りり @KOJIRO_okane 俺たちひょうきん族はパリでようやく2024年に到達する境地を40年も前に具現化してたのかー 時代が俺たちにようやく追いつきましたね! x.com/kiyopon1231/st…
ジョブズよ、なぜ、語ってくれていなかったのか・・・ ジョブズは、2011年に亡くなっている。私が取材してきた「新版画」とのつながりについて、本人が直接話したり、書き残したりしたものは見つかっていなかった。 「ジョブズが直接、新版画に言及しているカギカッコがないことが最大の弱点でしたね」 これは、英語番組を一緒に制作した同僚の言葉だった。マッキントッシュの開発チームのメンバーやアップル社の幹部でさえ、誰も知らない。そう思わざるをえないほど、新版画とジョブズとのつながりは極めてプライベートで、ベールに包まれていた。 けれど、“状況証拠”はある。ならば、それを積み上げていくしかない。アメリカ取材に必ず行く。ビル・フェルナンデスさんがいるニューメキシコ州のアルバカーキがロケの最終目的地だ。50分の日本語番組は、きっとできる。 前年のリポートから番組まで一緒に仕事をしてきた荒木真登あらきまさとディレ
この前「矢口高雄展」開催中、という話のとっかかりだけ書いて終えてしまったので m-dojo.hatenadiary.com 続きというか本題に入ります。「矢口高雄の絵の上手さ、その秘密」についての一端。 こんなまとめが少し前に話題になりました。 togetter.com 矢口高雄は自身のエピソードをマンガとして大量に残しているのだが、それにしてもこの水彩の技がどこから来たのか未だにわからない。上手いことはみんな知ってると思うが、見返すと異常に上手い。同時代の他のカラー原稿のレベルと較べると驚嘆させられる。 pic.twitter.com/DIRVIbkXmB— ゾルゲ市蔵 (@zolge1) August 25, 2022 この絵の上手さに関する、ほんの少しの理由を、作者本人が明かしている。それが銀行員時代を回想した「9で割れ!!」だ。 m-dojo.hatenadiary.com m-d
ニュースネタもないので、書評を一本を増やす。新刊ではないが、年頭読み心に深く残った一冊がある。ドナルド・キーン著『足利義政』だ。 足利義政と言われて、センター試験世代はなんて答えるのだろう。改めて訊くだけ嫌みになる。が、Googleをひいて呆れた。暴言を吐く、ネット利用者というのはバカばかりだな。Googleがバカなのかとも思ってリストページを繰るが絶望を深めるばかり。検索の筆頭にはウィキペディア(Wikipedia)の足利義政の項目があるので、もちろん開いてみた。爆笑するしかないだろう、I'm feeling Luckyってことはこういうことか。バカここに極まれりだな、生没年すら記載せずに百科事典かよ、とふと見るとウィキペディアの項目にはEnglishのリンクがあるので、どうせこのバカども英語の説明でも訳したのだろうと思って見ると、そうでもない。英語の説明のほうがもう少しまともだ。なるほ
先日、国立近代美術館で絶賛開催中である『民藝の100年』に行ってきたのだけれども、書きたいことがありすぎたので忘れないうちに書いておきたい。 1988年10月生まれの自分にとって、民藝活動の中心人物であった1889年3月生まれの柳宗悦はちょうど100学年違い……という雲の彼方の存在なのに、彼らの蒐集品や活動記録を鑑賞するのはまるで今日買ってきた雑誌を読むくらいに身近で素敵。故に展覧会を鑑賞するというよりも、本屋でずーーーっと雑誌の立ち読みをしているような感覚になって、結果4時間もへばり付いていた。 (再入場禁止ゆえ、途中トイレに出ることが許されないのが大問題。小洒落た来場者の多くは間違いなく、膀胱との闘いに挑んでおります!) あぁ、この燭台が欲しいな……とか、この李朝膳は私の欲しいやつと少し形が違うな……とか、今日の自分の暮らしとそれは地続きにあって、すごく楽しいし、使える。 で、使えるか
記事タイトルを変更した 「萌え絵」は歴史を積み重ねれば許されるか 萌え絵が迫害されるのは歴史が足りていないから - 本しゃぶり 挙げられている例はやや不十分に思える。「萌え絵」が非難されるのは誇張表現だからだ。慣れない人からすると、その誇張が強烈に感じられる。その鮮烈さを快く思うこともあれば、不快に感じることもある。見慣れれば、強烈であったはずの表現にも慣れてくる。「表現」とは、毒や薬と似たようなもので、過剰に摂取すれば毒にもなるし、恒常的に使用すれば体が慣れてしまう。 裸婦像が認められるようになったのは、確かに「歴史」を積み上げたからである。 裸は神として、つまり「理想像」として描かれてきた。「理想像」として描かれない裸は批判されてきたが、徐々にありのままの裸も「芸術」として認められるようになっていった。多様な価値観の「発見」により、誰かにとっての「理想」は、他の誰かにとって「理想」では
『にんぎょひめ (せかいめいさくアニメえほん) 』(河出書房新社) 幼い頃に慣れ親しんだ絵本や児童書が、イメージと異なる新しい絵柄の表紙で書店に並んでいるのを見て、違和感を覚えた――。そんな経験をしたことはないだろうか。特に最近は“萌え絵”と呼ばれるタッチのイラストが使われた作品が増えたことから、「児童書の表紙にふさわしくない」「感受性や想像力が養われなくなりそう」などと、ネット上で物議を醸しているようだ。そこで今回、児童文学評論家の赤木かん子氏に、絵本や児童書の“萌え絵化”の是非について見解を伺った。 本に美しさを求めるのは日本の国民性 日本のアニメやゲームなどに使用されることが多い“萌え絵”。その詳細な定義は定まっていないが、「特徴的な大きな目」「等身が低い」「髪色がカラフル」「アニメ調の雰囲気」といったタッチの人物画を指すケースが多い。見る者に“萌え”を感じさせるとしてその名がついた
なぜ役者の道を選んだのかと聞かれて、「三味線弾きで終わりたくなかったから」と、勝新太郎は答えている。 彼には「杵屋勝丸」というもうひとつの名前があった。 長唄三味線の杵屋勝東治の息子に生まれ、十九歳の若さにして、二代目杵屋勝丸を襲名したという天才奏者として顔である。 社会的な地位からいっても、世間の通りもよかったろうが、最後までひけらかすことはなかった。 そして、苦心のすえ俳優としての名声をえたが、あきたらず、独立プロを立ちあげる。映画の恐さを知らなかったのである。 「作る側にまわると役者はしくじる」映画界の言い伝えを絵に描くようにたどり、採算を度外視した映画作りに走って、一説に十億ともいわれる膨大な借財を抱えたまま、66歳の生涯を閉じた。 千葉県柏市の国立がんセンターで療養中だった彼のベッドのかたわらにも、すぐ手にとれるようにひと竿の三味線が置かれていた。 三味線と縁がきれたわけではない
1月にEテレで『建築は知っている ランドマークからみた戦後70年』という番組をやっていた。ランドマークとなった建築を通して、様々なエピソードを交えながら戦後70年を振り返る内容。面白かったので備忘録的なメモ。 建築は、時代を語る。 東京の代表的な昭和建築と、戦後のエポックメーキングな出来事とを重ね、時代に、時に寄り添い、時に戦った建築家の思考の跡を辿りながら、日本という国の歩みも浮かび上がらせる。 建築は知っている ランドマークから見た戦後70年 - NHK 番組のナビゲーターは建築家 藤村龍至氏。誠実な語り口が良かった。番組の構成や意図は藤村氏のフェイスブックに書かれている。 藤村 龍至 - 昨日は「建築は知っている... | Facebook メモの内容としてはランドマークとして番組に登場する主な建築のリストと設計者、ウェブサイトのデータ、番組を見て思った個人的な感想等。写真はフリッカ
Comment by Taltyelemna 959 ポイント 17世紀の銀の髑髏時計。ルーブル美術館 reddit.com/r/ArtefactPorn/ Comment by Taltyelemna 920 ポイント リンカーンを殺害した銃弾 Comment by innuendoPL 789 ポイント 宮城の衛兵の鎧。18世紀の中国 Comment by idownvotetheassholes 3 ポイント ↑ヘルメットに書かれてる文字は満州語? Comment by DukeofQin 8 ポイント ↑いや違う。ヘルメットに書かれてるのはチベット語。 これは乾隆帝がチベットの修道院に贈った儀式用の鎧のレプリカ。 Comment by Whitemann 1 ポイント ↑だれか刀剣はどんな感じか写真持ってる人いない? Comment by Shagomir 3 ポイント ↑多分こん
【画像】 現代のフィギュア職人憤死! 800年前の「厨子入千躰地蔵菩薩像」のクオリティがマジキチ Tweet 1: スペインオオヤマネコ(栃木県):2012/10/31(水) 17:21:20.06 ID:1u8MYePZ0 恒例の京都非公開文化財特別公開が、今年も11月2日〜11日まで、 公開対象社寺と公益財団法人 京都古文化保存協会の主催で開かれます。 今回公開されるのは京都市内および木津川市の21カ所の神社仏閣で、初公開も含め、 いずれもめったにお目にかかれない貴重な文化財ばかり。そこで、ひと足お先に、 同協会常務理事で事務局長の後藤由美子さんに現地(報恩寺・法性寺・安楽寿院)を 案内してもらい、京都と和服が大好きな私がレポートします。 http://www.asahi.com/travel/kobunka2012/topix/OSK201209280051.html 【厨子入千躰
“明治の五大監獄”のひとつと言われる旧長崎刑務所。明治時代に作られた赤レンガの建物で、文化財に指定されてないのが不思議なくらいの、立派なシロモノだ。長崎は諫早市にある。 これが15年前に閉鎖されて以来ずっと放置され、現在はすっかり廃墟と化している。 明治の建物、赤レンガ、しかも刑務所、しかも廃墟。これが住宅街にあるのは、なかなか異様な光景だったが、今年の6月から、ついに取り壊されることになった。 その最後の姿を写真に収めて来ました。 (text by T・斎藤) 100年前に建てられた建物 旧長崎刑務所が建てられたのは、今から100年前の明治時代。近代国家を目指す明治政府が、諸外国に比べて劣悪だった監獄状況を改善すべく、海外を視察し、研究して作った五大監獄のひとつ。 明治の五大監獄は他に、千葉・奈良・金沢・鹿児島がある。 千葉と奈良は門や本館などが現在も現役で使用中、金沢と鹿児島は取り壊し
「無礼な、そこへ直れ!」 額に青筋を立てた加賀の殿様が刀に手を掛けました。手打ちにしようとしたのは、目の前にある小さな人形。お盆に載せたお茶を持ってゆるゆると前進し、お客さんが湯飲みを取り上げると、くるっときびすを返して戻る、あのカラクリ人形です。正式には「茶運び人形」と言います。 カラクリ人形は、江戸時代の人たちには魔術のように映ったようです。おもてなしの一興としてお座敷に出したところ、殿様の側まで近づいた人形が首をもち上げてキッとにらみつけたように見えたということで、手打ち騒ぎになりました。こうした逸話が残っているのは、それくらいにリアルに見えたということの証左でしょう。 これまでこのコラムでは、バイクや携帯電話、マネキンといった現代の技術から「ニッポン的ものづくり」の強みを探ってきました。今回は、いつもと少し趣向を変えて、日本が誇るべきプレ近代の優れた技術にフォーカスしたいと思います
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