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ブックマーク / y2k000.hatenadiary.org (5)

  • 2006-06-03

    ※このエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20060413/p3にインスピレーションを受けた文章です。 序論・80年代的バトル漫画とは。 80年代は父権の打倒、あるいは親子の融和が大きなテーマだった。いずれにせよ、「父権性」が漫画の問題意識だったと思われる。例えば、梶原一騎の作品に、その典型が見られるだろう。 「巨人の星」の星一徹(あるいは、マス大山)的な「分かりやすくでかい父親」像は「強くなりたい」幻想の源流となった。 父権にまつわる問題は、要するに「子(=主人公)の着実な成長」についてであり、漫画という視覚的な分野においては「強くなること」こそがもっとも端的な「成長」をあらわす方法だったので、すごいパンチが打てたり、すごい剛速球が投げれることを描くことが、この時代の中核を担うこととなった。*1 この「強くなりたい」幻想はやがて、「ドラゴンボール」

    2006-06-03
  •  涼宮ハルヒの憂鬱(原作)の挿絵を見て - 四分六三昧

    あ、なんか見たことあるなあと思ったら、灼眼のシャナと同じイラストレーターだったのかーと知りました。道理で妙な既視感があるはずだ。 原作は買おうと思って、仕事が終わってから九時ごろ、閉店間際の書店に赴き、探してみたんですが見つからなかった。 書店のレジ打ちやってる馴染みのねーちゃんに「涼宮ハルヒもしかして売り切れた?」と尋ねると、「はい。一昨日(放送日の次の日)ぐらいからバタバターって在庫切れちゃいました」と言われた。残念。 確かにあのアニメを見た後だと欲しくなる。すげーなあ。訴求効果。 ところでOPとEDを見返していて思ったんですけど、ハルヒを見ていて、もひょもひょする感覚の理由が分かりました。 彼女、まばたきをしてないからです。 動きがやったらめったら細かくてリアルなくせに、限界まで開かれたでっかいアニメ目が微動だにしないのが気持ち悪いんですね。手足も細っこい割に髪の量が多いから頭でかく

     涼宮ハルヒの憂鬱(原作)の挿絵を見て - 四分六三昧
    catfist
    catfist 2006/04/14
    アニメハルヒがまばたきしてない。確かに
  •  交響詩篇エウレカセブン・総括 - 四分六三昧

    「エウレカセブンは何故、観るものを悩ませるのか?」 序文 エウレカセブンを一年間目に通した人たちは最終回が終わって、たいてい思うわけです。 「え? これで終わりなの?」 ゲッコーステーツのメンツはどーなったのよ? セカンド・サマー・オブ・ラブって結局、何のことだったんだ? 結局、デューイは何やりたかったの? とか。 考えれば考えるほど悩むことになります。 だから、「まあ、一年間かかって終わったわけでなんだか一段落してほっとしたけど、色々と首を傾げるよなあ」というのがだいたいの感想だと思います。 ロボットアニメとしての、文法 ロボットアニメ(つーか、一般的なアニメーション作品)の舞台は、当然ですが、我々のいる世界とはまったく違う世界なわけです。どれだけ我々のいる世界と地続きだろうが、まったくの別世界です。 その「別世界」がファンタジーだろーがSFだろーがんなこたどーでもいいですが、「別の世界

     交響詩篇エウレカセブン・総括 - 四分六三昧
  • というほどでもなく群青の空を越えてに関する所感 - 四分六三昧

    感想 よくできているなというのが、第一印象です。構想をかなりキレイに折り畳んだというか。最後はちょっと特異なキャラ設定に頼ってしまった部分も鼻についたのですが(主人公のママンが出てくるシーンは全体として特に。彼女が聖人か君子のような扱われ方をされていることに対する説明がほとんどないのが際立ってて、他の部分に比べてごっそりと説得力がなかったように思えます)、全体としては、ほんとにうまくまとめたなあと感心しました。ストーリィも学園ジュブナイルとしての起伏に富み、一見、ノンポリ学生生活の背景には戦争があるから、常に緊張感をはらんでいて、とても上手い見せ方をしていたと思います。 とにかく手放しで賞賛できる作品です。終わってみて、いい感じに余韻がありました。 全体としてはそんな感じでしょうか。 さて、ネタバレなぞを交えつつ、個々の話などをつらつらと。 ※以下の文章にはネタバレを含みます。 設定につい

    というほどでもなく群青の空を越えてに関する所感 - 四分六三昧
    catfist
    catfist 2005/10/19
  • 四分六三昧 - 全てがツンデレになる。

    多分ね。ツンデレが好きな人ってのは、結局「自分を甘やかして欲しい人」だと思うのね。 ふりかえってツンデレってのは、現実でイチャイチャできないオタクの理想郷なのよ。 つまり、ツン=現実 デレ=虚構っていう二項対立が内在するテーマなわけ。 だから、デレがセカイ系になる。一個人のデレ=理想郷だけど、結局は周囲のツン=うまく行かない人生になる。だから、メタでもある。 ツンデレってのは「こんだけいちゃついてるのはいいけどさ。実際問題としてはありえねえよな」というオタクの絶え間ない現実との整合をつきつけてるわけ。 そう考えると、どこぞの哲学者だかオタキングだかの言う「動物化するオタク」なんてもういないのよ。いたとしてもそれはもはや絶滅危惧種。 そりゃまあ、あいかわらずキャラ萌えオタクだっているのは事実よ。「〓〓たん、萌え〓」とかそういうのは。でもさ、げんしけんだとか改蔵みたく自虐ネタを笑える「すました

    四分六三昧 - 全てがツンデレになる。
    catfist
    catfist 2005/10/14
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