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ブックマーク / keyakidou.cocolog-nifty.com (2)

  • 「甘やかすなの構造」にさらに思う。 - 「発達」が教えてくれること

    前回の記事がけっこうたくさん読まれているようで驚いてい ます。 まだまだ「甘やかすな。」の世界で、支援や関わりってあるん だろうなあということでしょうか。 でも、きっと、それじゃよくないなと皆さんが思っているのでし ょうねえ。 昨今の大阪維新の会のいろいろを見聞してちょっと思ったの は「愛情不足!」っていうのは「甘やかすな!」と論調が似てい るということ。 「愛情不足!」っていうヒトに愛情や情感を感じることが少ない のは私だけでしょうか。 なんだろう。 なんとなくですが、許容度のせまさを感じるからでしょうか。 こどものトラブルの原因を全部、愛情不足で処理しようとしてい る狭量さを感じる気がします。 それは事実でもないし、フェアでもない。 リカバリーへフォローの視点もない。 愛情がもてないヒトもいる。 愛情を確保できない状況もある。 そうなるとダメなのか。 前回の記事にもちょっと書いたのです

    「甘やかすなの構造」にさらに思う。 - 「発達」が教えてくれること
    cham_a
    cham_a 2012/05/10
    「支援」にももっと予算を出す事で解決出来る問題はかなりあるんじゃないかと思う…
  • 「甘やかすな!」の構造 - 「発達」が教えてくれること

    前の記事とつながっています。 発達障害系のこどもの支援を巡って「甘やかすな!」という 方向に支援がゆがんでいくことがあります。 端的にいうと、特性が理解されにくいということにつきます。 ある一定の知的なやりとりや理解が示されたり、ある場面での 参加や達成がある一方で、対人的なトラブルがあったり、マイ ペースであったりすることは「わかっているのに…故意に問題 を起こしている」=悪意に捉えられがちです。 実は当にわからない、できないというのは多くの実践の積み 重ねやケースとの出会い、試行錯誤や学びによって支援するヒ トの思考の枠組みがかわった時に理解されることが多いように 思います。 こどもに悪意がないなんてことばかりでもないと思います。 けれども、「悪意」とみえるものの構造をみた時に、そこには 未熟や理解の不足、受容や肯定の不足がみえるはずです。 「悪意」をひっくり返すのは拒否や叱責でなく

    「甘やかすな!」の構造 - 「発達」が教えてくれること
    cham_a
    cham_a 2012/05/10
    「発達には臨界期もありますが、可塑性もあります」
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