法隆寺(奈良県斑鳩町)で平成16年に出土した遺物から、7世紀前半の図柄や色彩などが残る壁画片約350点が新たに確認されたことが23日、同町教委の調査でわかった。これまでに見つかっている壁画片と同タイプで、「初代法隆寺」とされる若草伽藍(がらん)に描かれていた可能性が高く、国内最古の寺院壁画とされる資料がさらに補強された。 これまでに確認された壁画片は、焼けた痕跡から日本書紀に記された「法隆寺焼失」を裏付ける一級の資料として知られる。その後の洗浄作業などで新たに確認された壁画片は数ミリから5センチ大。線状の図柄や朱色などの顔料、白土が残っていた。壁画片は18年の調査でも見つかっており、併せて貴重な資料になるという。 若草伽藍は現・法隆寺金堂の南東に金堂と塔が縦列に並んでいたとされる。壁画については奈良文化財研究所の田辺征夫所長が「現在の金堂が若草伽藍を踏襲したとすると、その金堂にも浄土の壁画
奈良県斑鳩町の法隆寺で8日、仏像に積もった1年間のほこりを取り除く「お身拭い」があり、金堂と大講堂、夢殿の計26体を僧侶が清めていった。 同寺が世界遺産に登録された翌年の1994年から毎年、この時期に行っている。大野玄妙(げんみょう)管長が金堂で読経する中、仏像に息がかからないようマスクをつけた僧侶約10人が、竹ざおに和紙の束をつけたはたきを使って国宝・釈迦三尊像や四天王立像などのほこりを払った。 美しさを取り戻した仏像を前に、大野管長は「来年は仏様に、世の中をすっきりとしていただきたい」と話した。
法隆寺伝法堂で公開された仏像を見る人々=18日午前、奈良県斑鳩町、矢木隆晴撮影 奈良県斑鳩町の法隆寺で18日、通常は年に1日しか公開されない国宝・伝法堂(でんぽうどう)=8世紀=の特別開扉が始まった。28日まで。平城遷都1300年祭の事業で、奈良県内の52の寺や神社が所蔵文化財を公開する「祈りの回廊〜奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳〜」(各社寺主催、朝日新聞社など共催)の一つ。 伝法堂は、聖武天皇夫人の橘古那可智(たちばなのこなかち)の住まいを移築した仏堂。東院伽藍(がらん)の夢殿の北側にあり、奈良時代の住宅建築としては唯一、現存する建物。内陣には、3組の阿弥陀三尊像(重文)など計20体の仏像が安置されている。通常は地蔵会が開かれる7月24日のみ拝観できる。 午前8時半過ぎ、大野玄妙管長らが堂内で法要を営んだ。一番乗りは、静岡県藤枝市から訪れた歯科医の池谷格さん(49)。前夜に新幹線で
報道陣に公開された伝法堂の阿弥陀三尊像(重文)など=8日午前10時32分、奈良県斑鳩町(前川純一郎撮影) 奈良時代・天平期の住宅で唯一の現存建築とされる法隆寺(奈良県斑鳩町)の伝法堂(国宝)が、平城遷都1300年祭にあわせて18〜28日に特別開帳されることになり、8日、報道陣に公開された。阿弥陀三尊像(重文、奈良時代)など同寺の仏堂では最多の計20体を安置しており、古建築の中に荘厳な雰囲気を漂わせる堂内を拝観する貴重な機会となりそうだ。 伝法堂は夢殿の北側に位置する。奈良時代に聖武天皇の夫人、橘(たちばなの)古那可智の邸宅が移されたとされ、堂内は板敷き。古い箱形天蓋(てんがい)の下に3組の阿弥陀三尊像や釈迦如来像、薬師如来像、四天王像など20体が安置されている。通常は地蔵会が営まれる7月24日夕にしか開扉していない。 法隆寺では、大講堂北側の上(かみの)御堂(重文、鎌倉時代)も3月1〜31
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く