※このごろもやもやしているものをぶわっと書きだしてみただけなので、何の話題かというリンクも貼ってないので適当に検索してください。 発端はビル・ゲイツの発言を紹介するような記事で、曰く「原発事故での死者の数は石炭かなんかほかの方法に比べて少ない」とかそういうので、ゲイツにかぎらずそういう論はたまに見かけるんだけど、疑問に思うのは「人間の死というのは生物学的な死」だけなの、というようなこと。生活や人生の破壊というのは、死に等しいくらい大きなダメージあるんじゃねえのかという。なぜことさら死者の数にこだわるのかという。むろん、家を失ったりした人を死者扱いするわけでもないし、炭鉱労働者なら炭鉱労働者の死を軽んじるつもりもないが、結果的にそうであるとしても、やはりそこんところは釈然としない。ゲイツはすべてを失っても金銭的補償があれば満足するのか、それとも生活基盤や人生なんて裸一貫からあっという間に立ち