これ、ロシアは既にクリミア併合していてG7の制裁の対象になっていた後に、安倍政権が民間企業を巻き込んで無理やりやったロシア融資の被害だよな。。。自民党政権に近かった財閥系の大企業が悉くダメージを受けるのか。 https://t.co/b1dLWdFuqE
小宮 「性的な表現は場をわきまえて」と批判する人も、逆に「表現の自由を守れ」と擁護する人も、その表現が「エロ」かどうかの観点で議論しがちです。そうではなく、問題は「性差別的な表現」かどうか。その議論が深まらないことをもどかしく感じてきました。フェミニズムにおけるポルノ批判の要点は、わいせつかどうかではなく、その中で女性が差別的に扱われていることです。 ふくろ ステレオタイプな描き方は性差別的な表現に限らず、よくあること。たとえば昔のハリウッド映画に服装や習慣が奇妙な「トンデモ日本人」が登場するように、欧米人には気にならなくても、違和感を覚える表現があります。また日本のメディアでも、「オタク男性」をメガネで長髪、清潔感がないなど偏ったイメージで描きがち。女性を性的に強調する描写も同じで、抑圧や偏見の対象になる当事者が違和感を覚えて声を上げている状況です。ただ、当事者じゃなくても共感してくれる
新版 現代政治理論 作者:W. キムリッカ 日本経済評論社 Amazon 最近はキムリッカの『現代政治理論』をじっくりと読んでいたのだが、最終章の「フェミニズム」の章で、近頃の日本(のネット上)における議論にとっていろいろと示唆に富む箇所があったので、かなり長くなってしまうけど引用する。 フェミニズム政治理論の一種である「ケアの倫理」アプローチに対する批判的なコメント、という文脈の文章であるが、政治や倫理一般にひろく当てはまる議論であるだろう。 なぜ正義を唱える理論家は、他者への責任を公正の要求に限定することが重要だと考えるのであろうか。仮に、主観的苦痛が常に道徳的な要求を呼び起こすとするならば、倫理的ケアにかかわる事柄として、私のあらゆる利益に注意を向けるよう他者に期待するのは正当である。しかし正義を唱える理論家にしてみれば、このように言うことは、自分自身の利益の一部については全責任を負
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く