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ブックマーク / macska.org (16)

  • 経済学S1/自由貿易−−「現状をよりマシにすること」と「正しさ」の違い - macska dot org

    前からやろうと思っていたことなのだけれど、今回から「経済学シリーズ」として、当ブログで不定期連載をはじめてみたい。ここで「経済学シリーズ」と書いたけれども、わたしは経済学についてきちんとした勉強をしてきたわけではないので、読者のみなさんに経済学についてレクチャーしようというわけではない。この連載は、トマス・ソーウェルの言うところの「束縛的世界観」(エントリ「わたしは左翼であるのかないのか、あるいは経済学をこのブログで取り上げる理由」参照)を持ちつつも、社会的公正に強い関心を抱くリベラルであるわたしが、その「束縛的世界観」を前提とする(主流派)経済学の知見、そしてその延長にあるネオリベラリズムの論理をどのように受け止め、そのうえで何を主張していくか、という問題意識を元としている。 このような連載をはじめようと思ったのは、すこし前にブログ界の一部で繰り広げられたネオリベ系論者とサヨク系論者の論

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  • DVシェルター廃絶論−−ハウジング・ファーストからの挑戦 - macska dot org

    ドメスティック・バイオレンスを、私的な関係における私的なトラブルではなく、社会的な対策・介入を必要とする社会問題であることがはじめに主張されたのは、とくに英米両国における第二波フェミニズムの盛り上がりの中においてだった。当初は「バタード・ウーマン」(殴られた女性)という言葉で呼ばれていたそれが、広く社会問題として認知されるにつれ、より範囲の広い−−被害者を女性に限らないという意味だけではなく、精神的・経済的な拘束も射程にいれた−−「ドメスティック・バイオレンス」(DV)という言葉が採用されるようになった。そして米国における一九九四年の「女性に対する暴力法」、日で二〇〇一年に施行された「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」といった法的制度が整備され、また各地に被害者の保護とDV防止をよびかけるさまざまな支援団体や相談窓口も設置された。 そうした支援設備のうちもっとも良く知ら

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  • 性犯罪をめぐる二つの思想が混じり合った米軍「統一軍事裁判法」 - macska dot org

    米軍海兵隊員四人が広島市で女性に対して集団で性暴力をはたらいた事件で、加害者の有罪と不名誉除隊が確定した。しかし、より深刻なレイプ(強姦)の罪状は取り下げられ、懲役一年という軽い刑罰となったことで、「『軍事基地と女性』ネットワーク運営委員会」は抗議声明を発表している。 その中で、同委員会が「驚いたことに米軍側の主張によれば、昨年統一軍事裁判法における『強かん』の定義を『誘拐や暴行を加えて同意なく性行為をすること』と変更したので『女性が明らかに同意していなかったのに性交渉した』ことは『強かん』にはあたらず、『不正な性的接触とみだらな行為』(”wrongfulsexual contact and indecent acts”)にすぎないというのである」と訴えていることが気になったので、軍事裁判法を少しばかり調べてみたところ、意外な事実がわかった。報告したい。 まず、昨年改訂される以前の軍事裁判

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  • macska dot org >> Blog Archive >> フェミニズムにおけるポルノグラフィ否定論と肯定論の意外な近さ

    先日、反ポルノグラフィ論者で男性問題研究者のロバート・ジェンセン氏(テキサス大学)が、ポルノグラフィと男性性の問題について書いた近著『Getting Off: Pornography and the End of Masculinity』に関連した講演のためポートランドを訪れたので、積極的なポルノ肯定論者とまではいかないものの「反・反ポルノ論」程度にはこの論争にかかわってきたわたしも参加し、じっくり話を聞いてきた。その結果感じたのは、肯定派・否定派のどちらの側でも、相手の意見をきちんと聞く余裕のある人は、かなりの部分同意できるというか、同意できない部分に関しても「自分が絶対正しくて、相手は絶対間違っている」みたいに決めつけずに済むのではないかということだった。詳しく報告してみたい。 そのまえに、ジェンセンとかれのについて一応。かれはもちろん、宗教的・性道徳的な立場からの反ポルノ論者ではな

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  • 改革派と急進派の抗争@リバタリアン党全国大会 - macska dot org

    長く続いた民主党の大統領候補指名獲得競争も実質的に終わり(クリントンはまだ1ヶ月でも3ヶ月でも続けそうだけど)、民主・共和両党とも副大統領候補の選択が注目されている中、いま一番おもしろいのは今週末にコロラド州デンバーで開催中のリバタリアン党全国集会だ。というか、何より面白いのは、リバタリアンについて主要メディアがいかにテキトーな報道をしているかという点なんだけど。 一応解説しておくと、リバタリアンとは社会的・経済的の両側面において個人の生活への政府の関与を最小にとどめようとする政治的立場であり、そうした政治的立場を表明する政党としても存在する。治安維持や安全保障のための政府の役割は肯定するが、福祉国家による再分配政策にも宗教右派的なモラルの押し付けにも反対する立場。 ネオリベラリズムとどう違うのかと思う人もいるかもしれないけど、わたしの考えではリバタリアニズムはあくまで政府の干渉の外側に豊

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  • オバマを支援する麻薬ギャング vs. クリントンを支持する狂信フェミニスト - macska dot org

    でも報道されている通り、米国大統領選挙の民主党予備選挙も終盤にさしかかり、バラック・オバマ上院議員がほぼ指名獲得を決めたと言われている。わたしの住むオレゴン州は次の火曜日(5月20日)に開票されることになっているのだけれど、オバマ候補・クリントン候補人ならびにかれらを支援する政治家や芸能人が連日州内で集会を開いていていろいろ騒がしい。そのあたりの状況はネットで普通に探せば日語で読める情報でもたくさんあるので(例のカカシさんがムーブメント・コンサバティブの視点から解説してたりするし)、他では読めない情報をと考え、最近わたしが見かけた「アツすぎる両候補支持者たち」の話をしたいと思う。 まずはアツすぎるオバマ支持者たちについて。いちおう開示しておくとわたし自身もオバマを支持しているけど、ここで取り上げたいのはポートランドの黒人ギャングの連中。かれらの多くはまぁ麻薬を売って生活しているわけ

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  • 「ネオコン左派」に転じる世俗的ヒューマニズムと「新しい無神論者」 - macska dot org

    誌創刊号(四月十日発行)に掲載された「米国を席巻する『新しい無神論者』の非寛容と、ほんの少しの希望」では、米国オレゴン州で活動する「新しい無神論者」たちのグループの活動を紹介しつつ、ドーキンスをはじめとする「新しい無神論者」論客の一部に見られる理性至上主義が他者に対するーー特に移民や少数民族など、文化的・宗教的背景の異なる社会的弱者へのーー不寛容に転じることへの懸念を表明した。かれらは米国の宗教右派による女性や同性愛者の権利への攻撃や、イスラム原理主義をかかげるテロリズム、さらにはヒトラーやスターリンの犯罪までもがすべて「理性の欠如」によって起きているかのように言うが、みずからを「理性的」と規定して「非理性的」な他者を切り捨て殲滅しようともくろむ理性至上主義こそ、むしろ危険なのではないか。 「米国を席巻する〜」ではそのようなことを伝えたかったのだが、どうも単なる「無神論者批判」「ドーキン

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  • macska dot org

    ふたたびブラック・ライブズ・マター(BLM)運動に関連して、わたしがとても大切だと思うけど、ツイッターで説明しようとしたところ、あまりうまく伝わらなかったと思うことがあるので、もう少し丁寧に説明してみようと思う。なお、BLMの日語訳としては、人類学者の竹沢泰子さんの案「黒人の命を粗末にするな」が良いと思うので、ここではそれを採用する。竹沢さんについては、「『慰安婦』問題と未来への責任 日韓「合意」に抗して」(2017年、大月書店)に寄稿した文章において、「慰安婦」問題に関連して彼女が米国でおこなったことをわたしは批判しているが、それは別としてBLMの訳はこれまで見てきたものの中で一番語弊がなく、質を表していると思う。 Read the rest of this entry »

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  • 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望 - macska dot org

    ここ数年、米国の宗教界でもっともめざましく支持を拡大している勢力は、無神論者の集団だ。進化科学者のリチャード・ドーキンスが書いた『神は妄想である』はじめ、クリストファー・ヒッチェンス『God Is Not Great (神は偉大ではない)』、サム・ハリス『The End of Faith (信仰の終焉)』といった書籍が続々とベストセラーになるとともに、無神論を掲げるグループが全国で結成され、若い人を中心に多くの支持者を集めている。 論で「無神論」と訳されている言葉は atheism だが、この語の来の定義は「神が存在しないと信じる」ことではなく「神が存在するという信仰を持たない」ことであることを考えれば、「無神論」ではなく「無宗教」と訳した方がより正確かもしれない。そこをあえて「無神論」と表記するのは、ただ信仰がなく宗教に無関心といったニュアンスのある「無宗教」という言葉では、新しい無

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  • メディアマーカー

    2019年5月31日をもちましてサービスを終了しました。 12年の長きにわたりご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • 世界一単純なアファーマティブアクションの解説

    アファーマティブアクション、あるいはポジティブアクションとか積極的格差是正措置みたいな言い方もされるけれど、こんな単純な話をよく理解しないまま賛否を議論している(大半は反対論だけど)人が多いように思う。そこで今回は世界一単純にそのあたりを解説するので、賛成か反対かはとりあえず棚上げしてアファーマティブアクションの論理を理解して欲しい。賛成とか反対とか言う前に、何について議論しているのか理解していなければ意味無いものね。ただ、論理は単純だけどそこから先はちょっと頭を使って考える必要があります。それから、ここ試験に出ます(ウソ)。 いきなり一言で言ってしまうと、要するにアファーマティブアクションというのは、陸上競技で内側のトラックを走る選手よりも外側のトラックを走る選手がより先の位置からスタートできるというルールと同じ。もちろん陸上競技ではトラックの円周を計算したり実際に測ったりすることで「誰

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  • 『レミーのおいしいレストラン』の場合/「ゲイな映画」と「クィアな映画」のあいだ - macska dot org

    前々回公開した「子ども向け劇場アニメが描く『マルチチュード的革命』」エントリでは、ジュディス・ハルバースタムの講演を要約するかたちで彼女が言うところの「ピクサーヴォルト」ーークィアで雑多な主体が構成するマルチチュードによる革命を描いた3DCGアニメーション映画ーーについて解説した。その中で、ピクサーヴォルトに当てはまらない映画としてピクサー/ディズニーの『Mr. インクレディブル』は「アイン・ランド的世界観」に基づいた、異性愛中心主義・核家族的なイデオロギーを持つ、復古主義的な映画だという指摘を紹介した。 しかし『Mr. インクレディブル』は十分に魅力的だし、むしろ「来の自分」を隠して生きることを強いられたマイノリティが自分を肯定する映画なのではないかという評価もある。そこで今回はそのあたりをハルバースタムに習って「クィアな映画」と「ゲイな映画」という区分によって再解釈するとともに、ピク

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  • 市場が解決できない統計型差別と「負のインセンティヴ・スパイラル」/苺畑カカシさんへのお返事 - macska dot org

    過去エントリ「わたしは左翼であるのかないのか、あるいは経済学をこのブログで取り上げる理由」を読んだ苺畑カカシさんが、わたしが自分の政治姿勢をきちんと説明していないと詰問している。彼女との過去のやり取りから考えて、わたしがどう説明したところで彼女を満足させることはとてもできないように思うのだけれど、他に同じような疑問を持っている人はいるかもしれないのでできる限り応えてみたい。 ところが、どういう訳か左翼の人たちは自分達がリベラル/左翼/共産主義であることを認めようとしない。それどころかそれを必死に隠して自分達のことを革新派、自由主義者、進歩主義者などと訳の分からない名前で呼んだりして一般市民を煙に巻くのが得意である。 http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2008/02/why_dont_leftists_admit_they_a.htm

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  • さとうしゅういちさんへのお返事/「館長雇い止め裁判」関連 - macska dot org

    前エントリ「『館長雇い止め』を『バックラッシュ裁判』として闘ったことの帰結」について、「館長雇止め・バックラッシュ裁判を支援する会」のメンバーでもあるさとうしゅういち氏がコメントしている。とりあえず、メーリングリストの中に籠らず公開の場で反応してくださったことには感謝。今回はこのコメントにお応え。 私から見れば,妊娠により雇い止めになった,自治体や政府関係機関の労働者の闘争とも連携を結構とっていた思います。 ただ,露骨なバックラッシュである安倍政府の成立の中で,そちらの論点が会のブログなどで目だったのは確かかもしれません。 てゆーか、名前に「バックラッシュ裁判を支援する会」ってあるから。 安倍政権ができるずっと前からね。 そもそも非常勤館長の年収は手当て交通費なしで360万円。 ちなみに特に何の権限もないし,三井さんと比べればはるかに専門的ではない仕事をしている県庁の30代平職員の私が通勤

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  • macska dot org > Blog Archive > 「館長雇い止め」を「バックラッシュ裁判」として闘ったことの帰結

    「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」の非常勤館長だった三井マリ子さんが2004年に豊中市によって雇い止めされたことについての裁判で、12日判決が出た。雇い止めの不当性を訴えた原告の請求を棄却する判決。三井マリ子さんやその支援者は、彼女の雇い止めはフェミニズムに対する全国的なバックラッシュの一環であるとして、「館長雇止め・バックラッシュ裁判」としてサイトおよびブログで原告側の正当性を主張していた。 裁判の争点自体はいたってシンプルで、非常勤の館長を雇い止めしていいか悪いか。少なくとも現行法では、許されるに決まっている。だから原告勝訴ははじめからありえない話だったわけだけれど、裁判を通して社会の矛盾や問題を明らかにし、それによって世論を喚起して制度変革へとつなげるという運動はアリだと思う。この件だと、非正規雇用者の生活を守るためのシンボルとして、女性運動ではそこそこ有名な三井さんを担ぐ

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  • macska dot org » Blog Archive » 共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」

    Filed under backlash, economics Posted on 2006/07/08 土曜日 - 15:20:07 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/145/trackback/ 35 Responses - “共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」” 匿名 Says: 2006/07/08 - 20:55:01 - > 「なぜバックラッシュに対する感情的な反感が発生するのか」というのは明らかに複数の論文の中心的な課題 えっ、そうだったんですか?わたしゃ買ってないのですが、販促ブログとか読んでて「なぜバックラッシュ(そのものや、それ)に対する感情的な『共感』が発生するのか」解説した論文がたく

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