先月末、Books&Appsにおいて、高須賀さんが、老害について以下のようなことを書いてらっしゃった。 なぜ人は、仕事を辞めると劣化してしまうのか。 老害的立ち振舞いだって、本当の本当にやりたくないのならやらないはずだ。 が、それでもやってるという事はだ。人に老害願望があるというのは理にかなっている。 「老害とは、ある種の人間の理想が行き着いた先なのではないか…」 その着眼点にたどり着けた事で、僕はようやく老害の本質が理解できた。 老害とは、他人の目をうかがわなくてよくなった、人間の行きつく先なのだ。 老害といわれる人は、他人の目を気にしない、というよりもできない。 考えについてもそうで、同じ考えの人と付和雷同することはできても、自分と異なる考えの人と議論するのは難しい。そもそも、異なった考えの人がいることを意識し、受け入れること自体も難しい。 そして自分の常識、自分の経験を他人に押し付け
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