私はC49から20年ちょっとコミケスタッフをしていたオタクですが今期を最後にスタッフを引退する事にしました スタッフ引退の理由はコミケ準備会のスタッフに対する扱いが目に余るレベルに到達したからです 以下は今までのスタッフの状態と今期のスタッフの現状などをお話します #C96
「オブジェクト指向が5000%理解できる記事」 https://qiita.com/gorillab/items/b2f8e39d7cc23ad505f9 「オブジェクト指向を5000%理解できたら、次に5000兆%理解できように実社会の例でオブジェクト指向を考えてみる。」 https://qiita.com/_-_-_-_-_/items/1f604f6205b8bfd8a823 うわあ....これはヒドイ.まるで憂鬱本の悪夢が蘇ったようだ. 憂鬱本やオブ脳みたいな悪書で洗脳された人が落ちる,闇の深淵って感じ.*1 憂鬱なプログラマのためのオブジェクト指向開発講座 (DDJ Selection) 作者: Tucker出版社/メーカー: 翔泳社発売日: 1998/05/31メディア: 大型本購入: 10人 クリック: 508回この商品を含むブログ (78件) を見る なぜか名著と勘違いする
1.クレームへの対応方法 顧客からのクレームに対し、顧客と従業員のどちらに非があるのかを見極めることなく、取り敢えず自社の従業員に謝らせるという方法があります。 それが揉め事を丸く収めていた時代もあったのだと思います。 しかし、こうした手法は、自社の従業員を苦しめ、不満を蓄積させてしまうため、労務管理の観点からみれば、決して適切とはいえません。 この取り敢えず部下を謝らせるというクレーム対応の手法の適否が争われた事件が、判例集に掲載されていました。 甲府地判平30.11.13労働判例1202-95甲府市・山梨県(市立小学校教諭)事件です。 2.事案の概要(犬に噛まれて飼い主に損害賠償の話をしたら、勤務先学校にクレームを入れられ、管理職から謝罪を強要された) 本件で原告になったのは、甲府市の市立小学校の教諭の方です。 平成24年8月26日、地域防災訓練の会場に向かう途中、原告教諭は自身が担任
『愛国戦隊大日本』はDAICON FILMが自主制作した映像作品で、1982年8月に開催された「日本SF大会」(通称「TOKON8」)で上映されたものである。いわゆる「戦隊もの」のパロディではあるが、アマチュアの作品としてはクオリティはかなり高く、参加したスタッフの中に後にプロとして大成した人も何人かいたこともあり(赤井孝美、庵野秀明、岡田斗司夫といった面々)、今でも伝説的な作品として評価されているようだ。上映時には会場の観客から好評を博したようなのだが、その内容を問題視する向きもあり、また批判に対して制作者も反論したため、その一連の経緯は「『愛国戦隊大日本』論争」として記録ないし記憶されている、ということになっている(たとえば巽孝之『日本SF論争史』など)。 今回はその「『愛国戦隊大日本』論争」について考えてみよう、というわけなのだが、この論争については既に長山靖生氏が『戦後SF事件史』
AbemaTVが、8月15日にテレビアニメ「ハッカドール THE あにめ~しょん」全13話の一挙放送を実施します。そしてこの日は、アプリケーション「ハッカドール」のサービス終了日。さらばハッカドール……。 ハッカドール アプリ「ハッカドール」は2014年8月15日にサービスを開始。“君にシンクロするニュースアプリ”を副題に、ユーザーの嗜好性を自動学習して、アニメやゲーム、漫画、声優、ライトノベル、特撮といった世間のサブカルチャーのニュースから好みに合った記事を厳選して配信してきました。しかし、「継続提供していくのは難しい」という理由で、サービスの終了が決定しています。 一挙放送日でありサービス終了日でもある8月15日は、「ハッカドール」5周年当日。アプリを使用していた人は、別れのあいさつとして見ておきたいところです。 なお、放送2週間後の8月29日までは、「Abema ビデオ」でいつでも無
現在の、韓国の北朝鮮に対する融和ムードが信じられないくらい、かつては反目しあっていた両国。1980年代、軍事政権下の韓国で製作された韓国の「反共アニメ」は、南北対立の歴史の一側面を現代に伝えています。 日本でも知られる韓国のロボットアニメ『テコンV』(1976年)は、ロボットの活躍以外にもうひとつの側面があります。それは、「反共」映画作品であるということです。現在の南北の融和ムードとはうって変わって、当時の韓国は軍事政権下。反共ムードが横溢していたのです。1980年代までは政府の支援で反共映画が製作されていたとiいいます。 『テコンV』の企画書には「反共鼓舞」と書かれていました。これは、当時の韓国にはパク・チョンヒ政権下で1962年に施行された映画法という法律で検閲が強化されたものの、「反共映画」は優遇されていたため制作しやすかったという事情があるそうです。 当時は「反共法」という法律もあ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く