タグ

記憶に関するcTakのブックマーク (11)

  • IN THE FLIGHT - 平民新聞

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

    IN THE FLIGHT - 平民新聞
  • はてな

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

    はてな
    cTak
    cTak 2009/05/05
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    cTak
    cTak 2009/03/30
    「昔見た未来像みたいなものは誰にでもあって、偶に思い出すととんでもない郷愁に襲われるなんていうことがあるのだと思う」
  • はてな

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

    はてな
    cTak
    cTak 2009/01/24
  • 別れの感覚 - 晴耕雨読ときどき昼寝の日々

    一人語り | 00:06 | シュッポシュッポと新しい出会いが日中を席巻するころ、私は出会いの結果として存在する別れを体験しておりました。エントリーが僕なりの大阪・京都夏の陣参加法です。よろしくー! 慣れ親しんだ研究所で過ごす最後の朝。これでもかと言うほど、いつもどーり。碁盤のように区画された町並み、海から吹き付ける風、毎朝飼い主を散歩させているチワワ、教会の微妙に音程のズレた鐘の音。 別にいつもと何も変わらない日々のありふれた一日だと思っていた。 みんなにサヨナラを言うまでは。面白いことに、自分がコミットして来た研究プロジェクトは違っていた。だいぶ前から終わりが来ることはそれなりに分かっていた。なぜなら、1つ1つの実験の終了作業を確認するたびに、より具体的な形で終わりが近づいていることを理解していっていたから。おかしな話である。自分のプロジェクトが終了すれば、自分の居場所なんてこの研

  • [書評]記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他): 極東ブログ

    このところ思うところあって「記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)」(参照)を読み返した。訳書は一九九八年に発売されたもので、もう七年も前になる。その後読み継がれているふうもないので事実上絶版になったようだが、アマゾンの古書では安価に手に入る。文庫で復刻されるかもしれない。 話は、実記の体裁をとっているが奇譚と言っていいだろう。クレア・シルヴィアというユダヤ人中年女性が脳死の若い男性の心臓と肺を受けて同時移植手術を受けたところ、術後に、移植元の若い男性の性格が乗り移ったり、また睡眠中の夢のなかでその若者にあったり、その若者の記憶が乗り移ったりしたというのだ。通常、移植手術を受けた人はもとの脳死者の情報を得ることができないが、彼女は夢で知った若者の名前を手がかりに人を突き止め、その家族に出会うことになる。 そんな話がありえるだろうか、臓器にそれ自身の記憶が宿り、移植手

  • 『最後の授業』を読んで思い出した、僕の父の「最後の授業」。 | ある編集者の気になるノート

    *この記事には、書籍『最後の授業』の内容に深く関係した記述が含まれます。同書をまだ読んでいない方は、その点、ご注意ください。 「あなたはなぜ、編集者になったのですか?」 ときどき、初対面の人から、こういう質問を受けることがある。 この質問に正確に答えるのは難しい。 なぜなら、それは一言で片付けられるほど簡単な話ではなく、自分でも数え切れないほどの理由や偶然が重なった結果だから。 けれど、そう質問した人は、たいてい単純な答を期待しているものだ。 だから、僕はこう答える。 「僕の親父も、昔、編集者だったんです」 僕の父親は、たしかに編集者だった。 だった、と書いた理由は二つあって、一つは彼がとっくに編集者を辞めているから。 もう一つは、彼がとっくに、この世を去ってしまったから。 ここにも何度か書いているけれど、僕が物心つかないうちに、父と母は別れた。 僕は母に引き取られ、初めて父に再会したのは

    『最後の授業』を読んで思い出した、僕の父の「最後の授業」。 | ある編集者の気になるノート
  • サマー・ソルジャーだったころの話。 - スウィングしなけりゃ脳がない!

    サニーデイ・サービス再結成だって!晴茂くん (Dr.) 生きていたんだ・・・。無免許スクーターで疾走する三人、泣ける。 そういえば数年前の夏、僕もベトナムの海沿いの町ムイネーを無免許バイクで走りました。セオム (バイクタクシー) を頼んだつもりが、レンタルバイクをそのまま手渡されてしまったのです。張る必要の無い見栄を何故だか張って、勢いよくアクセルを踏み込んで、白い砂漠と赤い砂漠を目指して走りました。後ろに Lisbon22 くんを乗せてよろよろ走りました。 道に迷ったり、浅い川の中を歩いて遡ったりしながら、どうにかこうにか、夕暮れが近づいてくる頃、砂漠まで辿り着きました。砂の丘の上でコーラを一気に飲み干しました。とても暑い一日でした。砂漠の向こうにオレンジ色の大きな太陽が沈んでいきました。 真っ暗になってから、街灯ひとつない道を宿までバイクで戻りました。 途中の小さな漁村で、夜の闇よりも

    サマー・ソルジャーだったころの話。 - スウィングしなけりゃ脳がない!
  •  夏で海で車の後部座席で - イチニクス遊覧日記

    先日、結婚した友人とは、もう10年以上の付き合いになる。一緒に式に出席したもうひとりと3人で、暇さえあればファミレスに集まり、趣味があうわけでもないのによくもまあというくらいしょっちゅう顔を合わせていた。話題が尽きても誰も気にしなかったし、そのうち誰かのお腹がすいたり、旅行に行きたくなったり、恋人ができたり別れたりで、そのたびに集まっては同じような話を繰り返した。 彼女たちといるとき、私はよく眠った。運転席と助手席にいる2人の背中を見ながら、趣味のあわない音楽に文句を言いながら、私はよく居眠りしていたし、寝入りばなに、「また寝てるよ」という声をなんども聞いた。 一昨年の夏、3人で海に行った時も、私は浜でひとりで寝ていた。目が覚めた時はもう夕方近く、2人は私の横に座って、なにやら好きな人の話をしていた。楽しそうな声で、汗かいたビールの缶が砂の上にナナメに立ってて、パラソルのはしっこがひらひら

     夏で海で車の後部座席で - イチニクス遊覧日記
    cTak
    cTak 2008/07/09
    「でも、言いたかったのはたぶん、ここに書いたような、漠然とした気分のこと」
  • いつかすべての再生のために - 東京永久観光

    この曲を聴くとあの頃が懐かしい、というのは誰にでもある。 すっかり忘れていた自分の気持ちがふいによみがえる。そのとき見ていた風景や、一緒にいた人の顔や声、べていた物の味や匂いまで思い出す。 自分がつけた日記を読み返すことでも、そういうことは起こりうるのかというと、起こりうるように思う。 ただし、日記というのは、文章をあらかじめ書いておかないといけないし、その文章をいちいち読まないといけない。それに比べ、懐かしの流行歌は、べつに記録したわけではなく、意図して記憶すらしたわけではない。それなのに、そのときの心や体の状態をあたかもそのまま保つかのような働きを自動的にしてしまう。 今、デジカメで何気なく撮っている写真というのは、ちょうど流行歌と日記の中間くらいに手軽で自動的な記録行為かもしれない。そして将来その写真は、忘れてしまった思い出の再生を、ひょっとしたら流行歌や日記を超えるほどの強度と詳

    いつかすべての再生のために - 東京永久観光
  •  豚茶漬け - イチニクス遊覧日記

    豚茶漬けをべると、T兄のことを思い出す。T兄は母方の従兄弟で、私にとっては実の兄のような存在だ。 T兄が私の家に下宿していた受験生の頃、私はまだ中学にあがったばかりだった。 T兄が暮らしていた部屋には、大量のカセットテープと、古めかしい石油ストーブがおかれていた。T兄はアジア音楽のメールマガジン(郵便)のようなものを発行していて、大量のカセットテープの背面には、難しい漢字や、ハングルや、見たことのない文字が並んでいた。中には彼が作曲したテープもいくつかあって、それは祖母いわく「なにやらわからん」音楽だった。私も聞かせてもらったことがあるけれど、ほとんどがオルガンの単音がいつまでも続くような、すこし不安になる音楽で、いつも穏やかな従兄弟がこれを弾いたというのは、なんだか意外にも感じられた。T兄はいつも、ウナギ犬の描かれたバックを持って予備校に通っていた。 そんな従兄弟の部屋のストーブの上に

     豚茶漬け - イチニクス遊覧日記
  • 1