ことのはの件も、実質もう終わっているかなとも思う。 馴れ合いのことに関し反応していたのは、要するに自分で自分の言動に違和感があったからだが、私は人の批判にわざと反応する所がある。 政治的論議では、それで「失敗」してきただろう。批判を事実として切り分けられる人とは、きちんとした議論になるが(場合によってはもちろんこちらの矛盾を認める形で)、最初からこちらの意思にいらぬものを読み取っている場合、向こう側には勝ち負けの印象しか残らない。 最近のブロゴスフィアでは、穏健派がやや偏向したサイドからぼろくそにやられ、またその印象がいつのまにか流通してしまっているなという感じがある。その批判ひとつひとつの論拠は正しいし、傾聴すべきものではあるのだが、そこに滑り込まされてある「意思」。批判側は自分の問題意識を、当然の前提として引き上げ他者に適用してしまう。そしてそれが見えず、状況が引きずられてしまう傾向が

