企業が掲げる「ソーシャル・グッド」の落とし穴 最近、「ソーシャル・グッド」という表現をよく耳にする。SDGsともからみつつ、企業の社会的責任を問題にする文脈で使われているようだ。製品であれサービスであれ、社会や環境に配慮したものを生産・消費することと、とりあえずは定義できそうである。 すばらしい、と思われる人が多いだろう。だが、本稿ではこの「ソーシャル・グッド」について疑問を呈しつつ、その理念と歴史について少し広く深く考えてみることで、その疑問に答えていきたい。 まず大きな問題は、この「ソーシャル・グッド」が結局は資本主義の理念に合致するかぎりにおいてしか実行されないということである。 環境問題について考えれば分かりやすいだろう。斎藤幸平は『人新世の「資本論」』(2020年、集英社新書)で、「SDGsは大衆のアヘンである」という主張をしている。つまり、地球温暖化が待ったなしの状況で、ガソリ
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