2018年7月15日のブックマーク (5件)

  • 元クラッシュギャルズ・長与千種の若手時代を支えた「タバスコめし」とデビル雅美さんの豚の生姜焼き【レスラーめし】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “事” だ。その鍛えた身体を支えるための日々の事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。 プロレスラーの事にはどこかロマンがある。そんなにまつわる話を、さまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。 第7回の登場は元クラッシュギャルズにして、現在はプロレス団体「マーベラス」代表の長与千種さん。 1984年にライオネス飛鳥さんと「クラッシュギャルズ」を結成し、それまでの女子にない男子レスラー的な技を取り入れ、ダンプ松さんとの抗争は日中の女子を熱狂させた。 さらに『炎の聖書』など歌も大ヒット。歌番組やドラマにも多数出演。 一度はプロレス引退するも復帰、その

    元クラッシュギャルズ・長与千種の若手時代を支えた「タバスコめし」とデビル雅美さんの豚の生姜焼き【レスラーめし】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
    cj3029412
    cj3029412 2018/07/15
    船橋駅そばに、長与千種の店(スナック)があります。
  • はあちゅうとしみけんの件

    どうにもMetoo運動の対極にAV男優があると認識している人が見られるが、 そうなるとAVは「セクハラを助長するものである」と認めることになるんだけど、この点いかがお考えでしょうか。

    はあちゅうとしみけんの件
    cj3029412
    cj3029412 2018/07/15
    パートナーのことを「AV男優の」と冠する一方、それに対応するはあちゅう自身の冠なり枕なりが「ただの女でした」なら、おれははあちゅうに芥川賞を贈っる。「作家」はあちゅうに足りないのはそこ。
  • 西行のよさ - illegal function call in 1980s

    僕、知らないんですけれどもね。熊野詣は行ったことないし(中上健次を読んで夢想しただけ)、岩田川が三途の川と見做されていることも、民俗学の知識の上だけです。 きょう暑いすな。夕涼みがしたいす。うん。それで思い出した、 松が根の岩田の岸の夕涼み君があれなとおもほゆるかな(西行)(玉葉) 久しぶりに品詞分解をする。 松が根:枕詞。「岩」を呼ぶ 岩田:名詞。岩田川 岩田川・岩田:熊野の歌 の:格助詞 岸:名詞。「岩田の岸」(名詞)で一語ととって別段構わない の:格助詞 夕涼み:名詞。これはもっとも美しい夏の日語のひとつであります。夏野夕涼(モデル。いないけど)ありです。 君:名詞 が:格助詞。「が」は「我が」などというときに残るように、自分に親しい気持ちを話者が我知らず込めるときの話法です。「君のあれな」も文法的には成り立つ。でもそれでは遠い。詠い手、西行は(おそらく自然に口をついて)「君が」と

    西行のよさ - illegal function call in 1980s
    cj3029412
    cj3029412 2018/07/15
    (けしからんのは俺じゃなくて西行だから。)
  • 3.11の被災者になりたかった - w a k u r a b a

    東日大震災が起きたのが、2011年3月11日。 実家のある岩手県沿岸北部地方に帰省したのは、地震から4ヶ月後の7月だった。 行こうと思えば、もう少し早い段階で行く事は出来た。 実家は津波の被害に遭わなかったが、親戚の家々をかなりやられた。国道の通行止めが解除されればすぐに行くつもりであったが、母は「町中が片付くまでは、来ても仕方ない。来なくていい」と繰り返していた。 けれども「私は、行かなければならない」という思いに、何故だか囚われていた。 当時はまだ短歌に出会っていなかったから、故郷で起きた事を書き記しておきたい、ただそれだけだったと思う。 岩手に帰省しました。 4泊5日。 13年ぶりの実家。 今回の帰省の最大の目的は 津波で被災した地域を見て回る事。 見てどうなると言われたら何も言えないけれど 何が起きたのかをテレビではなくこの目で確かめたい。 ただそれだけの理由。 それから 姪が出

    3.11の被災者になりたかった - w a k u r a b a
    cj3029412
    cj3029412 2018/07/15
    あの、これだよね。(何が)(´;ω;`)
  • 「引きこもりや生きづらさ」から脱出できるかどうかは「運命」なのかもしれない。 - いつか電池がきれるまで

    toyokeizai.net いろんなことを考えたり考えなかったり、考えているふりをしていたり。 このリリー・フランキーさんの話を読んでいて、なんだかスッキリしなかったんですよね。 そもそも、これは「金もコネも将来への展望もない若者にありがちな屈と貧乏生活」でしかなくて、対人恐怖とかに基づく病的な要因が強い「引きこもり」とは違うのではないか、とも思ったんですよ。 ある種の「生存者バイアス」のようにも感じました。 まあ、リリーさんのそのあたりの状況というのは『東京タワー』を読めばいい、って話なんですけどね。あれだけの大ベストセラーなのに、僕はすっかり存在を忘れていました。この作品はほんと、屋大賞らしい受賞作だったな。 あらためて考えてみると、リリー・フランキーさんはこの話のなかで、「自分はいかにして引きこもり状態から離脱したのか」を語っていないんですよね。 観念ではなく具体的な出来事によ

    「引きこもりや生きづらさ」から脱出できるかどうかは「運命」なのかもしれない。 - いつか電池がきれるまで
    cj3029412
    cj3029412 2018/07/15
    (ご本人も認めていらっしゃる)典型的な予定説の俗流解釈です。ヴェーバーも、この記事が述べるようなニヒリズムを、どう資本主義が緊張関係のうちに持ち込み、発展したかに筆を割いています。大塚久雄を読もう。