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インタビューと東大に関するcafe_petitのブックマーク (5)

  • 寮での経験が自分の強みに 元寮生の朝日新聞記者(私と東大駒場寮 6) | DANRO

    東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にあった「駒場寮」。私は、2001年に取り壊されたその寮を撮った写真集を再制作するにあたり、写真の使用許可を得るため、過去に取材した元寮生を探している。今回は、当時部屋の写真を撮らせてくれた元寮生のひとりで、現在は朝日新聞の記者である宮崎亮(みやざき・りょう)さんを訪ねた。 いまは社会部記者だが「社会問題に対して、意識が高くはなかった」 ――いまはどんな仕事をしているんですか。 宮崎:朝日新聞社の記者です。 現在は東京社会部の所属で、文部科学省の担当がメインの仕事なのですが、子どもや若い人の現場取材がいまも好きで、続けています。12年間を過ごした関西でも、学校とか若い人がいる場所に入り浸っていました。 大阪の堺市にある、作文教育に力を入れている安井小っていう公立小学校を1年間取材して、新聞の連載とにしました。(『こころの作文~綴り、読み合い、育ち合

    寮での経験が自分の強みに 元寮生の朝日新聞記者(私と東大駒場寮 6) | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2021/02/04
    「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第7回目がUPされました。 旧「DANRO」掲載記事の再UPです。 2001年に部屋の写真を撮らせてくれた元寮生のひとりで、現在は朝日新聞の記者である宮崎亮さんのインタビューです。
  • 【WORK】「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第4回目がUPされました。 - TOMOKO OOSUKI

    東大駒場寮 1Fにあったトイレ 「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第4回目がUPされました。 danro.bar 東大生じゃないのに、なぜか駒場寮に住んでいたという、ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんのお話です。 これは、旧「DANRO」掲載記事の再UPです。 中川さんの話の中では、「人に会うこととに会うことは一緒だと思います。」という言葉が、私にとっては驚きで、興味深いものでした。 私にとっては、「人に会う(人と出会う)」ことと「を読む(と出会う)」ことは、全然違うことだったので… 「に『会う』」っていう考え方をしたことがなかったし… でも、中川さんに、この話を聞いたあと、「を読むことも、人との出会いなのかな??」と思うようになって、の読み方が変わった気がします。 特定商取引法に基づく表記

    【WORK】「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第4回目がUPされました。 - TOMOKO OOSUKI
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/08
    書いた記事の紹介と、中川さんにお話を聞いて思ったことを書きました。
  • 東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) | DANRO

    東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にかつて存在し、2001年に取り壊された「駒場寮」。私はその寮を撮った写真集の再制作を、2011年の冬から始めていた。 2015年2月、ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんから、突然メールが届いた。そのメールは、なんと「東大生ではないのに、駒場寮に2年間住んでいた。駒場寮廃寮反対運動にもちょっとだけ関わっていた」という、驚くベき内容のものだった。 今回は、中川さんと駒場寮の関わりを改めて詳しくうかがった。中川さん提供の寮の写真を交えながら紹介する。 予備校の講師に連れられて、駒場寮に出入りするように ――中川さんは、大学が一橋大ですよね? なぜ東大の駒場寮に関わることになったのでしょうか。 中川:初めて駒場寮に行ったのは、大学に合格した直後です。大学受験のために通っていた予備校の講師だったAさんという人が、駒場寮の北寮9Bの部屋、「基

    東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/07
    【WORK】DANROの駒場寮連載、過去記事の中川さんの回が再UPされました。
  • 駒場寮には変な人がいっぱいいた「世界は広いな」(私と東大駒場寮 8) | DANRO

    東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にかつて存在していた「駒場寮」。学生の自治寮として運営されていたが、2001年に大学当局によって取り壊された。連載の第1回に書いたように、当時美大生だった私は、卒業制作として駒場寮の「写真&インタビュー集」を作った。それから約20年たった今、過去に撮影した写真を整理して、再び作品化しようとしている。 同時に、2001年にインタビューした元寮生を一人一人訪ね歩いて、駒場寮とはいったいなんだったのか振り返ってもらっている。今回は、寮委員長を務めた経験を持つ元寮生で、現在は商社に勤める多賀谷鉄平(たがや・てっぺい)さん(41)を訪ねた。 駒場寮に一目惚れ「入らない理由がなかった」 ――大学時代に一度聞いているんですが、改めて、駒場寮に入った理由や経緯などを教えてください。私からすると、多賀谷さんは他の寮生と違って、経済的な理由がないように思えたんですけど…

    駒場寮には変な人がいっぱいいた「世界は広いな」(私と東大駒場寮 8) | DANRO
  • 「寮生は次第に孤立していった」毎日新聞記者になった元寮生(私と東大駒場寮 2) | DANRO

    東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にあった「駒場寮」。2001年に取り壊されたその寮を撮った写真集の再制作にあたって、当時写真を撮らせてくれた元寮生たちに話を聞いている。 ※写真集制作の経緯については、第1回の記事をご覧いただきたい。 今回は卒業後に毎日新聞の記者になった酒造唯(しゅぞう・ゆい)さんを訪ね、インタビューした。 今回は、「駒場寮での生活は、現在の仕事にかなり影響を及ぼしている」という酒造さんの近況を、酒造さんがかつて暮らした部屋の写真を交えながら紹介したい。 いまは科学記者「お上の言うことに唯々諾々と従えなかった」 ――いまはどんな仕事をしているんですか。 酒造:毎日新聞社で科学記者をしてます(2019年7月時点)。原発の取材が長いですね。大学での専攻とは直接は関係ないんですが、新聞社に入って2つめの任地が、中国電力の島根原発がある島根県だったんです。原発があれば地域が

    「寮生は次第に孤立していった」毎日新聞記者になった元寮生(私と東大駒場寮 2) | DANRO
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