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ブックマーク / reki.hatenablog.com (9)

  • ドーナツの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    世界中の人を虜にする甘いドーナツの誘惑 ドーナツの消費量は世界で増加傾向にあります。 世界のドーナツ市場は2021年で157億8000万ドル(2兆3354億円)に達し、2028年にかけて年間3.4%で成長すると見込まれています。 日では、かつてはミスタードーナツがどこでもありましたが店舗数が減り、その代わりにコンビニやスーパーで気軽に買えるようになりました。 今回はドーナツの歴史を紐解いていきます。 1. アメリカ人とドーナツ ドーナツの場・家はアメリカです。 2020年のアメリカのドーナツ消費者数は2億1002万人。国民の約64%がドーナツをっていることになります。また、2022年のアメリカのドーナツ市場の規模は75億ドル(1兆1100万円)だそうで、冒頭の数字に照らし合わせると、世界の市場規模の約半分がアメリカにある計算です。 アメリカ人の3分の1以上(37%)が毎月少なくとも

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  • 世界史の中の北海道史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「世界史の中での北海道」という視点 北海道はご存知の通り、アイヌ民族の居住地でありましたが、近代以降幕府や政府が経済開発を進める中でアイヌ民族は日人の支配下に組み込まれ政治的にも経済的にも抑圧されてきた歴史があります。 そのアイヌ民族はアイヌ民族という枠組みで自分達を認識するようになるのは日北海道進出の影響が大きく、来はいくつもの集団に別れ文化や言語も種類がありました。 また樺太や千島列島にも同族がいたり、大陸の狩猟採集民とも文化的な類似性を持つなど、独自の北東アジアのネットワークを有していました。 ※記事の末尾にCodocの「投げ銭」機能を入れています。この記事が面白いと思ったら投げ銭いただけると嬉しいです。 1.北東アジアの民族集団ネットワーク 日土では縄文時代は紀元前10世紀くらいまで続き、大陸からの渡来民とともに稲作が入ってきて、西日から徐々に定着し弥生時代に突入して

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  • 「反捕鯨」の国際世論はどのように形成されたか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「可哀想」「環境破壊」だけではない、反捕鯨世論構成の歴史 捕鯨問題は日が欧米諸国と感情的に対立するテーマの一つです。 欧米側は、鯨は絶滅寸前であり捕獲は自然破壊であるし、そもそも鯨は知性のある生き物であるため捕獲するのは非人道的であると主張します。 一方で日側は、シロナガスクジラなど希少な鯨以外は増加しており、捕鯨は自然破壊にはまったくあたらないし、捕鯨文化は日の伝統であるため止めることは文化の破壊であると抵抗します。 様々な思惑が交錯する捕鯨問題はなぜこじれたのか、その歴史を整理したいと思います。 1. 資源としての鯨 昔から世界中の漁民の間で鯨漁は盛んでした。 伝統的に鯨を捕獲してべることで知られるのは日人、北米先住民、アイスランドやノルウェーなどノルディックの人々ですが、他にも捕鯨文化は広く存在します。 インドネシアのスラウェシ島東部・レンバタ島南海岸のラマレラ村には、伝統

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  • 深夜にじっくり見たい、世界史の「戦闘経過」の動画20本 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    じっくり歴代将軍の大戦術を楽しもう 動画サイトには数多くの歴史関連のコンテンツが上がっていますが、みんな見たいに違いないのが、戦闘経過の解説動画です。 ニコ動にはそれなりにあるんですけど、今回はYouTubeから英語圏の動画を20ピックアップしました。ぜひ帰宅後、寝る前の落ち着いた時間などにドリンク片手にじっくりお楽しみください。 できれば音声付きでご覧いただきたいんですが、状況によって音声を再生できないかもしれないし、再生しても英語なので、日語の簡単な解説も記載します。 1. 古代 実は戦闘経過動画で一番充実しているのが古代の戦闘動画なのです。 アレクサンドロス大王、ハンニバル、スキピオ、カエサルなど、偉大な将軍たちの戦いぶりはやっぱり興味ありますもんね。 1-1. イッソスの戦い(紀元前333年) www.youtube.com イッソスの戦いは、アレクサンドロス大王がペルシア帝国の

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  • 近代化に失敗したオスマン海軍 - 財政と人材の問題 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    老いた大国の近代化が失敗した構造的な問題とは オスマン帝国はかつて、北はヨーロッパ、西は北アフリカ、南は東アフリカ、東はチグリス・ユーフラテスまでを支配する超大国でした。 地中海もかつては「トルコの海」と称され、強大なオスマン海軍はヨーロッパ各国が束になってもかなわなかったほど。 しかし17世紀ごろから徐々に国力が衰退し、19世紀には完全に軍事力はヨーロッパに劣るようになります。帝国の生き残りを図るため、スルタンや宰相は必死で軍の近代化を図るのですが、後に述べるいくつかの問題により大失敗に終わります。 なぜオスマン帝国は海軍の近代化に失敗したのかが今回のテーマです。 オスマン帝国近代海軍の創設の取り組み スルタン・セリム3世の軍の近代化 オスマン帝国の衰退は17〜18世紀にかけて徐々に進行。 北東では新興国ロシアが台頭してトルコの新たな脅威となり、トルコの内海だった黒海でもトルコ船がロシア

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  • 巨大インド市場に紅茶を売った「大英帝国流マーケティング」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    インド人に紅茶を売り込め! インド料理べた後には、ラッシーか甘い紅茶を飲みたくなります。 砂糖とミルクがたっぷり入って、少しカルダモンの香りが効いたあれです。 口に残る強烈なスパイスの味をさっぱりさせてくれて、さすが長い伝統の中で育まれた味…と思うのですが、実はインドで紅茶が普及したのはそんなに古い話ではなく、たかだかここ100年のことです。 インドは今や世界有数の紅茶の消費国でもあり生産国なのですが、その背景にはイギリス人による大規模なマーケティングとセールスプロモーションがあったのでした。 1. 長らく茶を飲む習慣がなかったインド 茶を飲む習慣は4世紀ごろに中国で始まったというのが通説です。 6世紀から8世紀頃に朝鮮半島や日に伝わり、南に下ってタイ、ミャンマー、アッサム、西に行ってチベット、ヒマラヤにまで飲茶の習慣は広がっていきます。 しかし長らくインド人は茶を飲む習慣がありませ

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    chambersan
    chambersan 2017/12/26
    そういや、昔インド駐在員の奥さんが、ストレートティー用の茶葉を手に入れるのに難儀したっていってたなぁ。
  • なぜロシア人はキリスト教を受け入れたのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Work by Moataz1997 ロシアがイスラム教を受け入れなかったのは酒が原因…? キエフ公国のウラジミール大公がルーシにイスラム教を取り入れることを良しとせず、キリスト教(正教)を受け入れたきっかけとなる有名なお話があります。 ウラジミール大公の元にあるムスリムが現れ、多神教信仰を棄ててイスラム教に帰依するように訴えた。その教えは大変魅力的で、大公は乗り気だったが、ムスリムになったら「豚と酒が禁止される」ことを聞いてこう言った。 「ルーシは酒を飲むことが楽しみなのだ。酒なしには生きている甲斐がないのだよ…」 そうしてウラジミール大公はイスラム教ではなく、酒が許される正教の導入を決定したのだった。 実はこれ以外にもウラジミール大公と様々な宗教使者のエピソードが色々あり、どれも半ばネタじみて作り話っぽい感じで、当かどうか分かりません。 ルーシ国家は伝統的に南のアッバース朝との中継交

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  • 大日本帝国の朝鮮人移民と移民政策 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    100年前に既に起きていた日の移民問題 日では移民問題はかなりセンシティブな話題です。特定のイデオロギーとつながりやすく、冷静で建設的な議論にならず、皆意図的にこの話題を避けている節もあります。 今後仮に日が移民を受け入れるにしても、 「日の社会に積極的に馴染む努力をし、日語が話せ、専門的な技術を有し、生活態度は真面目で勤勉な人」 であればみんな納得すると思いますが、そんな素晴らしい人達がわざわざ日を選んでくれる道理はありません。 さて、日は1910年の韓国併合後、朝鮮半島出身の移民を大量に受け入れることになります。日人と朝鮮人移民のコンフリクトがあちこちで発生し、苦慮した日政府は「朝鮮人移民の日流入を抑制し、朝鮮・満州に向かわせる」ことによって事態の打開を図ろうとしました。 1. 日土を目指す朝鮮人 韓国で言うところの「日帝強占期」の間、多くの人々が朝鮮半島から日

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  • ノストラダム以外にもたくさんあった「世界の終わりの予言」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    昔の人が考えた「世界の終わり」 ぼくは子どもの頃、気で1999年に世界が終わって自分も死ぬと思っていました。 当時よくテレビでノストラダムスの特集をやってたからかもしれませんが、漠然とした恐怖感があったのを覚えています。 最近だとマヤ暦が2012年に終わるからという理由で、2012年地球滅亡説が話題になって、ぼくと同じように恐怖に怯えた子どもたちも多かったことでしょう。 このような「◯◯年地球滅亡説」は実は太古の昔からあり、史上多くの子どもや大人をビビらせてきたのでした。 ということで、今回はこれまで唱えられてきた「世界の終わりの予言」をピックアップします。 1. 紀元前634年 「 ローマは建国120年で滅びる」伝説 伝説によるとローマの建国は紀元前753年ですが、ローマの人々は建国120年で国が滅びると信じていたらしいです。 当時のローマは王政で、第三代国王トゥッルス・ホスティリウス

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