ども。コトリです。 以前、地元宮崎の銘菓について紹介したことがあります。 上京して20年近く。東京に出てきて初めて「え?これ東京にないの?」となるぐらい九州でポピュラーだった食品・お菓子・飲み物を今日は紹介します。 九州 ...
![九州人が勝手に全国区だと信じているローカルフード・駄菓子を紹介するよ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c1abd62bdd392083736dccaae75a212d4be8ed3d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.kokoro-fire.com%2Fwp-content%2Fuploads%2F2019%2F04%2Ff69da6c52358ae3eec206b3b540b1d1b.png)
ども。コトリです。 以前、地元宮崎の銘菓について紹介したことがあります。 上京して20年近く。東京に出てきて初めて「え?これ東京にないの?」となるぐらい九州でポピュラーだった食品・お菓子・飲み物を今日は紹介します。 九州 ...
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の本日(2014年9月14日)放映分は、なんと「城井谷の悲劇」である。 ぼくは以前のエントリで、“どうせNHKはこの官兵衛の黒歴史は描けまい。ハハハハ”と侮りまくっていた。 屋代尚宣『黒田官兵衛と宇都宮鎮房』 - 紙屋研究所 NHKパンフの描き方にみられるように、大河ドラマの主人公が謀殺などをした男であってはならず、このエピソードがとりあげられることはまずない。 職場でこういう話が好きな人と、「まさかあのエピソードは扱うまい」と話題にしていた 正直、スマンカッタ かなり、しっかり、はっきり扱いましたね……。ええ。 NHKの描き方は、次の通りである。 宇都宮に大敗したのは官兵衛ではなく、息子の長政の独断専行であって、官兵衛の天才軍師としての実績には傷はつかない。 その後の宇都宮攻めでは、長政が作戦を立てたものの、官兵衛の承認のもとにおこなわれた「官兵衛の管理下の
戦前の国有鉄道の車掌が沿線の観光地を口上で紹介する際に使っていた案内文を、大分市の鉄道愛好家が見つけた。別府を「此の風光の明媚は、実に東洋のナポリ」と表現するなど、乗客を和ませる話術の種本だったらしい。主要な鉄道資料館にも残っていない珍品で、ときに大胆で、味わいのある車掌の言葉は、蒸気機関車の車窓から見えた風景を引き立たせたようだ。 B5判で約30ページ。表紙には「昭和十二年四月改正 車内沿線案内文 大分車掌区長」と記されており、1937年に作成されたものとみられる。日豊線、久大線、豊肥線の案内文が、ガリ版刷りの丁寧な青字でつづられている。 この年は近代蒸気機関車(SL)の先駆けとされる「C55形」が、日豊線を走り始めた時期。最新鋭のSLと熟練の車掌が、全国からの観光客を九州各地へと運んでいた。 当時から国内有数の観光地で、ダンスホールやケーブルカーもあった別府市では同年、「国際温泉観光大
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の視聴率が急落だそうである。 http://npn.co.jp/article/detail/70028087/ 観てない? いやぼくも観てないけどね。娘と「ダーウィンが来た!」を観た後観ようととすると娘から「消して!」と言われる。むりやりスイッチを切られる。ドラマ一般が「こわい」からである。とりわけ時代劇は。 そもそも多くの人にとって「クロダカンベエ? なにそれうまいの?」という状態ではないのか。そういう非常識・非国民な手合いのために、おれがひとつ黒田官兵衛まめ知識をさずけてやる。 黒田官兵衛というのは、兵庫県あたりの土豪だったんだけど、中国地方に攻めてきた織田信長、その家臣だった豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の軍師、まあ参謀みたいなもんになって、その後秀吉の天下統一を大いに助けた、そういう人物だとされている。 まめ知識おわり。 「黒田官兵衛」の人生のどこにドラ
小泉八雲熊本旧居。屋内には、作品を解説したパネルもある=熊本市安政町カラフルなひさしに覆われた子飼商店街=熊本市赤れんがが鮮やかな五高記念館=熊本市黒髪2丁目 熊本市はかつて九州の中心であり、軍都、学都として栄えた。そのころの熊本に暮らした1人の外国人文学者の足跡をたどりながら、街を歩く。 出発点は熊本駅。同駅は1891(明治24)年、九州鉄道が熊本まで開通した際に春日停車場として開業した。 この年、できたばかりの停車場に降り立った1人の外国人がいた。「雪女」「耳なし芳一」などで知られる明治の文学者であり、ジャーナリストでもあった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)だ。約3年間を熊本で暮らした。 熊本駅前からバスに乗り、市役所前の停留所で降りて熊本城へ。城入り口の須戸口門近くの看板には、「九州の電気事業発祥の地」と書かれている。 八雲が来熊した年、熊本電燈会社が開業。熊本城内に火
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