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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (10)

  • 2009-04-09 - 狂童日報 メディアに出てくるエコノミストたちのイメージ

    先日荻上チキさんと話していて投げかけられた質問は, 「経済学者って何であんなに偉そうなんですか?」 というもの.あぁぁぁぁもう自分も含めて思い当たる節が多すぎる.その時は茶飲み話だったんでたいした話はしませんでしたが,実際どうなんだろ. http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20090407#p1 私が経済学者というかメディアに重宝されているエコノミストたちへの根的な違和感は、「・・・・で、現実の人間がその通りに動けなかったらどうするんですか?」という点にある。 そのことを、学問の性質上考えられないと限界を素直に認めるならいいのだが、なぜかそうしない。むしろ、動かない現実に直面すると「官僚や族議員が既得権を守って動かない」といった、叱責や説教に奔ることが多い。現実の人間社会がまずあって、それを経済学の理論によって分析するのではなく、逆に経済学の論理に人間

    2009-04-09 - 狂童日報 メディアに出てくるエコノミストたちのイメージ
    castle
    castle 2009/04/15
    「現実の人間社会がまずあって、それを経済学の理論により分析するのではなく、逆に経済学の論理に人間を従わせようとする。従わないと「既得権者」とレッテルを貼って断罪し、反論には「経済を知らない」と黙らせ」
  • 究極の弱者 - 狂童日報

    加藤容疑者に関する報道を見るにつけ、彼は現代社会における究極の「弱者」であったのではないか、という感を拭えない。 従来弱者というと女性、外国人、身体障害者、あるいは何らかの出自で差別を受けている人々であった。こういう人々が社会的な困難に直面すれば、周りの人は「世の中の不当な差別が原因だ」と直ちに理解し、(現実には依然不十分だとしても)様々な支援・救済の手が差し伸べられる可能性がある。なにより当事者自身が、「弱者」というカテゴリーの中に入ることによって「差別は社会の問題であって、当の自分はまっとうな人間だ」であると考えることができる。また周囲の人々も、まず「差別的な人間」だとは思われたくないので、そのような考え方をしようとする。 しかし加藤容疑者は、どこにでもいる普通の、しかも比較的教育熱心な日人の家庭に育った男性であり、しかも地方の伝統進学校出身である。いわゆる「勝ち組」になるための社

    究極の弱者 - 狂童日報
    castle
    castle 2008/06/29
    「ほとんど無権利状態」「しかし彼は、「弱者」として周囲の同情や支援を受けるような社会的な指標を全く持たず、それゆえに「弱者」である立場を社会に訴えるための言葉をも何一つ持っていなかった」
  • 高級志向 - 狂童日報

    最近日社会のなかに「高級志向」が復活しつつあるように思われる。これは日だけじゃなく、韓国中国でも同じ現象が見られるようである。 90年代半ばには、バブル時代の記憶もあって高級志向はほとんど軽蔑の対象であった。それはとりもなおさず、不況で収入が頭打ちになって全員が「高級」になれるという神話を共有できなくなったこと、また高度成長以降に育った世代は必然的に上昇への意欲を失っていたからである。その代わりに価値を持ったのが、まさに「自分らしさ」「好きなこと」であった。 90年代半ばから公共事業は批判の的だったが、それは単に「無駄」というだけではなく、地方の隅々まで東京と同じ高水準の生活様式を広めようとする「高級志向」そのものにも向けられていたように思われる。その頃の公共事業を正当化する論理は「景気回復」という経済成長モデルであって、今のような「生活」の論理はあまり語られていなかった。 現在高級

    高級志向 - 狂童日報
    castle
    castle 2008/06/29
    「2000年代以降の公務員・新聞記者に対する粘着的とも言える攻撃の高まりは、そうした常識では片付けられない情念を含んでいるように思われ」「今は「普通に生活している庶民」の顔をすることが「嫌味なこと」」
  • まともな生活 - 狂童日報

    秋葉原連続殺傷事件に関して、派遣労働や格差社会の問題と短絡すべきではないという「正論」を時々見かける。しかし私を含めて、この事件をめぐって現代日の問題の縮図を投影せずにはいられなかった人々を膨大に生み出した事実は、それ自体極めて重要な「事件」であると言えるだろう。 私にとってこの痛ましい事件は、下層労働者のルサンチマンの在りかがどこにあるのかを、あらためて浮き彫りにするものであった。なぜ金持ちや政治家を狙わなかったのか、という声が一部にあるがまったくの的外れである。加藤容疑者のような立場の人にとっては、財界の指導者や政治家のような人々は、決してルサンチマンの対象にはならない。それは、自分がそういうエリートの立場になることを想像もできないし、そもそも欲望すらしていないからである。ルサンチマンが富裕層政治家に向けられるのは、あくまで「立身出世」の物語が強く生きていた高度成長の時代までである

    まともな生活 - 狂童日報
    castle
    castle 2008/06/29
    「(秋葉原殺傷事件に)現代日本の問題の縮図を投影せずにはいられなかった人々を膨大に生み出した事実は、それ自体極めて重要な「事件」」「「まともな生活」を獲得・維持できなくなっていることへのルサンチマン」
  • 「無垢な中国人」は存在するのか - 狂童日報

    来日したダライラマ14世が記者会見で「無垢な中国人が私を悪魔だと信じているのが悲しい」と語っていたが、ダライラマの精一杯の慎重に慎重を期した善意の発言であったとしても、これはやはり間違いだと思う。 言うまでもなく、世界中には中国人の留学生、ビジネスマン、単純労働者が膨大に存在している。彼らは当然ながら、中国共産党が何をしてきたのかをメディアを通じて知っているはずだし、滞在先の国民からそうした議論をすることだってたまにはあるだろう。それなのに、「表現の自由」が確立しているはずのヨーロッパやアメリカで「欧米のメディアは偏っている」という、まるで中国政府のスポークスマンの実行部隊であるかのようなデモが起きたのである。3年前の、日人を一気に「中国嫌い」にさせたあの「反日デモ」の時でも、ヨーロッパでデモが起こっていたことは記憶に新しいが、当時は誰もこの不可解さを説明していなかった。 これは断言して

    「無垢な中国人」は存在するのか - 狂童日報
    castle
    castle 2008/06/29
    「彼ら(中国人)は外国でいかに中国のネガティヴな情報を耳にしたからといって~中国共産党に批判的な態度をとることも基本的にない」「大きな政治的事件が起こらない限り、そうした枠組みは容易に変わらない」
  • 生存よりも差別解消を - 狂童日報

    前にも書いたことだけど、非正規労働者層に対する「努力が足りなかったのでは?」という声が、以前よりも強まっている気がする。一例として、「雇用形態格差「非正社員の給与を上げて是正」49%http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?wv=1&poll_id=2059&typeFlag=1」などに見られるが、「是正する必要がない」が32%はネット上の調査とは言え正直驚いた。連日「格差社会」と非正規雇用層の悲惨な生活実態をニュースや特集番組で耳にしているはずなのに、それでも「今のままでいい」と考えているのである。 「是正する必要がない」という人の意見を読むと、要するに「正社員の俺は過剰な責任を負わせれて苦労して働いているのに、気楽に働いているあいつらと一緒の給料なんてとんでもない」というわけである。最近一部の活動家による「生存」をス

    生存よりも差別解消を - 狂童日報
    castle
    castle 2008/06/29
    「非正規雇用層が拡大したのは、団塊世代を中心とする正社員層の人件費コスト圧力の増大と、IT・外食産業など「いくらでも代わりがいる」マニュアル化が一般化した、1990年代以来の社会経済的な構造変化によるもの」
  • 生存と差別 - 狂童日報

    再び書くが、私は「格差社会」の根の問題は「生存」ではなく「差別」であるべきだと思っている。特に30歳を超えた「フリーター」とよばれる人々が悲惨なのは、生活が大変だということもそうだが、アルバイトでしか生計を立てていないことがイコール「社会人でない」、つまり「まとも」な生活や人生を送っていないとみなされていることにある。こうした侮蔑的・差別的な視線は、与党と財界の「自己責任」の論理と、年長世代の「仕事なんか選ばなければいくらでもある」と無邪気に考えている人々という二つのベクトルがあるが、こうした差別が「フリーターなどに財政的な支援する必要はない」という論理を正当化しているのである。支援がほとんど実質的な効果のない職業訓練に偏りがちなのも、機会の平等という理念という以前に、「フリーターはスキルを身につける努力をしてこなかった」という、差別的な理解が広く共有されているからである。繰り返しになる

    生存と差別 - 狂童日報
    castle
    castle 2008/06/29
    「格差社会の根本の問題は「差別」」「フリーターはスキルを身につける努力をしてこなかった」という差別的な理解が」「安定した正社員層の「なんで努力もしていない連中に俺たちの税金が…」というルサンチマンが」
  • 現代日本の階層構造 - 狂童日報

    超適当だが、ノートみたいなものとして。 (1)新富裕層 ベンチャー企業家、大企業のエリート正社員など、俗に「勝ち組」と言われる社会層。基的に上昇志向が強いので、安定した地位に満足して仕事が緩慢な行政や企業に対しては、「既得権に安住している」と極めて批判的かつ否定的であり、アメリカ型の自由主義経済体制を支持している。どちらかと言えば、経済的利害もあってナショナリスティックな感情は弱いという以上に無関心なことも多い。親米であると同時に「東アジア共同体」の主導層でもあり、「男女共同参画」への理解度も高く、思考様式は基的に「リベラル」であると言ってよいと思う。新聞記者や大学教授などの知識人は、この層を「新自由主義」として批判することが一般的だが、その他の社会問題(特に男女共同参画や移民受け入れ)に対するスタンスは実のところ親和性が高く、結果的に後押ししてしまうことがしばしばある。 (2)旧中間

    現代日本の階層構造 - 狂童日報
  • 「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報

    最近、「フリーター」などの若者弱者が自民党に投票したり、女性が「男女共同参画」を訴える浅野史郎ではなく、女性蔑視発言をしばしば行なう石原慎太郎に投票したりという奇妙な現象が起こっている。 多くの人々は当惑しながら「右傾化」のレッテルを貼って終わりにするだけだが、私が考えるには従来の「左翼」と呼ばれる人々が「中流幻想」からなかなか抜け出せなかったことにあることが背景にあるように思う。1970年代以降にマルクス主義の凋落によって「左翼」の学者やジャーナリストが選択した戦略が何かといえば、(1)女性の社会的な地位向上を訴えるフェミニズム、(2)中国韓国戦争被害者に対する補償を求める戦争責任論、(3)「在日」や移民の社会的権利付与を支援するマイノリティ運動などであった。こうした戦略を通じて、戦後の日社会は経済的な豊かさを達成したものの、それが様々なマイノリティを排除することによって成り立って

    「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報
    castle
    castle 2007/05/02
    「問題は、こうした議論が「豊かな中流社会」を前提にしていた事」「下の世代にとっては既に解体しつつある「豊かな中流社会」の幻想にすがりつく、学者やジャーナリストなど「既得権層」の振る舞いにしか見えない」
  • なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報

    昔ちょっと問題提起だけしてそのままになっていたのだけれど、若干だけ考えがまとまったので書いてみたい。 (1)大学生の大衆化 若者の政治運動は昔から、というか世界的に見ても学生が主体である。学生運動が最も盛んだったのは明らかに1960年代だが、今と明確に異なるのは、その頃の学生は明確にエリートだったことである。少なくとも、「末は博士か大臣か」という周囲の期待を背負いながら受験勉強をしてきた世代である。「俺たちが将来の日をリードするんだ」という意識が強く、また周囲もそのように期待していた時代には、政治や社会の問題に対して敏感に反応し、かつ行動することがある意味学生の証であるようなところがあり、また学生が熱く語る怒りや理想にも有り難味が感じられたのである。 しかし1970年代以降、大学の進学率は20パーセントを超えて大衆化し、一流大学の卒業生もほとんど平凡なサラリーマンになることが当たり前にな

    なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報
    castle
    castle 2006/07/17
    政治運動を組織できない=政治問題を発見できない、だと思う。大学は知的訓練所というより就職向け機関のような気がする。
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