[追記あり] 結婚はしたくないといったらじゃあ別れて友達にもどろうと言われた。まあそれでべつにいいと思っていた。僕も彼女の事を愛すべき恋人というよりは気の置けない友人のように思っていたしすべての接触はその延長線上にあった。それで問題なかった。結婚したくない理由はそこではなく単純に結婚が嫌だから。僕は死にたいとは思わないが生まれてこなけいほうがよかったのではと思うことの方がずっと多いから子供だってほしくない。子供をつくらないなら金がかかるだけだし結婚だってする意味はないと思ってる。彼女に不満があるわけじゃなかったのだが、結婚する気がないなら終わりにしようと言われて結婚すると言えなかった。彼女はなら友達に戻ろうといってくれたのでホッとしたがすぐに泣きだしてしまった。さすがに罪悪感を感じたので彼女をホームまで見送ろうとしたが「いらない」といってタクシーに押し込められてしまったのが5カ月前だった。
24時間テレビが悪いとは言わないけれど‥ 毎年恒例の「24時間テレビ」が、来週放送されるらしい。この番組の趣旨は、「福祉」「環境」「災害復興」の3分野を支援する活動という。 しかし障害者や災害に遭われた方の「努力や目標」を強調し過ぎて、正義感溢れんばかりの企画や表現手法に、疑問を感じるのは私だけかな? 私はパーソナリティーの「嵐」が大好きなので、余り否定的な意見は言いたくないのだが、障害者とタレントさん達が、頑張りに頑張って踊ったり演奏したり、それはそれで努力や一体感の証ではあるけれど、わざわざ障害者の「障害を克服」させるかの様な努力は必要だろうか? 「耳の聞こえない」学生さん達に、「音を聞いて」リズムを取る難しいダンスに、挑戦させる意味は何だろう?別に大きな絵を描くとか、手の凝った料理を作るとか、彼らが出来る事に向き合い、協力して作り上げれば十分感動すると思う。 つまり現実の障害者の状態
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く