Published 2020/02/29 07:00 (JST) Updated 2020/03/02 12:46 (JST) 樺美智子の死因については、圧死説と扼死説があり、60年を経た今も謎のままである。圧死であれば、国会構内でのデモ隊と警官隊の衝突の中で、デモの隊列が崩れ、下敷きになったことになる。首を絞められた扼死であれば、加害者は故意の殺人罪に問われよう。 死後約3時間半後、6月15日午後10時42分から検視した監察医の渡辺富雄は「圧死の疑い」とした。ただし、父親に渡す死亡届の用紙には死因を「不詳」と書いている。当時の週刊誌への寄稿で、父親に「圧死の疑い」とするのは「忍びがたく」と説明したが、医師が死因を虚偽記入する理由としては、説得力がない。 司法解剖は翌16日。遺体は慶応大法医学教室に運ばれ、中館久平と中山浄が執刀した。その前半だけ、東大医学部教授上野正吉も同席した。 中館の

