2009/04/082019/10/17 歌登町営軌道の旧線とは簡略に説明します。 北海道の簡易軌道唯一である、毛登別トンネルが開通したのは1947年です。1929年の開通当初は北へ大きく迂回し、峠を越えるルートでした。旧国鉄興浜北線の休止に伴い、第二次世界大戦末期には枝幸を結ぶ唯一の交通機関となり、急勾配の解消と輸送力増強のため、新ルートを建設します。 旧ルートに関し、『歌登町史』(1980年11月発行)は次のように書いています。 毛登別三線で分れ、三線の沢(炭鉱の沢)を遡り、小頓別の下手、長屋の沢に越えるものであった。この間の峠が勾配が急で、貨物の輸送に困難を生じ、またたびたび客車、貨車の暴走事故を起すなど、その改善が望まれていた。 毛登別トンネルが開通したのは興浜北線が復活した後で、間もなく歌登と枝幸の間が廃止されました。 トンネル開通以前のルートに関する文献は少ない。『鉄道廃線跡を