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2013年10月3日のブックマーク (5件)

  • 1/3【特別先行公開】消費増税は日本を破壊するのか?[桜H25/9/28]

    castle
    castle 2013/10/03
    「官房長官とは、日本の正式な報道官です。日本の、政府の、正式な報道官が「4回」否定しているものを、否定したという事実を報じずに、まるで既定路線のように報じるメディアの在り方は間違っていると思います」
  • 河上肇とコミンテルンとリフレ批判

    Twiiterでつぶやいたことを再構成。 いわゆる(上念司さんが芸風で使う)ネタとしてのコミンテルンではなくて、歴史的・思想的問題のコミンテルン・テーゼの影響は、現実にいまの私たちの経済の見方にもまだその影響を残している。コミンテルン32年テーゼは、同年、日共産党に入党したばかりの河上肇が筆名でいち早く訳し「赤旗」で公表された。 コミンテルンはこの32年テーゼの前にも日共産党に対してテーゼを連発して「指導」していた。河上肇は1920年代後半から明瞭なマルクス主義、共産党のシンパになり、やがて正式に32年に入党。32年当時(32年テーゼの前だが)、河上肇はリフレ派と苛烈な論争を展開した。 以下は『昭和恐慌の研究』の若田部昌澄さんの第2章論説での解説による。河上の32年におけるリフレ派批判(石橋湛山を直接の論争相手)は、なによりも「資主義の矛盾」を問題。この「矛盾」とは資主義にとって

    河上肇とコミンテルンとリフレ批判
    castle
    castle 2013/10/03
    「歴史的・思想的問題のコミンテルンテーゼの影響は、現実に今の私達の経済の見方にもその影響を残し」「リフレ政策は1)全く効かない、もしくは2)ハイパーインフレ~これがコミンテルンの影響された河上の理屈」
  • 戦いの原則 - Wikipedia

    戦いの原則(たたかいのげんそく、英語:principles of war)は、軍事行動を成功させるために遵守することが求められる諸原則である。 概要[編集] 戦いの原則とは、軍事作戦を成功させるためのいくつかの原則や格言、規範をまとめたものであり、戦争や作戦の科学的な分析や立案に際して考え方の基盤となるものである。戦いの原則とは、将校にとって作戦指揮や意思決定の局面で行動の方針を検討する際に役立つものであり、それは通常では軍事教範の中で概念、命題、または文章として形式化されている。戦いの原則を応用する可能性と限界は指揮する作戦行動の水準と関連している。 基的に戦いの原則は戦略的、作戦的、戦術的な水準にも総じて適応することが可能であり、例えば目標の原則はあらゆる水準で行動の一貫性を保つために重要な原則である。しかし、攻勢の原則のような原則は、戦略的な水準と戦術的な水準ではその意味合いも効果

    castle
    castle 2013/10/03
    「1.目的の原則とは、軍事作戦が達成するべき目的を明確に方向付ける原則/7.警戒の原則とは、敵が不測に前進行動することを決して許さない原則/9.簡明の原則とは、行動の計画を簡潔かつ明快に準備しておく原則」
  • 軍事戦略 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年8月) 軍事戦略(ぐんじせんりゃく、英語: military strategy)は、国家戦略の下位において平時および戦時における軍事力の開発、準備、運用を定める戦略である。 概要[編集] 軍事戦略とは一般に戦争状態において敵の軍に勝利するための計画である。戦略の語源はヨーロッパにおいてギリシアのクセノフォンによって"strategia"と"taktitos"の用語(古代ギリシア語)を用いられるようになったのが最初だと考えられている。またギリシアの軍隊の司令官であったストラテゴス(Στρατήγος)からきており、機略、計略(英:Stratagem)という単語とも密接に関連しているとも考えられている[注

    castle
    castle 2013/10/03
    「戦争には総力戦、限定戦争、革命、冷戦など多様な形態があるため戦略理論の構成も複雑」「戦略理論において戦争は「敵を強制して我々の意志を遂行させる為に用いられる暴力行為(クラウゼヴィッツ)」と捉えられ」
  • 軍事戦略 (ワイリー) - Wikipedia

    『軍事戦略』(Military Strategy: A General Theory of Power Control)とは、1967年にアメリカ海軍の幹部軍人ジョセフ・カルドウェル・ワイリー(Joseph Caldwell Wylie)によって発表された戦略研究の古典的著作である。 概要[編集] 著者[編集] ワイリーは1911年3月にアメリカのニュージャージー州ニューアークに生まれ、高校を退学して17歳で海軍兵学校に入学した。海軍兵学校を卒業した後には海上勤務や造船所での勤務を経て太平洋戦争に参加している。日海軍との戦闘任務に従事しただけでなく、艦艇の作戦行動において情報機能を一元化するための戦闘情報センターの設置や教範類の作成に携わっている。ワイリーは1950年から海軍大学で海軍戦略についての教育を実施する任務を与えられ、海軍戦略についての研究に参与した。この頃から『太平洋での戦争

    castle
    castle 2013/10/03
    「戦争のパターンを確立することとは、侵略によって敵をコントロールして要求を強制する方法を形成して実施すること。一方で防衛側は、侵略のコントロールを減少させることで均衡状態を形成しようとする」