交通博物館は、60年代の子供にとっては憧れの場所だった。ただの「鉄道」が、あのころの子供にとって、なぜあんなにもキラキラ輝いていたのか、今となってはどうしても謎である。線路も、車輪も、駅も駅弁も、今とは明らかに違う光を放っていたのである。 隣の夫婦には子供がいなかった。 その代わりに、スピッツを飼っていた。あのころの日本の家庭では、犬といえばスピッツだったのである。トイプードルでもチワワでもなかった。僕の生まれた同じ年に、そのスピッツは生まれて、一緒に大きくなった。というか、犬なので大きくなったというよりも急速に年老いていったのである。隣夫婦の旦那さんのほうは、確か聚楽に勤めていた。板前である。聚楽は、「国鉄」の出入り食堂業者であり、その関係からか、隣の旦那は、国鉄の大ファンだった。で、数ヶ月に一度は、隣に住む小学生の男の子を誘って、神田にある交通博物館を訪ねることになったのである。 交通
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く