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発掘調査における最も重要な技術のひとつ「測量」に焦点をあて、その歴史や最先端の技術などを紹介する「測る、知る、伝える―平城京と文化財―」が、奈良市佐紀町の平城宮跡資料館で開かれている。1月16日まで。無料。 目を引くのは、床に敷かれた縦約5メートル、横約6メートルの平城京跡周辺の空中写真。市役所や復元された朱雀門など現在の姿の上に、奈良時代の条坊を示す白いラインをかぶせている。かつて朱雀大路があった付近では、田んぼの区画が条坊ラインと重なる部分も見られる。 平城京研究の先駆者、北浦定政(1817〜71)は、田んぼの区画などを参考に平城京跡一帯を測量して条坊を復元した。持ち歩いて道路や河川の様子を書き込んだフィールドノートや平城京復元図など、めったに見られない貴重な定政の測量資料も展示されている。 25の大学や研究機関による測量の最先端の研究成果をコンピューター・グラフィックスなどで紹介した
奈良市大森町で、奈良時代後半の様々な規模の住宅跡や工房跡が見つかった。同市埋蔵文化財調査センターが12日、発表した。これまで未確認だった規模の宅地跡もあり、平城京の「下町」の様相を知る上で貴重だという。 JR奈良駅南側の土地区画整理事業に伴い、2001年度から、中下級役人の住宅があったとされる、かつての平城京左京五条四坊十六坪(約1万5千平方メートル)を調べた。 その結果、東西南北に走る通路や井戸の分布などから、32分の1町(約450平方メートル)から8分の3町(約4800平方メートル)まで様々な大きさに分割された宅地跡が出土。8分の3、16分の3、24分の1町の各規模の宅地跡が確認されるのは初めてで、いずれも16分の1町を基準に合併・分割されたとみられるという。 掘っ立て柱の建物や塀の跡約200棟分も出土。ガラスや銅を溶かしたるつぼなども確認され、住宅と工房が混在していたらしい。センター
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