先日、東海林さだおと赤瀬川原平の対談集を読んだ。そこでこんなやりとりがなされていた。その感想文でも引用した箇所だが、また引用する。 赤瀬川 でも、そうはいかなかったんだよね。この世の中は。確かにつくったときの計算が間違ったのかもしれない。 東海林 まずいよねえ(笑)。牛だって可哀相でしょう。 赤瀬川 ねえ。僕らが生きるために殺されて、一生が終わっちゃうんだもんね。 東海林 できることなら、なるべく少ない殺生で生きたいね。 赤瀬川 うん。もし僕が牛だったら、あるいは人間が食料にするなにか巨大な生きものだったら、やっぱり「こいつの一食のために俺が命を落とすのはもったいない」って思うもん(笑)。 東海林 殺される方の論理ね。牛なんか、生まれたときからそういう一生の生活設計ができてるわけでしょ。 赤瀬川 本人は知らないけどね。 東海林 人間に食べられれるために生きている。よく考えたらこんな罪はない
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