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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (31)

  • 湯浅誠『反貧困』 - 過ぎ去ろうとしない過去

    世代間闘争だ自己責任だ言ってるバカは全員読めばいい。 p132-133 どうしてもっと早く相談しなかったのか、と言うのは簡単だ。しかし、ほとんどの人が自己責任論を内面化してしまっているので、生活が厳しくても「人の世話になってはいけない。なんとか自分でがんばらなければいけない」と思い込み、相談メールになるような状態になるまでSOSを発信してこない。彼/彼女らは、よく言われるように「自助努力が足りない」のではなく、自助努力にしがみつきすぎたのだ。自助努力をしても結果が出ないことはあるのだから、過度の自助努力とそれを求める世間一般の無言の圧力がこうした結果をもたらすことは、いわば理の当然である。自己責任論の弊害は、貧困を生み出すだけでなく、貧困者当人を呪縛し、問題解決から遠ざける点にある。 その結果、<もやい>の生活相談でもっとも頻繁に活用されるのは、生活保護制度となる。人も望んでいるわけでは

    湯浅誠『反貧困』 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/04/29
    「世代間闘争だ自己責任だ言ってるバカは全員読めばいい」
  • 「殺すな!」と「殺せ!」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    光市母子殺害事件とチベット問題に関するはてな村*1の反応は、サヨク批判はまあ一緒だが、他に関しては一見異なるように見える。だが、実はコインの裏表の関係にすぎないと思う。 ネットを巡回したところ、チベット問題に対して共通して掲げるべき唯一のスローガンは「殺すな!」であるらしい。確かに、複雑な歴史政治の問題が絡み合ったチベット暴動に対して、「殺すな!」だけがあらゆる正義を体現しているかに見えた。それ以上は「蛇足」として扱われた。「殺すな!」に同意してさえ、それ以上の問題について深く言及することは非難の対象になる。自明の正義たる「殺すな!」の貫徹が、最優先事項であったのだ。 しかし、果たして「殺すな!」は自明では無かった。いまやはてな村では「殺せ!」のスローガンで溢れ返っている。ここにおいても持ち出されているのは「社会正義」つまり「正義」の概念であった。「社会正義」のためには、人間を二人も殺し

    「殺すな!」と「殺せ!」 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/04/25
    『代わりに正当性の根拠として立ち上がってくるのが、自分達の「殺せ!」と「殺すな!」の使い分けの基準に賛同を示す味方の存在である。ゆえに、それに賛同しない「敵」が叩かれるのである』
  • どうして逃げないの? - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080228/1204229625 第二次世界大戦中、ホロコーストによって虐殺されたドイツ国内や周辺地域のユダヤ人たちは、何故さっさとアメリカなりへ亡命しなかったのだろうか? いずれはああいう目に遭うことがわかっていたはずだ。それなのに逃げようとせずに収容所へ送られ、殺されたのなら、それは彼らの選択の結果、自己責任ではないのか? 18世紀末、植民地主義の勃興期において、ドイツの思想家ヘルダーの文化相対主義は、それに対する痛烈なカウンターになっていた。西欧「文明」は非西欧「野蛮」に優越するという啓蒙主義的なヨーロッパ中心主義に対して、ヘルダーは各地方固有の神話・伝承を再評価し、それぞれの地方に根付いた文化・伝統はヨーロッパのそれに劣るものではないと述べ、現地文化・伝統の破壊や西欧文明の押し付けを批判した。『人類歴史哲学考』において

    どうして逃げないの? - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/04/08
    『「どうして逃げないの?」という問いの返答が、銃弾で無いとは限らないのである』
  • 国旗・国歌に対するリベラルな解答 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080327-OYT1T00837.htm http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya032703.htm 教育法が改正されたせいもあってか、最近愛国心教育をしなければならないという声が強い。だが、その愛国心の中身のほうはいまだ不明である。愛国心教育の支持者に愛国心とは何ぞやと問うてみても、愛国心はけして軍国主義のことでは無いのであって脊髄反射のように反対する左翼は……と左翼批判をはじめるばかりで肝心の愛国心については答えてもらえない。 同様のことは国旗・国歌問題についても言える。国旗・国歌は尊重すべきだという人に理由を問うと、国旗・国歌が国家を象徴しているからだという。だが、ではその国家とは何かと問い返すと、国旗・国歌を尊重しない教師は反日であると繰り返すのみで

    国旗・国歌に対するリベラルな解答 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/03/28
    「彼らは歌を歌うかどうかだけで尊重しているかしていないかわかるそうだから、もちろん国家についての深い見識を持っているに違いなく、私はそれをかねがね拝聴したいと思っているのだがいっこうに教えてはくれぬ」
  • 「選択の自由」が排除する人々 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51011259.html ブクマにも書いたが、これを読んで「わたしは訴える(Ich klage an)」を思い出した。 1941年にドイツで『私は訴える(Ich klage an)』という映画が製作された。その物語は次のようなものだった。 トーマス・ハイトという名の物理学者が、友人の医師から、自分のハナが多発性硬化症におかさされていると知らされる。(…)自分が多発性硬化症という不治の病であることを知らされたハナは、トーマスにこう訴える。「私が最期の瞬間まで、あなたのハナでいられるよう助けてちょうだい。(…)そうするのよ、トーマス。私を当に愛しているなら、そうするのよ。」そしてトーマスはハナに致死薬を与え、ハナは安らかに死ぬ。 (…)トーマスは法廷で次のように訴える。「(…)私のほうこそ告訴します。私は

    「選択の自由」が排除する人々 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/03/03
    『確かにベーシック・インカムがあれば最低限の生活は送ることができるかもしれない。しかし、彼ら/我々は社会にとって不用であり、足を引っ張るお荷物として処遇される』
  • アレゴリー化する悲惨体験 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/sync_sync/20080226 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51009734.html sync_sync氏は、自己責任を痛感すべきだ。もちろん、小飼弾なんかに教えてコールしたことをだが。 ぼくが診断するに、この人は末期の自己責任病患者である。 まずは、「責任」という言葉を一端忘れて、「権利」を行使しているのだと考えてみてはどうか。「私はこの会社で働く責任がある」のではなく、「私はこの会社で働く権利を行使している」のだと。それだけで、世の中の見え方がだいぶ変わってくるはず。自己責任ではなく自己権利。「やむなく」でなく「あえて」、「余儀なくされる」のではなくて「踏み切る」。 いやまさにそれこそ、(人質事件以降)一般的に理解されている意味での自己責任ですから!この考え方が身体に染み付いてし

    アレゴリー化する悲惨体験 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/02/28
    「人々の悲惨な体験談は、すべて自己責任神学を保証するためのアレゴリーとして再生産される。どんなに結果が痛烈なものであろうと、むしろそれは歓迎される。酷い結末であればあるほど、教訓にはふさわしい」
  • 何をしても叩かれる - hokusyu’s blog

    Before:「社会保険庁の仕事は非効率的だ。アウトソーシングをするなどして効率化し、職員の人件費を削るべきだ」 ↓ 『年金記録転記で大量ミス、中国人アルバイトが誤記』 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080130-00000055-yom-soci ↓ After:「アウトソーシングなどけしからん」

    何をしても叩かれる - hokusyu’s blog
    chanbara
    chanbara 2008/02/01
  • 俺は無知だし関心も無いし勉強する気も無いけどこの通説は怪しいと思っていると声高に主張すれば、専門家は懇切丁寧に説明してあげる義務があるらしい - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080102/p4 2008年01月03日 fromdusktildawn これは「悪魔の証明」なので、原理的に「なかったこと」は証明できないはず。なので、それがあったという派に立証責任があるんだが、そのサイトがない、というのは、なかなか興味深い。 うらやましいなあ。俺にも誰かカトリック・ロマン主義とプロテスタント・ロマン主義の違いについてまとめサイトつくってくれねえかなあ。

    俺は無知だし関心も無いし勉強する気も無いけどこの通説は怪しいと思っていると声高に主張すれば、専門家は懇切丁寧に説明してあげる義務があるらしい - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/01/15
    誰か俺に、ラクしてぐうたらすごしつつカネに困らない生活をするためのまとめサイト作ってくんねえかなあ。
  • 努力教とハゲタカ教と最善説 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109/1199875970 http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080111/1200020891 これらは当に酷いです。当に酷いと思っていたら、id:y_arimが何か書いていたので、私も便乗して何か書いておこうと思いました。 これらの記事は、いわゆる成功哲学とか自己啓発とかその手の分野に該当すると思いますが、こうした議論の前提にあるのは、何らかの楽天主義です。 上の記事は、自分が変われば世界はあなたにとって優しくなることを説いています。ネガティブはだめなのです。なるようになるのです。世界があなたを否定するのはあなたがさもしい心だからであって、あなたが心を入れ替えようと頑張ればきっと世界はあなたに報いるのです。灯里ちゃんが素敵だからこの世界は素敵なのです。そんなの僕らのA

    努力教とハゲタカ教と最善説 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/01/15
    「世の中に関心を持つなという考え方がありがたがられるのは、もう、ちょっと個人的にダメです。まして世の中の理不尽を正当とし、それに乗っかって成功するぜという考え方は、もう全然ダメ」
  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 誘い受けとしての小泉外交

    というのは当然靖国神社に参拝した小泉首相のことですが。最早批判されたくて参拝しているようにしか見えないよ。 一方で「中国韓国の批判にはもううんざり」という感想を持つ人がいて、そういう人は「中国韓国に屈しない」小泉首相や、おそらく後継者になるであろう安倍官房長官を支持しようとする。ところが、そういう人ほど「中国韓国の反日は国をまとめるため」論を唱える傾向があって、それってまさにお前が小泉や安倍を支持する行動原理そのものじゃんとも思う。能動的な反日と受動的な反中反韓は違うってお前小泉や安倍が自分が中国韓国から批判されればされるほどある一定の層から支持を受けるってことを見越してないはずがないじゃん(だから「誘い受け」もするわけで)。意識的・無意識的かどうかにかかわらず、外敵の存在が現政権への支持動機となっている時点で即アウトだよそんなの。そんなわけで、今回の靖国参拝を支持している人は、自

    過ぎ去ろうとしない過去 - 誘い受けとしての小泉外交
    chanbara
    chanbara 2006/08/16
  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 事務所別イレブン試案

    レ・アイム4-2-3-1 高橋美佳子 植田佳奈 中原麻衣 斎藤千和 平田宏美 森永理科 釘宮理恵櫻井智宮川美保吉田真弓/松彩乃 山麻里安 モデルはフランス代表。別に1998年W杯優勝時の4-3-1-2でも良かったんだが、他との兼ね合いから4-2-3-1。美しいポゼッションサッカーで相手DFを切り崩す。引かれても必殺中原バナナシュートがあるのが強み。 アーツ4-1-3-2 堀江由衣 田村ゆかり 倉田雅世 浅野真澄 桑谷夏子 三石琴乃 落合祐里香天野由梨浅川悠水橋かおり 椎名へきる モデルはチェコ代表。チン・コラー(堀江由衣)を中心としたパワープレイが特徴。攻守にバランスの取れた好チーム。 サワソン4-2-2-2 能登麻美子伊藤美紀 川澄綾子南央美 日笠山亜美渡辺明乃 阪口あや田貴子五十嵐麗小桜エツ子 愛河里花子 モデルはブラジル代表。声優界最強の攻撃ユニットを擁し、得点を量産。DFに不

    過ぎ去ろうとしない過去 - 事務所別イレブン試案