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歴史と靖国問題に関するbuhikunのブックマーク (5)

  • リベラルな靖国参拝論反社会学講座ブログ

    こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。世間のオトナたちは、今日あたりからお盆休み明けで再始動といったところでしょうか。 毎年この時期、日の首相や閣僚が靖国参拝するかどうかでもめてるのが、不思議でなりません。 その答えは、日国憲法にちゃんと書いてあるじゃないですか。 結論からいうと、日の首相や閣僚が靖国参拝するのは、個人の自由です。 誤解しないでいただきたいのですが、私がいう自由とは、参拝する自由と参拝しない自由、どちらも含まれます。どちらを選ぶかは個人の自由選択にまかされていて、その意志は尊重されるのです。 憲法にはこんなことが書かれてます。信教の自由は、何人に対してもこれを保障すること。そして、宗教上の行事に参加することを強制されないこと。これを踏まえれば、参拝するもしないも個人の自由ってことです。参拝しろだのするなだの、他人に圧力をかけるのは大きなお世話だし、もし強制すれば憲法

    buhikun
    buhikun 2015/08/18
    靖国神社は宗教施設ではなく、国が作った「戦没者顕彰施設」ですから。ノーコメント(憮然
  • 靖國神社について|靖國神社

    靖國神社は明治2年(1869)6月29日、 明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っています。

    buhikun
    buhikun 2014/08/18
    国学者の殉難者顕彰がコンセプトだから当然バイアスありあり/「官軍・賊軍」の別は所与の前提だから「斉しくお祀りされています。」はあり得ない。
  • 靖国神社って何? 「参拝」何が問題?/首相は「国に殉じた人に尊崇の念を」言うが…

    安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐって、NHKなど一部のメディアが「『不戦の誓い』をした」などという首相の説明を無批判に流しています。靖国神社とは何か、首相の参拝がなぜ世界から厳しい批判をあびるのか、問題の根を説き明かした報道はほとんどみられません。靖国神社のそもそもを知れば、首相の参拝が「内政問題」や「内心の自由」では絶対に片付かない、深刻な問題であることがはっきり見えてきます。 戦前・戦中はどんな施設 戦争動員の精神的支柱 靖国神社は、明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府側との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人をまつるために創建された「東京招魂(しょうこん)社」が前身です。79年に「靖国神社」へと改称。「別格官幣(かんぺい)社」という特別の社格を与えられ、国家神道の中心的神社と位置づけられました。 一般の神社とは異なり旧陸軍、海軍両省が管理する軍事的宗教施設でした。明治維新

    靖国神社って何? 「参拝」何が問題?/首相は「国に殉じた人に尊崇の念を」言うが…
    buhikun
    buhikun 2014/01/11
    『「英霊」としての合祀は、戦死者や遺族の意思に関わりなく行われます。』ここがツボでしょ。韓国人元軍属の合祀とか山口護国神社合祀訴訟とか。本人や遺族の意思に関わらず、政府の都合で利用するとか最悪(激怒)
  • 「私たち皆は巨大な安倍晋三になる」事態を避けるために - 誰かの妄想・はてなブログ版

    軍慰安婦問題について書いているエントリに見境なく、“韓国はベトナムに謝罪してない”とかいったコメントをつける嫌韓バカの皆さんはきっと、この意見に賛同するはずです。 [特派員コラム] 我らが内なるヤスクニ/キル・ユンヒョン (略) しかし神社からA級戦犯が分祀されさえすれば、すべての問題は解決されるのだろうか。 東北アジアの平和と安定に特別な利害関係を持たない異邦人にとってはヤスクニはどうなろうが関係のない問題であろうか。 ここまで考えた時、私たちがヤスクニ問題を人類皆が理解できる普遍的な言語で説明することに失敗しているのではないかという気がした。 哲学者の高橋哲哉 東京大教授は2005年に出した<靖国問題>というで、神社の質を‘感情の錬金術’という言葉で表現したことがある。 息子が戦争に出て行き亡くなることになれば、母親は耐え難い悲しみを感じることになる。 しかし天皇を通じて靖国で

    「私たち皆は巨大な安倍晋三になる」事態を避けるために - 誰かの妄想・はてなブログ版
    buhikun
    buhikun 2014/01/05
    ブコメで語り切れないが、「熱くなる心を抑制する冷徹な視座」が必要では。民族なり国家なりの正義で断ずることは「ナチス治下のユダヤ人」「ナクバ以降のイスラエルのユダヤ人」のような例もあり危険かと。
  • どうしてヒトラーの墓と靖国神社を同等視してはならないのか - 法華狼の日記

    もちろん、それぞれ固有の文脈を持っているので、同一視するべきではないだろう。一部で問題にされた*1発言も、実際にはなぞらえているだけであり、全く同一と主張しているわけではなかった*2。 靖国は指導者のみを葬っているのではなく、多くの末端の兵士や軍属とともに祀られている。しかし北方で凍死させられたドイツ兵と南方で餓死させられた日兵、彼らに同情すればこそ指導者を顕彰するような施設に置くべきではないという考えもできる。 そして、わざわざ戦後に指導者や責任者を合祀したり、遺族の意思を拒絶したりもしている。追悼の意思を利用することこそあっても、追悼のための施設ではないのだ。 靖国神社という霊言機関 - 法華狼の日記 日ドイツ、神社と墓地とで宗教観が違うことはたしかだが、それを理解してもらえれば批判がおさまるかというと、そうではないだろう。 たとえば祟らないように顕彰しているという釈明もあるが、

    どうしてヒトラーの墓と靖国神社を同等視してはならないのか - 法華狼の日記
    buhikun
    buhikun 2013/12/29
    ヒトラーの墓は象徴たり得るが黙して語らないだろう。遊就館や信者向け印刷物で「戦前日本は悪くない、自分らは悪くない」と語って恥じない靖国神社の方が数層倍酷い。
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