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人物とこまった人に関するbuhikunのブックマーク (2)

  • こんな連中といっしょの会議に出席しているようでは、乙武洋匡も程度が知れる(ほか)(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

    映画、旅、その他について語らせていただきます。 タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。 最初に、乙武洋匡という人について、私は著書も読んだことはないし(「五体不満足」の最初の何ページかは読みました。これは読んだうちにならんでしょう)、いままでの言動や行動その他についてもこれといって把握はしていません。2回くらいトーク番組で彼を見たくらいです。保守的な人間だという仄聞は耳にしますが、それくらいです。 が、今回の記事を書くに当たって彼の過去の言動その他についてとくに確認はしません。今回の記事の内容だけで、私の主張にはじゅうぶんだからです。 過日の大阪市のトンデモ条例案 で、ちょっと話題になったのが高橋史朗の「親学」なるものをその根の考えで背景にしているということです。 高橋の「親学」なるものは、wikipediaによると >現在は、家庭の教育力が低下・崩壊の危機に瀕して

    こんな連中といっしょの会議に出席しているようでは、乙武洋匡も程度が知れる(ほか)(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
    buhikun
    buhikun 2013/05/24
    過去記事だが、表記の人はやはり香ばしい。山田宏(ご存知維新)時代の杉並に来た頃から知ってた(苦笑)
  • 自称「現代の坂本竜馬」は単なる厄介者であることが多い - FANTA-G:楽天ブログ

    2012.02.10 自称「現代の坂竜馬」は単なる厄介者であることが多い (2) カテゴリ:カテゴリ未分類 ふと思ったのですが。 他人からそう呼ばれるのであるならともかく、自らを「現代の坂竜馬」と名乗る人間って、単に理解されない事を正当化するための方便である場合の方が多いんじゃないかと。 っていうか「今は理解されなくても後の時代が評価する」って、坂竜馬も別に自分の死後、司馬遼太郎という歴史小説家に取り上げられ、大ベストセラーにならなければ、当に一部の人しか知らない無名の人だった訳だし。 坂竜馬に限らず、自らを歴史の偉人に例える人は、たいがい単なる厄介者であることが多いですね。そもそも偉人は自らを別の偉人に例えないだろうし。 上のようなことを言っている人を見たら「オレがガンダムだ!」ぐらいに聞き流した方がいいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう いいね!0 シェアする

    自称「現代の坂本竜馬」は単なる厄介者であることが多い - FANTA-G:楽天ブログ
    buhikun
    buhikun 2012/02/10
    自称ハックル先生マダー(^(00)^;;
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