太平洋戦争中に旧日本海軍から原爆研究を委託された京都帝国大(現京都大)の荒勝文策研究室が、ウラン濃縮の遠心分離装置開発に取り組んでいたことを示すノート3冊や関連資料が24日までに、京大放射性同位元素総合センター(京都市左京区)で見つかった。京都帝大による原爆開発の全容は、終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が一切のデータや研究ノート類の提出を命じ、押収した資料は米国で機密指定されていたため、明らかになっていない。なぜ押収を免れたかは不明だが、秘められた日本の原爆開発と科学技術史を検証する上で、貴重な発見といえる。 ■秘められた歴史に一石 研究ノート類は、戦時中に荒勝研究室に講師として所属していた故清水栄・京大名誉教授の研究室があった同センター分館書庫で見つかった。表紙に英語で「超遠心分離」の表題と清水氏の署名がある。日付は皇紀で記され、戦争末期の1944年10月、11月に書いたとみられ