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津波に関するbuhikunのブックマーク (10)

  • 地震の中で決死の管制、殉職した男性に称賛の声 インドネシア 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

    地震で損壊したインドネシア・スラウェシ島パルの空港内部(2018年9月30日撮影)。(c)ADEK BERRY / AFP 【10月1日 AFP】大地震と津波に見舞われたインドネシア・スラウェシ(Sulawesi)島の空港で、航空管制官(21)が揺れが続く中でも現場を離れるのを拒み、旅客機を無事に離陸させた。管制官はその後で脱出を試みたものの、重傷を負って亡くなった。国内では、命をかけて職務を全うした管制官を「英雄」とたたえる声が相次いでいる。 この管制官はアントニウス・グナワン・アグン(Anthonius Gunawan Agung)さん。9月28日にスラウェシ島が断続的に地震に襲われた時、中部の都市パル(Palu)の空港の航空管制塔で勤務中だった。 インドネシア管制会社(AirNav Indonesia)によると、アグンさんは管制に当たっていた地元バティック・エア(Batik Air)

    地震の中で決死の管制、殉職した男性に称賛の声 インドネシア 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
    buhikun
    buhikun 2018/10/02
    id:norton3rd さん、宮城県南三陸町です。
  • 三陸鉄道:南リアス線の一部が運行再開 2年ぶり- 毎日jp(毎日新聞)

    buhikun
    buhikun 2013/04/03
    ちなみに毎朝NHKで見られるのは、北リアス線。
  • ブヒくんさんの常磐線レポート

    個人的に興味深かったのでまとめました。 飛び地の状態で運行を再開した相馬−原ノ町間を含む常磐線の,ブヒくんさん @buhikun によるレポートです。 仙石線のレポートも追加しました。

    ブヒくんさんの常磐線レポート
    buhikun
    buhikun 2012/01/10
    みなさんありがとうございます<m(__)m> あげきれなかった写真と、書けなかったエピソードを収めたはてブロ「buhi研!」近日公開。きっと書く。たぶん書く←外圧希望(^(00)^;;
  • 専門家に聞く 年代別の老後資金作り  :日本経済新聞

    キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。

    専門家に聞く 年代別の老後資金作り  :日本経済新聞
    buhikun
    buhikun 2011/05/27
    若狭湾はリアス式類似の溺れ谷だから、津波が一旦起これば被害甚大と思うんだがorz
  • 名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ : 地元の友達、達也君の日記。その②

    2011年05月08日18:07 カテゴリ 地元の友達、達也君の日記。その② 達也君の日記の前に、少し私の今日を。 従兄弟のH君・おじさん夫婦・私・父と事会があり、その帰りに父の家に泊った。 すこし酔っていた父は 「しばらくぶりでビール飲んだな」 と、何度も言っていた。 そしてH君の趣味が格闘技だと聞いて、レスリングをやっていた父はとてもうれしそうだった。 「おんちゃんと勝負するべ」 と、H君に。 帰ってきて落ち着くと、Kおばちゃんから頂いたイチゴをべた。 やはり朝起きると父の姿はなかった。 朝のサイクリングだ。 今日は母の日。 少し内容の濃い日だったので、次回改めて今日のことは書くとする。 写真だけ ここから達也君の日記2日目↓ ------------------------------------------------- 3月12日 『子供たちとの再会、そして・・・』 前日の夜

    buhikun
    buhikun 2011/05/09
    えっ…最後の一文が真実なら、そのときの心境は想像を絶するもの。それでも言葉も無い。
  • M9級・超巨大地震!2000年前、巨大津波か : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    高知大学の岡村真教授(地震地質学)らが、高知県土佐市の2000年前の地層から、厚さ50センチに及ぶ津波堆積物を見つけた。 高さ10メートル超となった東日大震災の津波でも、堆積物の厚さは5〜7センチ程度。専門家はマグニチュード9級の超巨大地震による津波である可能性をあげ、その再来もあり得ると指摘している。 駿河湾―四国沖では、海のプレート(岩板)が陸のプレートの下に沈み込む境界(南海トラフ)で、東日大震災のような巨大地震が300〜350年周期で起き、大きな津波も発生している。 今回、50センチの堆積物(砂の層)が見つかったのは、現在の海岸から約400メートル内陸にある蟹ヶ池。岡村教授らが約30か所で池の底を調べた結果、東日大震災以前では、最大級とされる宝永地震(1707年)の津波堆積物も見つかった。厚さは15センチ程度だったが、この時、蟹ヶ池近くの寺を襲った津波は高さ25メートルだった

    buhikun
    buhikun 2011/04/26
    東南海と南海の連動が最悪のシナリオ。伊方が心配。何ぞの時には瀬戸内全域が危険かと。
  • 津波に飲まれたカメラマンの写真が凄い

    ■編集元:ニュース速報板より「津波に飲まれたカメラマンの写真が凄い」 1 名無しさん@涙目です。(catv?) :2011/04/15(金) 22:38:19.89 ID:eqVhfqel0 ?PLT(20000) ポイント特典 奇跡の生還を果たしました。 国土交通省の職員が撮影していた写真。右側に写っている男性は、岩手東海新聞社の記者・千葉東也さんです。津波が押し寄せ、ひざほどの高さだった水は勢いを増し、一気に車が流されていきます。肩まで水につかりながらも、カメラを手放しません。千葉さんは、釜石市内で地震の被害を取材中に津波に巻き込まれました。30メートルほど流されましたが、奇跡的に擦り傷や打撲だけで済んだということです。 http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210415028.html 56 名無しさん@涙目です。(東京都)

    buhikun
    buhikun 2011/04/16
    真木よう子さんも津波に呑まれたか。合掌orz
  • 震災三週間後の仙台東部 - どうにもならない日々

    JR仙石線が小鶴新田駅まで営業再開したので、仙台港付近を目指して歩いた。 ルートは以下のとおり。 (1)宮城野体育館付近 「表層地盤のゆれやすさマップ(宮城県)」*1によると、宮城野区は相対的に揺れやすいようで、僕の住む青葉区よりも建物や電柱や道路などの損傷が大きい。 (2)福田橋*2付近 ここから東へ行くほど、瓦が落ち屋根にブルーシートを被せている家が多く見られた。 (3)福田新橋*3付近 (4)高砂大橋*4付近河川敷 奥は七北田川河口。枯れた植物が同じ方向に倒れている。 アルバム。古い切手と写真が並んでいた。 比較的きれいな状態の車、しかし車内には泥水にまみれた痕跡が。 (5)公園 高砂中学校から200mほど河口側にあり、海岸線からは直線距離で3km以上離れている。このあたりは倒壊した住宅こそ見られなかったが、床上まで浸水した家屋が多かったのだろうか、公園はごみ捨て場になっていた。 (

    震災三週間後の仙台東部 - どうにもならない日々
    buhikun
    buhikun 2011/04/04
    仙台海岸部や浜通りは逃げ場が無いがな。車で逃げるのも頷けるが、逃げ切れなかった向きも多いかと。合掌。
  • 世界最深・釜石の防波堤、津波浸水6分遅らせる : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災の大津波で、世界一深い防波堤としてギネスブックにも認定されている岩手県・釜石港の防波堤が破壊されたのは、コンクリートブロックのすきまに発生した強い水流で基礎部分が削られたのが引き金になったことが、港湾空港技術研究所の分析で明らかになった。 ブロックの倒壊は徐々に進んだため、防波堤がない場合と比べると、市街地への浸水を6分間遅らせる効果があったという。 2009年に完成した湾口防波堤は全長約2キロ。防波堤としては世界最深63メートルの海底に基礎の石材が置かれ、その上に幅30メートルのブロックが並ぶ。ブロックは海面から約6メートル出ており、高さ5・6メートルの津波から街を守るよう想定されていた。 同研究所では、沖合20キロの波浪計で観測した津波波形をもとにコンピューター解析し、現地調査の結果とともに破壊過程を推定した。最初に到達した高さ10・8メートルの津波は、防波堤の内側では高さ

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    buhikun 2011/04/02
    6分間で助かった命もあろう。
  • asahi.com(朝日新聞社):手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 - 社会

    「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉美奈子撮影  「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。  東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。  近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造っ

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