「ただしさの再確認」の道具として ――「おっさん叩き」は、いまなぜ熾烈をきわめているのだろうか。 それはおそらく、現代社会に生きる大勢の人が「ただしさ」に飢えているからであり、なおかつ「悪」とみなされた存在を大勢で一緒に叩くことによって「自分はただしい側にいるのだ」ということを確認できるからだ。 高度に情報化し複雑化した現代社会では、「世の中には、善悪で二元論的に単純処理できるような事柄はそれほど多くない」ということが明らかになってしまった。ある事象には必ずといってよいほど「よい側面」と「わるい側面」が表裏一体となっている。 私たちは「これがただしい」「あれがわるい」とばっさり断じ、カタルシスを得る機会をことごとく失ってしまった。対人関係だけでなく、社会問題の理解にも多大な時間的・精神的リソースが求められる時代となっているのだ。 複雑な社会のなかで、私たちはなにも間違ったことはしていないが
![なぜ「おっさん差別」だけが、この社会で喝采を浴びるのか(御田寺 圭) @gendai_biz](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f25d76a6af51c2abcd59446ec02f69072ff3b6e9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F4%2F4%2F1200m%2Fimg_441adfd1573dbd1ba84363efb63b2d6f280966.jpg)