「感情部分や傷ついたことなんか知りはしないから、さっさと今やれることをやれ!」 という昭和型教育を受け続けて、気づいた時には鬱を抱え込むようになった。人生が閑話休題に差し掛かった時と言ってもいいかもしれない。 ともかく急ぎ足で走らせた蒸気機関車の石炭が切れた頃に私は鬱になった。 石炭を焚いて必死に動いている時人は私に対して、ほら、鍛えられてよかっただろう、などと無責任に言ってのけた。 私はそれに苦笑いで微笑みながら、効果はあったのだと思いこむようにしていた。そうしなければ人生が否定されるような気がしたからだ。 一方でこうした昭和型の気持ちをないがしろにして行動を優先する、言ってしまえば軍隊的な教育方針で鍛えられる人もいる。 そうした人たちは大人になってワタミの渡辺よろしく、甘ったれんな、俺の時はもっと厳しかったんだ、などと言い始めたりする。 まあそのことは今は良しとしよう。問題はそうやって