力批判」) を挙げるべきであろう。おそらく多くの専門家がそのことに同意するはずである。ところが、難解をもって知られるこの書物を読もうとして挫折した人も多いと思われる。仮に読み通せても、一体何が書いてあるのかわからず仕舞い、ということになりかねない (実は、私の場合もそうであった)。 書において私は、『判断力批判』の詳細な読解と解釈をとおして、美学それ自体へと読者を誘うことを企てた。こうした試みは、これまで西欧語においても日語においてもなされたことはない。

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    bt-shouichi 2022/04/03
    小田部胤久著『美学』/“全体で10からなる章の構成は、『判断力批判』第一部の構成に正確に対応している。”
  • TANSEI_P01-32

    [ TANSEI ] C o n t e n t s 17 02 12 20 2006/01 22 24 26 02 TANSEI 03 TANSEI 04 TANSEI 05 TANSEI 06 TANSEI 07 TANSEI 08 TANSEI 09 TANSEI 10 TANSEI 11 TANSEI

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    bt-shouichi 2022/03/12
    東大の広報誌「淡青」17号(2006年1月)。巻頭は大江と古田元夫副学長の対談「知識人になること」
  • UTokyo BiblioPlaza

    学生:これはどういうですか? 著者:これは、「日政治思想史」のです。17世紀から19世紀が主な対象です。つまり、徳川の世から、いわゆる「維新」を経て、「明治」の年号が終わる頃までです。その頃に、「日人」(徳川の世においては、琉球国の人々とアイヌの人々は含みませんでした。ここでもその意味です) が、広い意味の政治をめぐってどのような思いや考えを持ち、それがどう変化したかを探る試みです。 学生:それを調べて、何になるのですか? 著者:例えば、いわゆるペリー来航後、わずか14年余で徳川体制が崩壊し、突然、「文明開化」を推進する政府ができたのは何故でしょうか。当時の人々がそのように行動したからですよね。では、何故そのような行動をしたのかといえば、それなりの考えがあったからでしょうね。では、それは、どのような考えだったのでしょうか。 つまり、政治思想が分からなければ、「明治維新」と呼ばれてい

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    bt-shouichi 2021/12/28
    “第十二章 対話 徂徠とルソー”…岩波の『思想』に載ってたオチが切ないやつか…?
  • UTokyo BiblioPlaza

    タイトルがややミスリーディングかもしれないが、書は、宗教と赤軍などの過激派の関係を論じたものではなく、一般社会から過激視された宗教思想を分析したものである。2016年度に実施した学文学部・大学院人文社会系研究科合同の宗教学演習がもとになっている。IS (ISIS,ISIL,イスラム国) がシリアで版図を広げ、ISに直接的・間接的に関係するとされるテロが各地で発生している状況を受けての試みだった。授業には宗教学専攻の学生だけでなく、他学部の学生や留学生が何人も集まり、関心の高さが窺われた。ところがその反面、初回の授業でまず「“イスラム過激派”とよく言うが、過激派の反対は何か?」と聞いたところ、答えられる学生がいなかった。ただ一人、50歳代の社会人学生を除いては。つまり、「過激派」と聞いてすぐに赤軍を連想する世代には、過激派が穏健派と対になる概念であることは自明だが、今の多くの学生にはそう

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    bt-shouichi 2021/12/14
    “タイトルがややミスリーディングかもしれないが、本書は、宗教と赤軍などの過激派の関係を論じたものではなく、一般社会から過激視された宗教思想を分析したものである。”
  • UTokyo BiblioPlaza - 万葉集の発明

    19年前の著作であり、長らく品切れのままとなっていたが、改元の際の総理大臣談話に接した昔の読者たちが、「馬鹿なことを言うな。品田のを読め」とSNS上で話題にした結果、またたくまに新装版刊行となった。初版刊行後判明した新事実を巻末に五点掲げ、全体に誤植の訂正を施したが、それ以外は初版と同内容である。首相談話にも表れていたような通念の成り立ちを批判的に再検討した書として記憶されていたらしい。 日が近代国民国家として立ちゆくためには、人々に「国民」という意識を行きわたらせる必要があった。この必要に促されて、過去の諸文献から和文の諸テキストが選出され、国民の古典と認定された。そうした古典群にあって『万葉集』は当初から至宝の地位を授けられ、やがて広汎な愛着を集めることになった。 『万葉集』を日の国民歌集とする通念には、実は二つの側面がある。 一つは、「古代の日人真実の声があらゆる階層にわたっ

    UTokyo BiblioPlaza - 万葉集の発明
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    bt-shouichi 2021/11/04
    “19年前の著作であり、長らく品切れのままとなっていたが、改元の際の総理大臣談話に接した昔の読者たちが、「馬鹿なことを言うな。品田の本を読め」とSNS上で話題にした結果、またたくまに新装版刊行となった。”
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    2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、明智光秀が主人公でした。どの大河ドラマ作品もそうですが、主人公をめぐる関連書籍がいつもおびただしく出版されます。書もそのうちの一冊ではありますが、かなうならば大量の関連書籍に埋もれないようにしたいと思って執筆をしていました。 わたしは史料編纂所において、『大日史料』という編年史料集の編纂を職務としています。なかでも担当する時代は、大雑把に言えば、織田信長が政治の実権を握っていた時期にあたります (第十編という編目です)。現在は天正三年 (1575) の史料集編纂を進めており、ちょうど5月21日に起きた長篠の戦いに関わる史料集刊行を間近にしています。明智光秀は長篠の戦いに参陣しなかったものの、この直後信長家臣としての彼の主要な任務となった丹波攻めを命ぜられるような時期にあたります。 新書ではありますが、書では、できるだけこうしたわたし自身の

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    bt-shouichi 2021/10/31
    金子拓著。平凡社新書
  • UTokyo BiblioPlaza

    江戸中期の儒学者である宇野明霞は、次のように嘆いている。富士山と徂徠先生は中国にも匹敵するものが稀なほど優れているのに、惜しいことに日でしか知られていない―と。富士山の知名度には遠く及ばないであろうが、現在、荻生徂徠を専門とする研究は、日に限らず、世界各地で行われている。書は、様々な国籍の研究者によって分担執筆された、英語による徂徠思想の入門書である。 第一部は、徂徠の主要著作の解題である。『弁道』『弁名』『政談』といった、儒学や同時代の政治に関する徂徠の著作は、既に英訳が刊行されている。書の解題では、それらに加えて、兵学や言語研究に関する著作も取り上げた。“Tetsugaku Companions to Japanese Philosophy”というシリーズ名からすると、違和感のある著作の選択になっているかもしれないが、徂徠の学問関心が多方面に及んでおり、それらが連関していること

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    bt-shouichi 2021/10/14
    英語による徂徠入門書。“江戸中期の儒学者である宇野明霞は、次のように嘆いている。富士山と徂徠先生は中国にも匹敵するものが稀なほど優れているのに、惜しいことに日本でしか知られていない―と”
  • UTokyo BiblioPlaza

    私は、2007年、国益についての日最初の学術的概説書となる「国益と外交」(日経済新聞社) を執筆しました。その一部は中国でも出版され、多くの書評で取り上げられました。「日の国益」は、その延長線上にある書であり、「開かれた国益」という概念をベースにしつつ、国益の歴史的展開を辿る中で、国益の質に迫り、不確実性の高まる時代においていかに日の国益を確保するかを論じました。 毎年開講するゼミでは、学生たちに「国益とは何か?」と質問します。外務省や防衛省や財務省など国益に関係する官庁を志望する彼らも正解を探しあぐねるようで、回答も様々です。 しかし、政治やメディアの世界では、日々、「国益」の言葉が飛び交っています。 これほど当たり前に使われ、わかったつもりになっている言葉でありながら、深い議論がなされてこなかったテーマを筆者は他に知らない。 今日、世界では主権や「国益」が声高に叫ばれる。トラ

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    bt-shouichi 2020/09/30
    “第1章で、「国益」の概念をわかり易く解説した。外交において留意すべきは、自国に国益があれば、他国にも国益があり、未成熟な国際社会にも「国際的な公益」があることを認識することである。”
  • 行政システムの透視図を描き出し、見えてきたものを社会に伝えたい。| UTOKYO VOICES 095 | 東京大学

    行政システムの透視図を描き出し、見えてきたものを社会に伝えたい。| UTOKYO VOICES 095 日政治を見通せる第一線の政治学者として、マスメディアや国の重要な委員会から見解を求められることも多い。しかしもともと牧原は、こうした依頼があっても「自分のすべき仕事はあくまで『研究』だから」と断っていた。考えが変わったのは2011年だ。 「東日大震災を仙台で経験してからです」 勤務していた東北大学からわずか数キロ先で、津波によって多数の命が失われた。このとき牧原の中で、社会に生きる多くの人々と自身の人生が直に結びついた。自分に求められることがあるなら、できることは何でもしよう、と牧原は思った。 牧原の仕事は、日の行政システムを実態に即して研究し、その姿を明らかにしていくことだ。 日政治は長く自民党の長期政権を特徴としてきた。ゆえに政治学の世界で自民党研究は盛んに行われている。

    行政システムの透視図を描き出し、見えてきたものを社会に伝えたい。| UTOKYO VOICES 095 | 東京大学
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    bt-shouichi 2020/08/07
    “ 「政党の意思決定過程はリーダーの決断や議員の集合行動から説明できるでしょう。しかし行政は『システム』としてのプロセスがまるで見えないんです。僕はそれを“透視”してみたかった」”
  • 懲戒処分の公表について | 東京大学

    東京大学は、大学院情報学環 大澤昇平特任准教授(以下「大澤特任准教授」という。)について、以下の事実があったことを認定し、1月15日付けで、懲戒解雇の懲戒処分を行った。 <認定する事実> 大澤特任准教授は、ツイッターの自らのアカウントにおいて、プロフィールに「東大最年少准教授」と記載し、以下の投稿を行った。 (1) 国籍又は民族を理由とする差別的な投稿 (2) 学大学院情報学環に設置されたアジア情報社会コースが反日勢力に支配されているかのような印象を与え、社会的評価を低下させる投稿 (3) 学東洋文化研究所が特定の国の支配下にあるかのような印象を与え、社会的評価を低下させる投稿 (4) 元学特任教員を根拠なく誹謗・中傷する投稿 (5) 学大学院情報学環に所属する教員の人格権を侵害する投稿 大澤特任准教授の行為は、東京大学短時間勤務有期雇用教職員就業規則第85条第1項第5号に定める「

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    bt-shouichi 2020/01/15
    東大よさらば! 最年少氏堂々退場す/カギカッコなしで反日勢力とか書いちゃうんだなぁ
  • UTokyo BiblioPlaza

    吉野作造は、大正デモクラシーを指導した代表的な知識人である。書は、大正期に吉野が東京帝国大学において行った講義を学生が筆記したノートの再現である。吉野はきわめて精力的に評論・史論を発表しているのに、なぜ、講義ノートを再現しなければならないのか。 まず、大正期・昭和戦前期の言論状況においては、例えばデモクラシーやアナキズムに論及する際、国体観念との関係で注意が必要であった。講義は、大学という比較的閉ざされた空間において、その学生という比較的に先進的かつ同質的な聴衆に対して行われたものであった。そこでの発言は、商業流通に載せた刊行業績よりも闊達なものであり、他者による筆記であるという制約を加味しても、注目に値するといえる。 次に、その筆記者は、矢内原忠雄、赤松克麿、岡義武であり、それぞれ植民地研究、社会運動、日政治外交史の領域で後に重要な役割を果たすことになる学生であった。その意味でこの講

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    bt-shouichi 2019/07/30
    五百旗頭薫による紹介
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    書は、従来、教科書などでは取り上げられてこなかった、ポルトガル人の日における奴隷取引の歴史に焦点をあてたである。ヨーロッパ人の日への来航やキリスト教布教は、いまだ、情緒的あるいは浪漫的に語られることを常とする。そこに人身売買のような生々しい事実が組み込まれることは、敬遠されることが多い。またそれだけではなく、戦前にはすでに先行研究があったこの分野の研究がほとんど進展しなかった背景には、奴隷貿易の実態を、史料の分析を通じて、より具体性をもって描くことができる研究者の不在があった。著者であるルシオ・デ・ソウザは、これまで英語や母国語でポルトガル人の奴隷貿易に関する研究を発表してきたが、日においてとりわけこの分野についての知的欲求が高いことに鑑み、日語で研究の一部を発表することにした。翻訳された文章の整理のみならず、内容についても、より日人に分かり易いものとするため、南蛮貿易研究を

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    bt-shouichi 2019/04/14
    “大半は、10歳にも満たない子供の時期に、外国人に売られたケースが多い。「年季奉公」の感覚で親に売られる者、戦争で誘拐されて売られた者、戦乱の時代に飢えて死ぬよりは、海外で生き抜くことを選ぶ者など”
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    大学院法学政治学研究科 (法学部) 教授の著書のタイトルに「相撲」の文字は、似つかわしくなく思われるかもしれない。しかし、「国技」と呼ばれるだけあって、相撲の歴史は「日」という構造と密接な関係をもって推移してきたのであり、著者が専攻する「日法制史」という分野と強ちに無縁なわけでもない。最初の著書として『相撲の歴史』(山川出版社1994→講談社学術文庫2010) を世に送って以来、なぜ相撲なのか、と問われる度ごとに、そんな自己弁護を繰り返してきたところではある。還暦が近づいた今なおマワシを締めて稽古に参加する相撲部長の言い訳を、まともに受け取ってくれる人は必ずしも多くはないが。 書は、旧著『相撲の歴史』で示した相撲の歴史の全体像を踏まえつつ、まずは相撲の技法がその時々の条件の中でどのように構築され、条件の変遷に沿っていかに変容してきたかを辿り (第一部)、歴史の堆積の上に構築された現代

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    bt-shouichi 2019/02/17
    “歴史学者としての歴史的分析と、実践・指導に携わってきた立場からの技術的分析の両方を、一書に併せ具えることは、おそらく余人の能くなすところではあるまい。”もちろん新田教授である
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    明治以来の「宿題」領域に向けて 日の法律学は、明治以降、フランスやドイツ、イギリスなどから、法律体系それ自体やその基礎となる考え方を取り入れることで発達してきた。また特に戦後は、これらの国を凌ぐ大国となったアメリカが、日の法律学にとっても重要な参照対象として加わった。その時代その時代の世界地図は、法学部の研究・教育内容をもまた、直接・間接に規定している。駒場から法学部に進学したとき、「ここでは明治維新がまだ続いている!」という印象を覚えたが、このこともそうした事情に由来するものであろう。 大きく「西洋法の継受」と呼ばれるこの百年余の営みは、単に「輸入法学」として片付けることのできない、比較法的に見ればむしろ創造的なものを多く含むプロセスであった。今日の日の法律学は、西洋法の理解としても、またわが国で独自の発展を見た各個別領域の点としても、国際的にかなりの水準に達しており、学部生として

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    bt-shouichi 2017/10/28
    福岡安都子、自著を語る/西洋法の継受…「駒場から法学部に進学したとき、「ここでは明治維新がまだ続いている!」という印象を覚えた」
  • 東京大学 | 研究者へインタビュー | tenmplate

    の社会をよくするために 女性の視点とパワーに期待 大学院法学政治学研究科 教授 柿嶋 美子 Yoshiko KAKISHIMA ~両親の期待に応えて進学校へ~ 子どもの頃は、何でも「なぜ?なぜ?」と訊くので、「お前は理屈っぽい」と随分言われました。うちは、母も父も、「自分にも他人にも厳しい」、そして良い意味でも悪い意味でも、強い上昇志向のドライブが掛かっている人たちでした。中学受験をして進学校に進みましたが、受験勉強も、今のように塾弁を持って小学生が夜遅くまで塾に行くというような異常なことはなくて、模試を何回か受けて勉強するくらいでした。 中学受験をしたのは、少なくとも私の目には、母が私より弟をかわいがっていると思え、そのことを悲しく感じており、勉強を頑張ると、母親が私の方を向いてくれると感じ、それが嬉しかったからです。子どもなんてそんなものです。いじらしい存在です。母は仕事を続け、仕

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    bt-shouichi 2016/08/05
    「男のように生きようと決意」した中学生の頃に出会った『竜馬がゆく』を読んで「龍馬になろう」と決意。剣道のみならず、東大法学部を選んだのも龍馬の影響!?/東大法学部初の女性教授+東大剣道部初の女子部員
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