正倉院の宝物だったことが判明した東大寺大仏殿からの出土品で国宝「金堂鎮壇具」の金銀荘大刀二振。左が陽剣、右が陰剣=奈良県生駒市の元興寺文化財保存科学センター(頼光和弘撮影) 東大寺の大仏のひざの下に埋められていた2本の大刀は、1250年もの間行方不明とされた「陰寶劔(いんほうけん)」と「陽寶劔(ようほうけん)」だった。当時正倉院に収めた聖武天皇の遺品を「除物(じょもつ)」にして持ち出せたのは、献納した本人の光明皇后ただ1人。大刀が正倉院から出された759年12月は光明皇后が世を去る半年前で、皇后は死を前に何を願って夫の遺愛の大刀を大仏の下に埋めたのか。 「大仏殿が未来永劫(えいごう)安泰であるように願い、地鎮のために埋めた」とするのは森郁夫・帝塚山大名誉教授(歴史考古学)。大刀の名に「陰・陽」とあることから、「地鎮祭には陰陽(おんみょう)道も取り入れられたのでは」としている。 奈良国立博物