旱魃で飢餓に苦しんでいた遠江の村が秋の収穫期頃に襲われたことの目的は言うまでもないだろう。このようなことをどこかの軍が始めると、他の軍も食糧を求めて同様なことを始めて次第に大規模化していくことになる。戦国時代には、戦いの最中に放火・苅田が大々的に行われ、人間の掠奪も各地で行われたことを知るべきである。 村を守る智慧 しかし村人たちは戦禍に遇わない為にいろいろ対策を講じるようになっていくことは言うまでもない。藤木氏の前掲書には様々な事例が記されている。 敵の略奪(乱取)を免れるには、戦場の村々が敵味方の優劣をしっかり見極め、優勢な敵軍には進んで味方し、制札銭といわれた大金を払って、村の安全を保障する制札や禁制を手に入れるのが常でした。敵方の大名も制札銭を稼ぎ、「敵地」に「味方の地」を広げるため、大量の制札や禁制をばらまいたのです。 といっても、一枚の制札だけで村の平和が実現されたわけではあり