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2014年3月30日のブックマーク (6件)

  • 6年かけて大学を卒業しました 振り返って - mizchi's blog

    昨日のLT でも言ったんですが、6年間かけて卒業しました。 卒業までの経過 普通に単位を取る 3年でゼミ配属 4年で大学院の内定を取る 4年の11月頃、研究に興味をなくし大学院辞退 大学へのやる気が失せて、卒論(とスペイン語)を放置する 就職活動してなかったので、ブログで職を募集 学生のまま就職(契約社員) 5年次、仕事が忙しすぎて卒論書けず 転職(正社員) 6年で卒業 卒業待たずに就職、卒業待たずに転職して、来年で業界3年目の新卒になります。語句の定義が難しいです。 他の業界は知りませんが、この業界、そういう新卒もどきは多いです。 追記: 最後の2年は休学+残単位数が既定値以下で、学費はほとんど割引されています 卒論 卒論は公開しませんが、卒論の成果物はこれになります。 mizchi/TypedCoffeeScript 所属は隠してなかったので別にいいんですが、早稲田大学の人間科学部です

    6年かけて大学を卒業しました 振り返って - mizchi's blog
  • 人生がつらいの?じゃあ変われ。変われないなら死ね。byリア充

    しにたいさにたいしにたいしにたあしにたあしぬいこんばんわ。わたしです。朝か。どうでもいい。浅香光代ー!はぁ。 ネットもリア充のものだよな〜ときづいた。死にたいとか辛いとか泣き言を言う奴に対して、見たくないんだよってのは分かる。タイトルが気になって踏んだらネガティブ、それは嫌だろう。でも文句言いながらわざわざ見に来る奴はなんなの?馬鹿なの?脳みそ腐って垂れてんじゃないの?メンヘラ同士で馴れ合うと危険だ!!!!!!!ぁぁぁバカじゃない?おまえらメンヘラでそういう経験あったの?メンヘラで私はそこから抜けて変わった!って言う奴も含め、プラスになりうるのを全否定して自分にホルホルしてんじゃねぇぞゴミどもが。昔のネットは、オタクっつー社会から阻害されてるやつらのものだった訳じゃん。今ではちがうよね。阻害されてる連中を俺たちの目の前から消えて無くさせよう!っつーリア充の陰湿なクソカスゴミムシの論理。貧困

  • 【ほこ×たて】ものすごく集中している男 VS ものすごく邪魔をする男 ワロタwwwwww : キニ速

  • 運も実力のうち。今日から始めたい「運気がアップする5つの行動」 | ライフハッカー・ジャパン

    自分は運が良いと思いますか? 今回は、すぐに運気が上がる簡単な方法をご紹介しましょう。 「The Luck of the Irish(アイルランド人の幸運)」というのは、18世紀のアメリカのゴールドラッシュ時代に生まれた言葉で、非常に運が強いという意味です。アイルランド人は金を発掘できるほど賢くないと思い込んでいたアメリカ人は、アイルランド人が金を見つけたことに我慢できず、これは能力のお陰ではなく運が良かっただけだと揶揄した言葉です。実際には、アメリカ初期のアイルランド移民は勉強するだけの時間があったので、常に幸運を手に入れられるくらい賢かったのです。 私は、他人の成功を幸運と思い込むことで、自分の力不足の言い訳にしている人を何人も見てきました。ライバルが成功しているのは運が良いからだと見くびっている営業マンを知っています。その営業マンは、ライバルと同じくらい電話をかけまくったり、同じくら

    運も実力のうち。今日から始めたい「運気がアップする5つの行動」 | ライフハッカー・ジャパン
  • 俺に一番影響を与えた人

    子供の頃から「坊ちゃま」「坊ちゃま」と言われて育った。 それは自分が病院の跡取り坊っちゃんだったからである。 しわくちゃな手をした人たちが自分を取り囲んで、 「手がきれいだ」とか「賢そうだ」とかいう。 自分だけきれいな恰好をして申し訳ないような、浮いているような、居心地の悪さが常にあった。 とはいえ期待されていたかというと全く逆で、学究肌の父親は、「お前は医者になるな」が口癖であった。 自分も弁護士になるつもりでいたから、そういう点では父親とは全くぶつかることもなく、仲良く過ごしていた。 「東大理Ⅲしか許さない」とか言っていたとぼけた祖父も中学の時に亡くなったので、特になんのプレッシャーもなく育った。 高校3年のとき、病気になって手術を受けた。 都内の大きな病院だが、執刀医は父親の親友であった。 受験前なのに勉強道具を持っていかなかったのは、どうせ病気をしているのに勉強したって効率が悪いか

    俺に一番影響を与えた人
  • 働きながら7年間かけて博士号を取得しました - takminの書きっぱなし備忘録 @はてなブログ

    昨日、学位授与式がありました。このタイミングを逃すと面倒くさくなってもう二度とブログを書かない気がするので、社会人博士を考えている方々の参考となるように自分の紆余曲折をまとめておきます(長文注意)。 進学までの経緯 1999年にコンピュータビジョン(以下CV)と呼ばれる分野で修士号を取得しました。この時の修論は黒歴史です。 この時に自分は研究者に向かないことを痛感したので、まさかその後博士課程に進むことになるとは夢にも思っていませんでした。 就職後は外資系IT企業で、4年半ほどCVとはまったく関係ない分野(ITインフラ系)でSEをやっていました。 その後リストラを機に入社したベンチャー企業がたまたまCVの会社で、そこで自分の学生時代の専門がビジネスとして面白くなりそうだと感じ、この分野で飯をっていきたいと思うようになりました。 その後ブラック会社勤務を経て、顔認識ソフトウェアを扱っている

    働きながら7年間かけて博士号を取得しました - takminの書きっぱなし備忘録 @はてなブログ