AnyMotionとは 「AnyMotion」とは、AIを用いた姿勢推定による動作解析APIプラットフォームサービスです。 お持ちのスマートフォン、タブレット等のカメラで撮影した静止画/動画からAI(ディープラーニング)を用いた姿勢推定を実施、様々な身体動作を可視化/定量化します。 AnyMotionで可視化/定量化されたデータを活用することで、これまで人の感覚や目視に頼っていた領域で、定量的なデータに基づくコーチングや 姿勢チェックなどのレポーティングが可能になります。
こういう曲線を、最近よく考える。 ひとから何か、例えばアドバイスのようなことを言われたとする。 そうすると、最初は反発するんだが、そのうちに感謝の念が湧いてくる。反発のサージ(急峻な上昇)が収まると、ああ、ありがたいな、こういうことだったんだな、というのをあとで悟る、という感情のサイクルがある。しかもその感謝があとになればなるほど高まっていくことさえある。 だから、脊髄反射は損である。 というか、脊髄反射の応答を提示できるようになってしまっているアーキテクチャが不幸なのだと思う。 ネットはそういう仕組みである。即座に反応することができる。反応しなければならないという強迫観念を持っているひとさえいる。 むかし、総合誌というのが論壇をもっていたときは、論争のクロックパルスは、刊行頻度だった。しかも、各人の発言はその都度、個別の論説記事とならざるをえないから、論者の能力にもよるであろうが全体性を
ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること ニコラス・G・カー 篠儀直子 青土社 2010-07-23 売り上げランキング : 60919 Amazonで詳しく見る by G-Tools 「ネットとの接続によって脳や文化に何が起こるか」を考える本 刺激的なタイトルにだまされてはいけません。これはインターネットの害を通俗的に煽る本などではなく、メディア史や脳科学、心理学などの知見を総動員して、「現在のネット環境が人間の脳や文化にどのような変化をもたらしているか」を解説していく本です。かんたんにまとめると、ネットがヒトに与えた影響には良い面も悪い面もあり、ネット以前の社会には戻れない今、その「悪い面」に注意を払う必要があるというのが筆者の主張だと思います。分厚い本なのに読みやすく、かつ面白く、何度も読み返してしまいました。 興味深かった点など この本の中で特に興味深かった点を自
先日、年配の精神科医の先生から、こんな質問をされた。 「シロクマ君(注:筆者)、統合失調症の患者さんには、インターネットは危ないんじゃないかね?」 どうなんだろう?今では統合失調症の患者さんも大抵はインターネットを使っている。そういえば病院の作業療法室にもインターネットの端末が置いてあった筈だ。今更やめろとは言いにくいなぁ……。論文を検索してみると、「良い面もあるけど悪い面もある」「さらなる研究が期待される」。研究中でまだはっきり分からないところも多いけれど、良し悪しなんじゃないの?といった雰囲気。 とりあえずその年配の先生には、「ケースバイケースだと思いますが、症状が軽い患者さんなら良いんじゃないでしょうか。でも症状が重い患者さんには危険かもしれません」とだけ答えておいた。【統合失調症に罹っている人にとって、インターネットはプラスかマイナスか】という質問は【中学生にとって、携帯電話はプラ
⇒id:ekkenを快く思わない人に質問です http://q.hatena.ne.jp/1243598560 - 人力検索はてな 越健さんはユーモアセンスのある人だし、あれで、変質的な雰囲気を文体に漂わせるタイプの人でもないのだけど。 もひとつ選択肢。 趣味の幅を広げるべき かな。 一般論だけど。 ブログはシングルイッシューのほうがよいという意見もあるけど、私はその人の中の多様性が開花できて、その多様性において多様な人とのつながり、同意、反発という多元的に構成できる場であるとよいと思う。 特定の個人をどうこうするという発想じゃなくて、つまり、その個人がどんな思想とか信条を持っているとかを問題化しないようなほうがよいと思う。 いつも威勢のいい糾弾型のブロガーさんが、振られて落ち込むとか、親子関係に悩んでいるとか、たまに見かけると、ザマミロじゃなくて、ああ、みんなそれなりに多様な自分というの
昨日はSomething Orangeの海燕さん(id:kaien)とピアノ・ファイアのいずみのさん(id:izumino)のラジオのテスト放送に協力するという名目で延々1時間半くらいしゃべってました。*1当初は本当にテストだったのだけど、後半一時間以上は普通に雑談をラジオの電波に乗せて流してしまうというノリでした。 で、そこでいずみのさんに、 「まきがいさん*2は以前言いたいことはいっぱいあるけど話す相手なんかいないからブログを書いている、というようなことを言ってましたが、実際にオフ会で動画を見せながらすごい勢いで語っている姿を見ると、ああ本当にこれだけ話したいことをためてるんだなあと感心する」 こんな感じのことを言われたわけですね。うんうん、確かにそんなこと前にオフ会で言ってたなあ。大好きなものがあって、それを話せる人が回りにいないフラストレーションってのはブログ書く強力なモチベーショ
身体性という言葉を見かけたので、それに言及した本について2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこの本での一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が
はてブをボーっと眺めていると「これはすごい」タグを付けている自分がとても頭が悪そうに見えた。 見えるだけではなく、本当に「自分は実はバカなのではないか?」 と思ってしまった。 自分でも不思議だったが、「これはすごい」タグをつけようがつけまいが、それは自身の頭の良し悪しには何の関わりもない事はよく分かっているつもりだ。 「めがっさにょろにょろ」とか「カリカリモフモフ」とか「マスゴミ」とかとか、もっと頭の悪そうなタグだってたくさんある。 にも関わらず、こんなたかだが「これはすごい」タグ如きで何をいちいち悩んでるんだろう。 外部から見える自分を取り繕った所で自分の内部は何も変わらないのに。取り繕って諂って見栄を張ってみたところでいつか本質には気づかれるのに。 いちいち増田書くたびに、はてブでコメントつけるたびに、Mixiで日記書くたびに、レスの有無で一喜一憂する自分なんて捨ててしまいたい。 こん
自分より10歳くらい年上の団塊の世代、あるいは5歳くらい上というのか、まあ、私より少し年上の世代が、50歳を越えて、なにやらすんなりと青春回帰というか、青春の一貫性のようなものを維持していることに出くわすと、私は憎悪のような羨望のような思いがする。私はどこに帰れない。帰りたいという思いはあるが、それはできない。 もちろん、世代の問題ではないのかもしれない。ただ、自分より年上に見えるある一群の人々の生き様にある憤りを感じているというだけかもしれない。 では、下の世代へはというと、私には下の世代への語りかけは、どことなく人造的な感触がある。自分でもそう感じているのだから、聞かれるほうではよほどうさんくさく思えるだろう。 とにもかくにも50歳(まだジャストではないが)まで生きてきたんだというのが、なにやら安堵のような抜けきらないような疲労感のようにある。世の中には自分くらいの歳で分別もなくカネや
マスコミの報道やネットの人気記事なんかはまず疑ってかかるくせに、 匿名ダイアリーという、男女どちらかが書いたか、それぞれ違う人が書いたか、 そもそも実話かどうかも確認できない場所に、数件子供の頃の痴漢被害体験談が寄せられただけで 「ああ、やっぱり3次元のロリコンは有害な奴が全国津々浦々に相当数いるんだな。」 という考えになってしまうのはどうしてだろう。書き込みをそれぞれ別人の真実の体験だと仮定して、 「匿名ダイアリーという限られた範囲内で」「数件とはいえこの短期間に」という条件を加えても、 疑り深いことこの上ない自分にしちゃちょっと飛躍した意見になってしまってる気がする。 ふと気づく。俺は疑り深く、流されにくいタイプなんかではないのだなと。 ただ単に「マスコミに流されないようにしよう」とか「衆愚に陥らないようにしよう」 という意見に妄信的に流されていただけなのだなと。 ふむ。じゃあどうしよ
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く