「命を救うため、私はルールを破った」 その話を彼から聞いたのは、記者になって4年半が過ぎたころ、仙台でのことだった。誰よりも空の安全を守ってきたはずの男の告白。ただ「本当は墓場まで持って行くつもりだった」という話を、私はどう扱っていいか分からず、書くことができなかった。 それから11年余り。外務省担当の記者になった私は、「極秘」の指定が解けて公開された「天安門事件」に関する外交文書を見て、驚いた。 これはあの時、彼から聞いた話ではないのか…。 私は意を決して、すでに引退していた彼に、会いに行くことにした。 (渡辺信) その人は、空を守る その人の名を、赤木徹也さんという。 初めて出会ったのは、2008年11月1日。北海道を拠点にする航空会社エア・ドゥが、新千歳空港と仙台空港を結ぶ路線を開設した際の記念式典の取材だった。 彼はエア・ドゥの仙台空港所長として、赴任したばかりだった。 「うちの飛
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