しばらく、非営利のほうがばたばたしていて、ブログが更新できず、さびしかったです。昨日は、エチオピア大使のご紹介で、対日アフリカ外交団という団体(African Diplomatic Corps)という35カ国のアフリカ大使館で構成する団体で、プレゼンテーションを終えることができ、一息つきました。 大使が10人以上、各国外交団のかたがたが総数50人もおいでになり、もう一件のプレゼンテーションをされたのは、SOJITZのアフリカデスクの方。いつも神経が太い私ですが、今日は、超緊張しました。 そんな南アフリカ大使館では、FIFAのシンボルキャラクターが、めっちゃフィーチャー、、、入り口で、取ってきました。がんばれ、南ア。 のはいいとして、今週、お客様の物件に関連するトラブルで、苦笑してしまったことがあります。 それが、上のタイトル、フードスタンプの巻。 アメリカ在住の方はよくご存知かも知れません
たまたま、Dr. Tara C Smithのエントリで、とてもよい懐疑論の定義をしているBrian Dunningを知った:Brian Dunning: "What Is Skepticism?" 懐疑主義とは何か To quote Dr. Shermer: Skepticism is not a position; it's a process. マイクル・シャーマーの言葉でいえば、「懐疑主義は立場ではなく、過程だ。」 懐疑論者や批判的思考者は物事を信じない人々だという誤解が広まっている。実際、懐疑的という言葉の普通の使われ方は、この誤解が広まっていることを示している。「彼はスプレッドシートの数字に懐疑的だった」は、彼はその数字を疑っているという意味だ。したがって、懐疑的であるには、物事に否定的で、それらを疑ったり、信じなかったりすることだ、と。 懐疑主義という言葉の真の意味は、疑うこと
池田信夫氏とかもぎゃんぎゃん騒いでいるのな。それだけ、齊藤さんの政治的な立ち位置が臭すぎて、論述者がむせ返るほど残念な人事だったということなのだろうか。 「民から官へ」の逆転が始まった http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/139e435496b4fa7cd15914687ae80789 ファイナル爺も腐し気味。こちらはfinalvent流の貸し借り論。彼の人事の評論は、だいたい経緯における関係を貸し借りで見る。まさに彼流。 元大蔵事務次官斎藤次郎・日本郵政社長 http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/10/post-eb12.html で、齊藤さんというと、ちと破廉恥な事件後に放逐されて、その後は競馬や微妙グルメ(B級ではない)愛好家として、どっちかというとエスタブリッシュ出身の割に底辺な趣味
アジアの街角のようなところにはどこにも華僑がいる。華僑はその街角にとって悪い存在ではないし、それなりにその地になじんでいくが、それでも浮き上がる。華人はかならずしも中国を代表しない。しかし、浮き上がった華人はその地で中国に見える。中国はアジアにとって異質な存在だというなんともいえない違和感はあまり解消されない。たぶん、朝日社説の執筆子はそういう感覚を知らない。 ミャンマーの民主化をどう実現していくのか。今回、発足した政府間人権委員会を大きく育てていってもらいたい。食糧安保や貧困軽減、メコン開発など、地域が抱える課題解決の力もつけねばなるまい。 たしかに、「ミャンマーの民主化をどう実現していくのか。」を問うべきなのだろう。問うことが可能なら。そして中印のパワーゲームの現実も理解したほうがよい。 日中韓とASEAN。東アジア共同体の構築は、どちらの推進力が欠けても達成できないだろう。 アジア・
にげだめ(1):網走監獄でヱヴァを想う この前、網走監獄を見てきました。あの北海道の監獄です。今、博物館になってまして。 メーカーの人間としては問題なんですが、どうも、あの「監獄」を見ていると「工場」を連想してしまう。共同生活、管理された時間と行動。 そこで、ぼんやりと労働問題について考えたりして、ふと、「《エヴァンゲリオン》と《ヱヴァンゲリヲン》の違いというのは、つまるところ労働問題に呼応してるんじゃないかなあ?」などと思いはじめた。 そんなわけで、最近更新を怠っているこのblogに書いてみることにしました。 題して「にげだめ」。なにはともあれ表紙から。 ・・・いきなりコラージュでスミマセン。googleったら、2chに「よつばとしんせいきエヴァンゲリオン!」というネタがもうあったので、ありがちなネタですね。すみません 「にげちゃだめだ」と特攻 旧エヴァンゲリオンのテーマといえば、
シリコンバレーの社会的資本 関志雄氏によれば、日本でよくいう「中国が世界を制覇する」という話と「中国はまもなく崩壊する」という話は、どっちも正しく、どっちも間違っている。中国経済は、めざましく成長する鄕鎮企業(ベンチャー)と、腐敗して政府の保護で生き延びている国有企業の双軌制(二重構造)になっており、中国が成功したのは古い企業を改革したからではなく、新しい企業を育てたからだ。 逆にいうと、日本が失敗した原因はゾンビ企業が成仏しないことではなく、新しいベンチャーが出てこないことだ。そのために必要なのは政府の「育成策」ではなく、中国のように香港をモデルにして「改革・開放」を進めることだ。とはいえ、起業は非常にリスクの高い賭けである。資金や人材を調達し、失敗したらやり直せる社会的インフラがないと、いくら役所が「資本金1円」にしても、絶対安全な人生を保証されている大企業や役所のエリートは、そうい
ウィトゲンシュタインとラムゼー* テクニカルな話には*をつけることにしたので、経済学や哲学に興味のない読者は無視してください(BLOGOSにも転載しなくて結構です)。 今月の日本経済学会の招待講演で、神取道宏氏が今後の経済学の方向として行動経済学をあげていた。ただしその現状は、物理学でいえば落ち葉の運動がニュートンの運動方程式(新古典派理論)では記述できないと指摘するにとどまっており、そのゆらぎにいろいろなパラメータを当てはめてアドホックな仮説を立てている段階だ。神取氏は、ここから進んで空気抵抗の理論のようなものを見つけないと行動経済学は行き詰まるといい、空気抵抗に相当するのは人間の認知構造だと結論した。 神取氏から認知構造という言葉が出てきたのは意外だったが、これを空気抵抗のような例外と考えている限り、行き詰まると思う。天動説に惑星の運動のような例外を際限なく付け加えれば、天体の運動
2009年10月26日02:00 カテゴリ書評/画評/品評Math 自己、無限、自由 - 書評 - 数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 数学ガール/不完全性定理 結城浩 本当に以下の通りとなった。 404 Blog Not Found:孤独解消型数学入門 - 書評 - 数学ガール/フェルマーの最終定理 次はゲーデルの不完全性定理をおながいします>hyuki。 となれば読まぬわけに行かない。 本書「数学ガール/不完全性定理」は、「数学ガール」「数学ガール/フェルマーの最終定理」に続く数学ガールシリーズ第三弾。テーマは、不完全性定理。前著の「釣り」、すなわち「これを読んでも主題はさわりだけしかわかりません。でもその過程で数学のさまざまな側面が学べます」とは異なり、本書では本当に不完全性定理を証明する。少なくとも第一不完全性定理は、「要約なし」で証明している。 目次 - 第3巻『数学ガール/ゲー
■編集元:ニュース速報板より「【今のゆとり】『ヒントじゃなく正解言え』 『ネット上に答えあるしw』 『稚拙?日本語しゃべろや』」 1 ノイズs(新潟県) :2009/10/25(日) 17:04:31.20 ID:u/ScxUJX● ?PLT(12000) ポイント特典 ことほどさようにトラブルメーカーの新入社員が増えた背景には一体何があるのだろう。 その答えの一つとして関係者が口を揃えて指摘するのが、学校で本格的なゆとり教育を受けてきた「ゆとり世代」が社会に出始めてきたことである。 ゆとり教育は、1970年代に落ちこぼれや非行で教育現場が荒廃し、その原因が詰め込み教育にあったとの反省から、学習内容を減らした教育のこと。 77年の学習指導要領の改訂を受けて、80年度から「ゆとりと充実」「ゆとりと潤い」を重視する教育が始まった。 学習指導要領は学校がカリキュラムを編成する際の基準で、全
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