文化庁は15日、奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の石室の壁から剥ぎ取ったしっくいについて、泥の下に隠れているとみられる十二支像の「辰(たつ)」(東壁)「巳(み)」(南壁)「申(さる)」(西壁)を確認するためX線調査を実施した結果、図像の有無は確認できなかったと発表した。 文化庁の依頼で東京文化財研究所がX線透過写真による非破壊調査を実施。研究所は「顔料の種類や密度などの条件がそろわないとX線に反応しないため、この結果をもって図像がなかったとはいえない」としている。 キトラ古墳では十二支像のうち「午(うま)」など6種類が確認され、「卯(う)」など3種類はしっくい自体が剥落。残り3種類の存在が期待され、10〜11月に泥に覆われたままの状態でしっくいを剥ぎ取っていた。 文化庁は、有識者による「壁画の保存と活用を考える検討会」を24日に東京で開き、技術的には困難な泥の除去を行うか
古代のロマンを一目見ようと多くの人が詰めかけた越塚御門古墳=11日午前、奈良県明日香村(渡守麻衣撮影) 飛鳥時代の女帝、斉明天皇の孫・大田皇女(おおたのひめみこ)の墓とみられる「越塚御門(こしつかごもん)古墳」(7世紀後半、奈良県明日香村)で11日、現地見学会が開かれた。日本書紀の記述を裏付ける第一級の発見に、午前中だけで1500人を超える考古学ファンが詰めかけた。 斉明天皇の墓の前にある越塚御門古墳の現地見学会場には早朝から長い行列ができ、石室を眺めた人たちは感嘆の声を上げながら、“悲運のプリンセス”とされる大田皇女の人生に思いをはせた。 同県天理市の岡田忠弘さん(65)は「文献の出来事を実際に目にすることができて感動した。近しい人と一緒にいたいという思いが伝わります」と興奮ぎみに話した。 見学会は12日も午前10時から午後4時まで開かれる。近鉄吉野線飛鳥駅から徒歩約15分。駐車場はない
「まさに日本書紀の記述通りだ」。明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)に接して新たに見つかった越塚御門(こしつかごもん)古墳。9日の村教委の発表を受け、被葬者は、牽牛子塚古墳が斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)、越塚御門古墳が孫の大田皇女(おおたのひめみこ)と確定したとする声が専門家から相次いだ。飛鳥時代の歴史に新たな光を当てる成果に、注目が集まりそうだ。 村文化財顧問の木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「日本書紀の記述通りで、疑いようがない。牽牛子塚古墳にとどまらず、他の飛鳥時代の古墳の被葬者像や、飛鳥の歴史全体を考える定点となる」と調査成果の意義を強調する。 越塚御門古墳の石室は、同村にある「飛鳥の謎の石造物」の一つとされる鬼ノ俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳と同型だった。猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(同)は、斉明天皇が同古墳から牽牛子塚古墳に改葬された
宮内庁と広陵町教育委員会は12日、同町にある大型前方後円墳・新木山(にきやま)古墳(5世紀前半、全長約200メートル)の発掘現場を歴史・考古系の研究者38人と報道陣に公開した。天皇や皇族の墓の可能性がある陵墓参考地の古墳を宮内庁と地元自治体が同時に調査するのは、2008年の百舌鳥(もず)御廟山(ごびょうやま)古墳(堺市北区)に次ぎ2例目。宮内庁の発掘は陵墓などの維持・管理が主目的で、その宮内庁と自治体の同時発掘がさきがけとなり、学術調査のための共同発掘に進めば、古代史の解明は大いに進むだろう。 この日、発掘現場を見学した研究者は歴史・考古系15学会の38人。宮内庁の担当者から12カ所のトレンチごとに説明を受けた。このうち3カ所の延長上の周濠部を同町教委がトレンチ調査した。 新木山古墳は大小の古墳が密集している北葛城地方の馬見古墳群の中でも、近くの巣山古墳(全長約220メートル)とともに中心
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