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ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (10)

  • オードリーの発見 - てれびのスキマ

    「最近僕は山里亮太っていう男を見失っているんですよ」というオードリーの若林の言葉が発端となった企画が放送されたのが6月20日、27日深夜の『もっとたりないふたり』(日テレビ)だ。 若林: もう一度、山ちゃんを一から知りたいということで。じゃあ、何で一番知れるのかっていうとネタ帳だったわけですよ。 山里: 正直、他人に見せるものじゃない。ネタ帳が誰よりも何よりも自分のすべてが書いてあるんです。親も知らないような、相方ももちろん知らない。誰も知らないことが唯一書ける、全てを知ることができるのがネタ帳なんです。 若林: 驚きました。 山里: 無修正ですよ、これ。 若林: だから家にあるネタ帳、全部持ってきてくださいってことで。これが全部、山ちゃんの家に残ってる… 山里: 72冊だって。すっごいよね。 若林: 「ヤバいの抜いてねえか?」っていう時期があったんですよ。「おい、山里?」と。そしたら追

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    budapest 2014/06/26
  • 「バカッター芸人」太田光の“後悔” - てれびのスキマ

    タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?』、お陰様で好評を頂いております。 恥ずかしながらエゴサーチャーと化して、Twitter、ブログ、ブクログ、読書メーター、Amazonなどに書いて頂いた感想を賛否問わずまとめました。一応だいたい時系列で並んでいるかと思います。結果、ほとんど「否」の意見もなく大変ありがたいのですが、賛否関わらず漏れていたりしたらお知らせ下さい。(逆に勝手に載せるなっていう場合も) 戸部田誠(てれびのスキマ)著『タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?』感想まとめ さて、今回は3月24日に放送された『ストライクTV』最終回についてです。 後悔 太田: 僕はね、心の中で「口は災いの元」って思った回数、世界一多いと思う。 爆笑問題の太田光といえば、暴言を吐いたり余計なことを言ったりしてたびたび問題を起こしたり、その場の空気がおかしくなってしまうことが多い。 そんな

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    budapest 2014/04/05
  • タモリ、又吉、東京ポッド、マツコ……それぞれの「東京」論 - てれびのスキマ

    『笑っていいとも!』終わってしまいましたね……。 いまだに呆然としてしまっています。素晴らしい、夢の詰まったフィナーレだったと思います。 不遜なことを言えば『いいとも』「グランドフィナーレ特大号」のエンディングが『タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?』の最後の締めにつながったのではないかと思います。 タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?posted with amazlet at 14.04.01戸部田誠 (てれびのスキマ) イースト・プレス 売り上げランキング: 94 Amazon.co.jpで詳細を見る ちなみに『いいとも』「グランドフィナーレ」については「日刊サイゾー」の連載コラムに書かせていただきました。 キング・オブ・スタジオドキュメント『いいとも』の終わり方 - 日刊サイゾー さて、そんな『いいとも』の最終期の人気コーナーのひとつが金曜日の「目指せ!言葉の達人」

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    budapest 2014/04/02
  • オリエンタルラジオという実験- てれびのスキマ

    11月15日、22日に放送された「ブラマヨとゆかいな仲間たち」のゲストはオリエンタルラジオ。前回のエントリと同じコーナーからになってしまうがあまりにも凄かったので、こちらも記録しておきたい。 中田は収録前、スタッフから「音でお願いします」と言われ「音になり過ぎたらあまり笑いにならないかもしれませんよ」と返すと「笑い、いりません」って答えられたというようにあまりにも率直に音を明かしていた。 (というわけで長くなります。) 過去最高レギュラー数19、ゴールデンに冠番組を同時に3持っていたという全盛期。当時の心境を番組終盤で中田はこう語る。 中田: 正直なこと言うと、どういう感覚なのかっていうと、やっぱり不安ですよね。デビューしてすぐにバーンってF1カーに乗ったような時速300キロで首がもげそうな感じなんですよ。「ムチ打ち!ムチ打ち!」っていう(笑)。 小杉: 免許取り立てやもんね。

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    budapest 2010/11/25
  • 明石家さんまの眠らない哲学 - てれびのスキマ

    今年の1月から、全17回にわたり「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載された「さんまシステム」。「ほぼ日」史上に残る傑作コンテンツである。 この連載の凄さは、さんまのあの引き笑いを 「クワー(笑)」 と、表現したことだけでは勿論ない。 常々「一体いつ寝ているんだ」と言われる明石家さんまの睡眠論を探るという対談のはずだったが、案の定、それだけでは終わらず、彼の芸人論やら、生きる哲学やらを喋りまくることになったからだ。 「27時間テレビ」を期に、もう一度読みなおそうとしたところ、最初から「期間限定」と謳っていたとおり、もう見れなくなってしまっていた。あまりにも面白い対談なので未読の方は書籍化とかの際は是非とも読んでほしいところ。 ということで個人的に特に面白かったところを抜粋して引用してみたい。ダイジェストで。 まずは、さんまの眠らない生活。それがいかに凄いものであるかを表すエピソード。 さんま「で、ジ

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    budapest 2008/07/29
  • 有吉弘行が輝きを取り戻した理由 - てれびのスキマ

    いまさら言うまでもなく、ここ最近の有吉弘行の活躍は目を見張るものがある。おそらく、吉芸人との毛色の違いもありスタッフから重宝され、その安定感で信頼も絶大なのだろう。 彼の真骨頂ともいえるヒドいニックネームの命名は、先日の検索ちゃんSPでの中山秀征=「バブルの生き残り」を筆頭にまだまだ冴えわたっている。 一体なぜ、彼はこうして復活できたのだろうか? そのヒントとなるのが、前号(20年3月発売)の「hon-nin vol.06」のインタビュー*1である。その中で有吉は「芸人・有吉は数年前に死んでますから」と語っている。 猿岩石を解散して仕事が一気に減ったじゃないですか? ある月、ついに月給が0円になっちゃったんですよ。あぁ、これは芸人として終わったな、と。人生を一回リセットしたんです。そのとき。 当は芸人を辞めようと思ったんですよ。でもウチの事務所の先輩たちから「芸人を辞めるな。家賃や生活

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    budapest 2008/07/08
  • 阿久悠をも唸らせた半田健人の歌謡曲鑑賞術(阿久悠追悼に変えて) - てれびのスキマ

    7月28日、NHK総合で放送された「通(つう)」という番組に、生前の阿久悠が出演していた。相変わらず情熱的だけど、随分年老いたなあという印象だったから、その直後に訃報を聞いた時はなんだか複雑でショックだった。 「歌謡曲」をテーマにしたこの回では、「タモリ倶楽部」等でもマニアっぷりがお馴染みの半田健人がますだおかだに歌謡曲の味わい方を指南するという体で、それを別室(というかVTR)で阿久悠が聞き、半田健人の味わい方についてコメントするという流れで構成されている。 「まだ23歳でしょ?」というますだおかだに対して半田は「リアルタイムっていうのは油断してるんですよ!」と返し、「歌謡曲の正しい聴き方(僕流の)」をレクチャーしていく。 ●歌詞カードを欠かしてはならない! ●作詞・作曲・編曲者の事前チェックは礼儀。知らないと曲に失礼! ●歌詞カードで見た上でなおかつ、ヘッドフォンで聴く。 ここで、阿久

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    budapest 2007/08/07
  • カンニングを作った男|てれびのスキマ

    現在発売中の「クイック・ジャパン Vol.70」では、「中島がなくなったことについてのインタビューは絶対に受けないと決めて」いたというカンニング竹山隆範だが、「QJ」にならということで、それを含めて今までのカンニングの歴史を語っている。 「竹山隆範すべてを語る23,000字」と題されたそのロングインタビューで個人的に印象に残ったのは、彼らのターニングポイントとなった「虎の門」出演でのエピソード。 竹山は、初めて「めちゃイケ」に「笑わず嫌い王」で呼ばれた時、片岡飛鳥から言われた言葉が、いまだに頭に残っているという。 「お前らを最初にTVで使った人はすごい。一生感謝しろよ。俺じゃねえぞ」 それが「虎の門」チーフディレクターの藤井智久だった。 そのネタ見せオーディションでの出会いを竹山が述懐する。 「どうせまた受かんねえんだろ」なんて中島と言いながら「おはよーざす」って会議室に入ったら、藤井さん

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    budapest 2007/02/19
  • Youtubeでテレビ回顧録②「生き様としての江頭2:50」 - てれびのスキマ

    「1クールのレギュラーより1回の伝説」というのは、江頭2:50自身による名言であるが、数々の伝説を残している彼の当の伝説といえば、彼の生き様さえも映し出した「浅草橋ヤング洋品店」での「江頭グラン・ブルー」であろう。 当時の事が生々しく描かれている浅草キッド著の「お笑い 男の星座2」から引用しながら振り返ってみよう。 ことの始まりは、1993年のことである。当時、江頭は、お笑い集団、大川興業の構成員の中でも、そのノー・フューチャーで過激な芸風から演芸マニアの間で名を馳せ“放送禁止芸人”として、深く、そして静かに、その知名度を広げていた。 しかし、所詮はテレビ対応が出来ないアンダーグラウンドな有名人どまりでしかなかった。 ところが、そんな男の噂が、鬼才・テリー伊藤の耳にも及び、彼の広角レンズにロック・オンされるまでさほど時間はかからなかった。 程なくして江頭は、テリー伊藤からテレビ東京の新ゴ

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    budapest 2006/09/18
  • てれびのスキマ:ひな壇芸人の基礎知識

    お笑い芸人の中に、テレビ番組を地味に支える「ひな壇芸人」と呼ばれる人々がいる。 先日放送の「アメトーク」にて、彼らが一堂に会して、その心得などを語ってくれた。 ■ひな壇芸人とは? 現在のバラエティ番組の多くは、MCとその傍らにひな壇を配し、そこに多くの芸能人を座らせ、彼らにMCが的確に話題を振っていくことで成立している*1。 そんな中で、そのひな壇の後列の席に陣をとるのが「ひな壇芸人」である。 ひな壇の基的な配置は以下の通り。 ・前列……有名芸能人*2。 ・後列中央……お笑い系でも視聴率を持っている若手*3やグラビア、特撮俳優。 ・後列両サイド……いわゆる「ひな壇芸人」。多くは左サイドコンビ芸人、右サイドピン芸人。ちなみに「ベストひな壇芸人」は司会者からいちばん離れたポディション。一番声が大きく、動ける人が座る。 両サイドから有名芸能人が心地よく喋れるために合いの手やツッコミを入れ、オチ

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    budapest 2006/06/29
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