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歴史と航空に関するbuhikunのブックマーク (5)

  • 「アンカレッジ」なぜ聞かなくなった? 日本に縁深かった空路の要所、その「いま」 | 乗りものニュース

    かつて欧米への旅は、米・アラスカ州のアンカレッジ経由が主流でしたが、現在はほとんどの海外主要都市へ直行便でアクセスできるようになり、その名前を聞くことも随分と少なくなった印象です。「アンカレッジのいま」はどうなっているのでしょうか。 実は縁深い「アンカレッジ」と日 2016年11月12日(土)、JAL(日航空)の「東京~ニューヨーク線」が開設50周年を迎えました。1966(昭和41)年11月12日に開設された同路線は当時、JALが1960(昭和35)年に日で初めて導入したジェット旅客機、ダグラスDC-8型機による運航で、東京~ニューヨーク間を、ホノルルとサンフランシスコの2地点を経由して結ぶルートでした。 その後、JALの「東京~ニューヨーク線」は1968(昭和43)年にサンフランシスコのみの経由となり、1972(昭和47)年には米・アラスカ州南部のアンカレッジへと経由地を移行。19

    「アンカレッジ」なぜ聞かなくなった? 日本に縁深かった空路の要所、その「いま」 | 乗りものニュース
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    buhikun 2016/11/20
    まあ信越本線の横川みたいなもん。みんな釜めし買った。(現在横川〜軽井沢は廃止
  • 「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

    「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番 産経新聞 8月10日(日)15時35分配信 昭和60年の日航機墜落事故から30年目となる8月12日、フジテレビは機内の再現ドラマや当時の映像、墜落現場での中継などを交えた特番「8.12日航機墜落 30回目の夏 生存者が今明かす“32分間の闘い” ボイスレコーダーの“新たな声”」(午後6時半)を生放送する。フジは今回、コックピットのやりとりを記録したボイスレコーダーの詳細な解析を実施。衝撃音の回数や、これまで判読不能とされてきた会話の一部など「新事実」が判明したという。 事故にあった日航機123便は昭和60年8月12日、羽田空港から伊丹空港に向かう飛行中、機体に異常が発生。機体は制御を失い、32分後に群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡した。 ■「ドーン、ドーン、

    「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
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    buhikun 2014/08/10
    あの晩は九州の山に行く後輩を見送りに(大垣夜行で行った!)品川まで行ったが、行きがけに聞いたラジオで「日航機消息絶つ」と聞いた。あれから30年か(遠い目
  • 日航機墜落25年/空の安全願い追悼登山/“会いに来たよ”

    航空123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、520人の犠牲者を出した事故から25年を迎えた12日、遺族らは犠牲者の追悼と空の安全を願って墜落現場に登りました。 時おり小雨がぱらつくなか、遺族らは折り鶴や花を手に、ぬかるみに足を取られながら追悼登山。緑が生い茂る急斜面にはフルートの演奏が流れ、点在する犠牲者の墓碑には線香がたかれ、ゆかりの品が供えられました。 墜落現場に建立された「昇魂之碑」の前では、遺族らが空の安全を祈る鐘を鳴らし、「会いに来たよ。怖かったね」などと書かれた短冊が、何枚も鎮魂の鈴とともに風に揺れていました。 “事故原因 知りたい” 墓標に花を手向け、手を合わせていたのは、大阪府吹田市から来た男性。3歳のときに旅行会社の代理店で働いていた父親(当時33歳)を亡くしました。出張中でした。 「彼女ができて今は幸せです」と報告したという男性。「物心ついたときには父親はもう

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    buhikun 2010/08/13
    あわせて読みたいhttp://tinyurl.com/28r4bas /ボーイングの非協力は非難されるべきだが、圧力隔壁破砕説には今も疑問が/日航第一組合がこの件に原則的に対応したのは、「沈まぬ太陽」でご承知の通り。
  • 25年前の今日…(日航ジャンボ機墜落事故) : ススムが進む

    衝撃的な事故でした…。524名もの人々を乗せたジャンボ機が消息を絶った!とのテロップが流れ番組を中断して速報が流れたあの時を思い出しますね。 ダッチロールを繰り返す事30数分…群馬県と長野県境の御巣鷹山に激突したのです。一夜明け、現場のすさまじい光景がTV画面に映し出されました…。あまりの惨状に声も出ませんでした。 あの時、奇跡的に助かったのは女性ばかり4名のみです。当時12歳の少女が自衛隊のヘリコプターで救出された場面は今でも鮮やかに脳裏に浮かびます。 当時の日航の儲け位の経営と、労働組合敵視の異常な労務管理を真正面から 取り上げた、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』は大ベストセラーとなり、つい最近映画化もされました。横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』は、当時の地元新聞社の記者の目を通して鋭く事故に迫った傑作です。 私自身、公共大量輸送機関で働くものとして、この事故と背景について深い関心を

    25年前の今日…(日航ジャンボ機墜落事故) : ススムが進む
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    buhikun 2010/08/12
    公共交通の安全と労使関係、企業風土。日航機事故と福知山線事故を結ぶもの。ある視点。
  • 日航123便はなぜ墜落したのか/水島朝穂早大教授の「平和憲法のメッセージ」 - 薔薇、または陽だまりの猫

    今回は「8.12」の25周年について書きました。4月12日に紹介した『日航 123便 あの日の記録 天空の星たちへ』が出版されて4カ月。いよいよその「8. 12」がやってきます。同書のグラビアにあった写真を拡大すると、「オレンジ色」 になることがわかり、専門家に解析してもらいました。そのことを週刊現代8月14 日号が書きました。今回の直言で紹介していますので、ご覧ください。 http://www.magazineland.jp/tenkuu/ http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0412.html ------------------------ 今 日は「8.9」(ナガサキ)65周年である。冒頭の写真は、私の1年ゼミ(2009年度)の女子学生が平和記念式典に参加するため広島を訪れ、「8.6」(ヒロシマ)65周年の朝焼けを撮影したものである。式典には、国連

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    buhikun 2010/08/12
    あれから25年/圧力隔壁破砕説は専門筋からは支持が無かったとは。初耳である/未だ解明されていない事実があるように思われ。そういう意味で“まだ終わっていない”。
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