ニコニコ動画の構造的起源にふりがな文化をおいてみる、というもろさんの話*1を受けて、やまももさんが絵巻物に言及されてた*2のを読んで、夏目さんの絵巻物とマンガとの比較のおもしろい話*3を連想したのでした。 ニコ動の場合は、直接的には『電波少年』で確立されたと言われるテレビ番組の字幕による補足→つっこみの進化を、視聴者参加型で行っているサービスといえるでしょう。字幕のせいでテレビの質が落ちたとくさす人がけっこういた(と思うし、僕もそう思ってました。科白の説明に頼って絵で説明できないドラマや映画はその悪影響じゃないか、とか)のに、制作者側だけが行えてたつっこみを視聴者に開放してみたら、実はそれは新たな文化的価値の創出であったと分かったと。 もっともそうした映像に対する文字による補足は、マンガによってその多様性が開かれたものでしょう。耳に聞こえる科白や擬音を除いて、客観情報の補足や全体の語りはも