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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (31)

  • 帰ってきた事務所別イレブン - 過ぎ去ろうとしない過去

    一年に一回ぐらいは声優の話をしないと、声ヲタの名がすたる!ということで。 3年前につくった事務所別イレブンが、その後の移籍や若手の台頭などで時代に合わなくなってきているので更新してみた。 声優サッカーについては↓ ■作りかけダイナメンス流声優サッカー用語辞典 http://kaolu4seasons.hp.infoseek.co.jp/okiba/seiyu_dict.htm ■ハングリーメンス(声優サッカー) http://kaolu4seasons.hp.infoseek.co.jp/okiba/seiyuu_1.htm 前回のはこれ↓ ■事務所別イレブン試案 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060427/p1 で、今回の。 アイム 4-3-3 竹達彩奈 早見沙織 高橋美佳子 植田佳奈       斎藤千和 日笠陽子 釘宮理恵 中原麻衣 田村ゆかり 矢

    帰ってきた事務所別イレブン - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「通名」について - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/thir/20090414/p1 後輩にいぢめられました。 まあ、「通名」は在日特権であるという議論がいかにばかげているかについてはこちらがよくまっているので、 ■在日朝鮮人の通名が特権だという人は特権の意味がわかってるの? http://d.hatena.ne.jp/sube-sube/20090414/p1 わたくしが付け加えることはないのですが、少しだけ捕捉しておきます。 「通名」を使うのが卑怯だと思い、「名」を詮索するその心性自体がレイシズムです。 たとえば、ナチス・ドイツは、ドイツ風の名前をつけ、ドイツ人に「紛れ込む」ユダヤ人を「卑怯」として、女性にはサラ、男性にはイスラエルというミドルネームをつけることを義務付け、誰がユダヤ人であるか「明確に」わかるようにしました。 「在日」は「堂々と」「在日」であるとはっきり分からなければならず、

    「通名」について - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2009/04/16
    『「在日」の人びとに「本名」を名乗ることを強要する人がいる以上、「本名」で通すことは差別のリスクを避けることができません。したがって「通名」の必要性は失われないのです』
  • NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの - 過ぎ去ろうとしない過去

    お返事がたまっている。ううう。 ■シリーズ JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国” http://www.nhk.or.jp/special/onair/090405.html さて、台湾問題を扱ったこの番組が「反日」であるという理由で問題になっているらしい。確かに、「そのとき歴史が動いた」ならば「良き植民地主義者」として描かれるであろう後藤新平の差別主義者、弾圧者としての側面を強調するなど、非常に興味深い番組であった。 しかし、台湾の人々の植民地時代にたいする批判的な証言を多く紹介し、日支配の抑圧的な側面を取り上げたからといって、それが「親日的な」台湾、あるいは「親日的な」台湾の人びとについて事実を歪めたとする考えは、あまりにも皮相的に過ぎるといえよう。現代台湾の植民地時代にたいするアンビヴァレント性は、以下の記事に詳しい。 ■「台湾=親日」 http://blog.lived

    NHKスペシャル『アジアの“一等国”』が伝えようとしたもの - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2009/04/13
    「単に、植民地時代を良く言う声もあるが悪く言う声もある、ということではない。植民地支配にたいする評価が、証言の中で豹変する瞬間、その地点に台湾植民地問題の本質がある。この番組は一貫してその点を追求」
  • はてなから削除依頼がありました - 過ぎ去ろうとしない過去

    はてなからメールが届きました http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090207#p1 ロマンスさんも書かれていますが、ほぼ同時期に、おそらく同一人物によって申し立てがあったようです。 わたくしの場合、メール配信のトラブルもあり(今は解決しています)対応が遅れたのですが、たとえばの話ですが、わたくしのブクマコメントによって誰かの睡眠時間の減少を招くようなことがあったとしたならば、もちろんそれはわたくしの意ではございません。このケースに関しても、なるべく穏当な表現に変更するという点に関しては前向きな気持ちでいます。ただ、削除する気は毛頭ありませんし、これで味をしめて依頼を連発されるようなことがあれば、また対応を考えると思います。 当該のコメントを引用するわけにもいかないので控えますが、「ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム」というエントリへの批判的な発言を、「

    はてなから削除依頼がありました - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2009/02/08
    『議論の内容ではなく、コミュニケーションにおけるマイナス評価なレッテルをただ貼る行為って「人格批判」にはあたらないのかなー、と思います。もちろん、その後の経過を考えると、誰が本当の竹田さんだったのか』
  • ずいぶんと「ヒートアップ」されているようですが - hokusyu’s blog

    ■私が削除照会したブックマークコメントの内容について http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20090207/1233980753 ネットの論争におきましては、「頭がヒート」したほうが先に削除依頼を出す、というのがわたくしの経験的な判断でありますが、それはまあ良いでしょう。 Automatons Hacking Guideに対するロマンスさんと私のコメントは、「トリアージ」を一般社会の現象を説明するときに用いることでいかなる誤謬が発生するかを明確に示したエントリに対して、それは「ケーキ」エントリの問題性と一致していることを指摘したものであるので、「私とはなんの関わりもない」わけではありません。もちろん、福耳先生と当該エントリの人個人としては「なんの関わりもない」でしょうが、ブログという公開のテクストにおいては「関わり」があるのであって、それこそがまさに福耳の「人格批判」

    ずいぶんと「ヒートアップ」されているようですが - hokusyu’s blog
    chanbara
    chanbara 2009/02/07
    『自分の「人格批判」、あるいは「人格批判」にたいしてつけたスターに関してはまったく棚に上げて、ただひたすら被害者を装うという態度は、なるほどこれが政治なのかと納得したことでございます』
  • ご用心、ご用心 - hokusyu’s blog

    門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし アニメ版の『一休さん』に、次のようなエピソードがあります。将軍様によってある地域の人々が追い出される。安国寺に逃げ込んだ彼らに一休はべ物を工面するのだけれど、戻ってきてみると女子供しかいない。聞けば、男たちは戦に徴収され、べ物を得るためそこに向かったという。それを知った一休は、髑髏のついた杖を持ち「ご用心、ご用心」と京都の町を練り歩く…。 調べてみるとこのエピソードは、一休宗純が正月に髑髏のついた杖を持って「ご用心、ご用心」と言いながら京都の街を歩いたことがもとになっているそうです。考えてみれば、新年の浮かれ気分というのもそれはしばしば(自己)欺瞞によってなりたっていることがあります。 ■年越し派遣村へ続々、300人突破 厚労省が講堂を開放 http://www.asahi.com/national/update/0102/TKY20

    ご用心、ご用心 - hokusyu’s blog
    chanbara
    chanbara 2009/01/03
    『野宿者問題というのはそもそも異なる利害の対立という意味における「政治」的な問題であるのだから、運動に「政治」臭がすることを非難するのはまったく筋が通らないことだし、それもひとつの欺瞞』
  • 東擁護者が覚えておかなければいけないたった一つのこと - 過ぎ去ろうとしない過去

    東理論は思ってるほどみんな前提にしていないからそこに対しては謙虚であれ 常識的に言って「大きな物語の終焉」というポストモダンの前提すらこの社会においては共有されていないんだから、まして「島宇宙化」*1みたいなそれこそ「島宇宙」でしか通用しない社会理論を持ち出して、自分の知らない分野のさまざまな問題を無神経に踏み荒らすのはやめましょう。 確かに「島宇宙化」って言えばそれこそマルクス主義のようになんか社会のいろいろなことが説明できた気になるから濫用したくなる気持ちは分かるし別にそれがダメとは言わないけれど*2、でもその理論は少なくとも日の一批評家と彼の信者、その周辺の人々しか前提にしていないのだ、ということを踏まえて、「誠意をもって」他の分野の事象に対しては発言しましょう*3。 *1:宮台のタームらしいんですが、http://blog.sakichan.org/ja/2008/12/15/n

    東擁護者が覚えておかなければいけないたった一つのこと - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/12/16
    『「島宇宙化」*1みたいなそれこそ「島宇宙」でしか通用しない社会理論を持ち出して、自分の知らない分野のさまざまな問題を無神経に踏み荒らすのはやめましょう』
  • 東工大に行ったよー - 過ぎ去ろうとしない過去

    お山の上にあるんだねー とっても広かったよー 帰りにべたカレー屋さんおいしかったー 帰ったらなんかあがってた。 http://www.hirokiazuma.com/archives/000470.html いや、困った。 そもそも http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html 文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。 というのがあります。ぼくはネットで東さんの南京発言を批判していたので、この「そのかたがた」にはぼくも含ま

    東工大に行ったよー - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/12/13
    「そもそもあの状況で一番敵対性をむき出しにしていたのは一人で一気にまくしたてたあげくこっちの話を聞く体勢がまったく無かったほかならぬ東さんなので」
  • 健康帝国日本 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008112601000936.html 内容もブコメも酷いですね。 そもそも「努力して健康を保った人にはインセンティブを」自体が健康保険の理念を崩しかねないものであることを理解しましょう。 当然、努力しているかどうかで病気になるかならないかは決まりません。いや、少しは関係あるじゃないかと言う人もいるかもしれません。でも、「少し」とはどのくらいでしょう?なにせ、男に逃げられるのまで女の自己責任という意見が出てくる世の中です。病人にちょっとでも不摂生があれば、それは「努力不足」とされかねない。では、遺伝病など生まれつき抱えている病気の場合は?なるほどそれは当人に責を求めることはできない。ではどこに行くか。もちろん親にです。出生前診断が「可能」である今、病気がある「障害」

    健康帝国日本 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/11/27
    『麻生某は給付金問題にたいして「プライドが高い人は受け取らない」とほざいたそうですが、彼の社会政策に対する認識とはまさにこのようなものなのでしょう』
  • そろそろ中山国交相の失言について語っておくか - 過ぎ去ろうとしない過去

    ていうか展開はやすぎて、今語るしかないという罠。 ええと、この期に及んで擁護しようという人は何をどう擁護しているのかがさっぱりわからないよ! 日教組が強い県は学力が低いという因果関係なんて示せないに決まっていて、つまりその県の学力は県民所得や教育政策などさまざまな要素が絡むから、日教組の組織率が学力に関係していることを示すには相当綿密な研究調査が必要なわけだけれど、明らかにそんなことは行っていない。だいたい教科書から従軍慰安婦の記述が消えて万歳みたいなことを言う歴史修正主義者が日教組を嫌うのは当然だし、2ちゃんねるや痛いニュースが大好きなネトウヨがそれに追随するのは別にどうでもいいが、明らかな虚偽の事実を断言することで日教組を誹謗中傷しておいて問題がないわけがないというのは、いかにネトウヨがバカでもわからないはずが無いのであって、そこはどう折り合いをつけているんだかさっぱりわからない。 そ

    そろそろ中山国交相の失言について語っておくか - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/09/28
    「明らかな虚偽の事実を断言することで日教組を誹謗中傷しておいて問題がないわけがないというのは、いかにネトウヨがバカでもわからないはずが無いのであって、そこはどう折り合いをつけているんだかさっぱり」
  • なんでこんな当たり前の話しなきゃいけないんだと思うけれども… - 過ぎ去ろうとしない過去

    これは半ば湯浅誠さんの言っていることの受け売りなのだけれども、そもそもホームレス問題を具体的な社会問題としてとらえたいならば、ホームレスになるのは自由意志か否かなんて問い自体が無意味でしかない。そんな議論は、ホームレスになるのもホームレスじゃなくなるのも自由にできるようになってからやればいい。屋根が無いところで寝るということは「最低限の文化的生活」を満たしていないというコンセンサスがあるとして、好きでやっているかどうかに関係なく、ホームレスになった時点で、また屋根のあるところで寝る*1ことがきわめて困難であるという現実がある。 とするならば、ホームレス問題は個人の問題ではありえず社会の問題以外の何者でもない。 ホームレスを支援すべきなのは理想でもなんでもなくただの自明なことであって、なんでホームレスを支援すべきかどうかから議論し始めなければいけないのかがほんと、まったく理解できないんだけど

    なんでこんな当たり前の話しなきゃいけないんだと思うけれども… - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/09/15
    「ホームレスになるのは自由意志か否かなんて問い自体が無意味でしかない。そんな議論は、ホームレスになるのもホームレスじゃなくなるのも自由にできるようになってからやればいい」
  • 自然界の厳しい掟です/GSV/ホームレス - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200410.html#12_1 セレンゲティ国立公園。生まれたばかりのシマウマの子供を、ジャッカルたちが執拗に狙う。シマウマの母親の懸命な努力にも関わらず、ついに子供はジャッカルに捕らえられべられてしまう。 あるいは、河を渡ろうとするヌーたちの大混雑の様子。力の衰えたヌーが他の個体にのしかかられ、押しつぶされ、河底へと沈んでいく。 と、そこで入るナレーション。「――大自然の厳しい掟です」 …以前から不思議に思っていたのだけど、このナレーションって一体何だろう。思想教育の一環だったりするのかしら。他の国でこの手の映像が流されるときには、どんなナレーションが入っているんだろう。 (・・・) そんな僕とは別のところで、「大自然の厳しい掟です」という言葉を聴くと絶頂を感じてしまうひとというのが世の中には居るらしい。シートン動物記や

    自然界の厳しい掟です/GSV/ホームレス - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/09/11
    詐術と印象操作のやり方。そしてそれへの対応。
  • 「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去

    別に関係の無い話として読んでもらってかまわないのですが、「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は××人である。だから○○はロクなもんじゃない」という論法への違和感について。 もちろん、虐殺という結果にいたった思想や体制はまったく擁護できないし、それは失敗であったと言わなければいけないと思います。しかしです。こうした議論の帰結は「だから○○思想を持ってるやつはロクなやつじゃない。反省せよ」になることが多くて、それにはとてつもなく違和感を覚えてしまうのです。え?それその思想を支持している人だけの問題なの?ということです。いやもちろん、その思想に対するつじつまを持ってない人はつける必要は無いわけですが、そうした思想が社会に浸透することを問題化するならば、誰もが責任が無い傍観者ではいられなくなるのです。つまり、ある思想のもとで多くの虐殺が起こっているならば、それは思想そのものに虐殺を引き起こしうる内

    「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/09/05
    この論法を使う人は特定の思想・体制に対しては何故かこういうロジックを使わないという不思議 / 関連: http://fragments.g.hatena.ne.jp/chanbara/20080903/1220449687
  • 「妖怪どっちもどっち」の誕生 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://tinyurl.com/69j336 ここだけではありませんが、「被害者叩きをしている人間を叩いている人間もまた被害者を愚弄しているのだ論法」こと妖怪どっちもどっち*1が発生しています。 沖縄の米兵レイプ事件のときも同じような展開になりました。確かに今回の場合、「死ね」という言葉を使うことが果たして適切だったのか議論する余地はあるでしょうが、タイトルのような論法によって結局全部うやむやにしてしまう方向性に向かうことについてははっきりノーと言っておきます。 さて、「被害者叩きをしている人間を叩いている人間もまた被害者を愚弄しているのだ論法」的妖怪どっちもどっちは、今回のように―これはある意味で逆説的ですが―被害者に落ち度がほとんど見当たらないとき、によく出現します。 今回の場合、伊藤氏を「自己責任」として非難した人間に批判が集中しました。そして批判自体はまったくもって正当であっ

    「妖怪どっちもどっち」の誕生 - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/08/29
    私は傍観者で中立で特定の思想を持たない普通の一般市民です http://fragments.g.hatena.ne.jp/chanbara/20080903/1220449687
  • どっち? - hokusyu’s blog

    Googleストリートビューにメリットが無い ⇒豊かな可能性!人の欲求を喚起する技術すばらしい! Googleストリートビューに映りこんだ人を特定しようとするまとめサイトがある ⇒使う側の問題!技術中立!

    どっち? - hokusyu’s blog
  • これはいいバカリベのサンプルですね - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1 1「例外状態」の「常態化」 これまでの歴史的経緯や、世界的なトレンドを考えると、 経営を理解してない労働者は、 どんどん居場所がなくなり、年収も下がって いくと思います。 逆に、経営*1を理解している労働者は、ますます活躍の場が広がるし、 たとえ運悪く挫折しても、何度でも復活するチャンスが得やすくなっていくと思います。 そして、後述するように、これは全世界的なトレンドであって、 この流れを一時的に阻害するぐらいはできても、 歴史の歯車を逆転させるようなことは、もはやできないと思います。 彼が「歴史的経緯」という言葉を使っているのが面白い。 2篤い信仰心 企業は、経済的な富を生み出すことを目的とした唯一の社会的機関です。 経済的な富を生み出すことこそが、企業の社会的使命です。 一の草しか生え

    これはいいバカリベのサンプルですね - hokusyu’s blog
    chanbara
    chanbara 2008/08/03
    何を目的に発言をしているか、それをどう読み取るか
  • 学歴関係無いから - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080730/1217359666 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51088798.html ある奴隷志望者が、もっと「エリート」の足に鎖を巻くべきだと提言したところ、あるマッチョな奴隷に、俺ぐらい優秀な奴隷じゃないと鎖を巻いてもらえねえんだバカ野郎と罵られた事件です。 まあ、ブクマやトラバの分析を見る限り、一応みんな「学歴関係ねえだろ」ということには気づいてます。でも、そこからが問題です。「学歴あるなしに関わらず、社会に必要とされるようなコミュニケーション能力は必要だよ」ブーッ、外れです。正解は、「学歴に関わらず、コミュ力に関わらず、社会はあらゆる人間を必要とする義務がある」です。学歴に関わらず、能力に関わらず、あらゆる人間は自分の仕事を選ぶ権利があるのです。 http://

    学歴関係無いから - 過ぎ去ろうとしない過去
  • バカリベラリズム - 過ぎ去ろうとしない過去

    ITだか何かで一山あてたりまたは一山あてる幻想に取り付かれたネオリベかぶれに反知性主義や全体のために誰かが犠牲になければならない教(カルト)などが加わっていい感じに発酵した無教養マッチョ思想をバカリベラリズムと呼ぶことにした。 具体的にははてブのタグなどで使う。

    バカリベラリズム - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/07/31
    「ネオリベかぶれに反知性主義などが加わっていい感じに発酵した無教養マッチョ思想をバカリベラリズムと呼ぶことにした」
  • しょうがく生にっき - 過ぎ去ろうとしない過去

    きょうぼくは、日ようびだったのでがい出してきました。 なにやらち下にあるふくざつなこうぞうをもったきょ大なだんじょんのなかに、 れざーあーまーをそうびして、てんふぃーとぼうをもったお兄さんお姉さんがいっぱいいたので、 すわ、だいまおうのふっ活かと、ぼくはとってもこわくなりました。 よくみたらしんじゅくえきをけいびしているけいさつかんのお兄さんお姉さんでした。 よけいこわかったです。

    しょうがく生にっき - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/07/07
  • 「落書き」は文化を破壊しているか? - 過ぎ去ろうとしない過去

    もし例の大聖堂の落書きが、50年前に長嶋茂雄が書いたものであれば、みんなもっとほほえましいエピソードとして扱ったのではないか。「見てください、壁にたくさん落書きがありますね。おや、こんなところにミスターのも。というわけで正解は、『マジックを売る』でした」 たとえば我々は21世紀のフィレンツェの大聖堂においてなされる落書きをノイズとして拒否するのに対して、1世紀のポンペイの街並みにある落書きは、「生き生きとした庶民感情の発露」として受け入れる。でも、もちろん1世紀の時点において、ポンペイの落書きが「生き生きと」したものとみなされていたわけではない。それは、2000年を経過した我々の視点から見る限りにおいて「生き生きと」したものとして認識される。 とはいえ、ポンペイの「生き生きとした庶民感情の発露」は2000年かけて、火山灰の中でだんだんと醸成されていったものではない。むしろ、あらかじめそこに

    「落書き」は文化を破壊しているか? - 過ぎ去ろうとしない過去
    chanbara
    chanbara 2008/07/06